現象としての社交不安(4)

現象が現象であるために――病理を超えて

社交不安を「症状」ではなく「現象」としてとらえると、何が見えてくるのか。臨床心理学のアプローチから大阪大学の佐々木淳准教授が、「現象としての社交不安」について解説します。連載の最終回では,専門家やクライエントによる現象への認識のありようや,病理視の意味について考えます。(編集部)

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Author_SasakiJun佐々木淳(ささき・じゅん):大阪大学大学院人間科学研究科准教授。主要著作・論文にUnderstanding egorrhea from cultural-clinical psychology(Frontiers in Psychology, 4, 894, 2013,共著)『臨床心理学(New Liberal Arts Selection)』(有斐閣,2015年,共著)。→webサイト

社交不安症という概念が広まったのはこの30年ほどの間です。1980年にアメリカの精神医学会が作成したDSM-III(1)に社会恐怖が採録されましたが,欧米ではDSM-III以前に,人前での不安や恐怖についてのまとまった報告はほとんどありませんでした。それに対して,日本では100年ほどの研究史があることは以前述べた通りです。

Neglected anxiety disorder?

しかし,1985年にコロンビア大学の精神科医M. Liebowitzが重要な提言を行ったときから,状況は劇的に変わりました(2)。このDSM-IIIの社会恐怖について,“Neglected anxiety disorder”,つまり忘れられてきた不安障害であるというフレーズを掲げつつ紹介したのです。この論文は多くの人の関心を呼び,これを機に社交不安症の研究数は増加の一途をたどることになりました。そして,J. R. Marshall(1993)は「1990年代の障害」(3)とも表現しています。今ではThe Wiley Blackwell handbook of social anxiety disorder(4)を始めとした600ページを超える分厚いハンドブックまで出版されるに至っています。これはLiebowitzの提言から30年ほどの間に,社交不安症についてさまざまな角度から研究が爆発的に展開されてきた証拠といえます。

診断基準に取り上げられることは,クライエントにとっても好ましい影響があります。それが関心を呼ぶだけでなく,疾患の一応の定義が共有できるので,この現象を理解するための枠組みが構築されていき,その結果,治療法として結実するからです。社交不安についてはD. M. ClarkとA. Wells(5)やR. M. RapeeとR. G. Heimberg(6)などの枠組みが代表的でしょう。世界で共有されている枠組みに基づいて,世界中からのデータが汲み上げられて理解が進んでいくのは,見事の一言です。2006年にはアメリカ心理学会の臨床心理学部会(第12部会)が「研究によって支持された心理学的治療」(Research-Supported Psychological Treatments)を公表しました(7)。これはうつ病,双極性障害,パニック症など,さまざまな精神疾患に対する心理療法の中でも,研究によって裏づけられているものを評価し,リストアップしたものです。社交不安症については基本的な認知行動療法と,ClarkとWellsの枠組みに即した行動実験などが取り上げられています。

心理療法はたしかに細やかな試行錯誤の連続ではあります。しかし,あまりに手さぐりすぎたりして,何を行っているのかがクライエントから見てわかりにくい援助をずっと続けられることに対して,拒否感を耳にすることが増えてきたように思います。「心は目に見えない」のは確かなのですが,研究によって裏づけのある,非専門家でもある程度納得できるところをスタートラインとして展開する心理的援助も,これからの大きな選択肢の1つとして成長することと思います。


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