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仲直りの理(ことわり)

進化心理学から見た機能とメカニズム

大坪庸介 著

発行日: 2021年10月10日

体裁: 四六判並製304頁

ISBN: 978-4-908736-21-6

定価: 2500円+税

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内容紹介

いがみ合うのもばからしい
だけど仲直りも難しい

ケンカや誤解から生じるいざこざを解決する「仲直り」は,ヒト以外のさまざまな動物にも見られる興味深い現象です。赦しと謝罪の2つの側面をもつ仲直りの機能とメカニズムを,進化生物学のモデル研究,動物行動の研究,心理学の研究を駆使し,進化心理学の視点から読み解きます。

目次

第1章 動物たちの仲直り

第2章 行動の進化の理

第3章 赦すことの理

第4章 和解シグナルの進化

第5章 謝罪の理

第6章 仲直りの至近要因

第7章 仲直りする力

著者

大坪庸介(おおつぼ ようすけ)

2000年,Northern Illinois University, Department of Psychology博士課程修了。Ph. D.。現在,東京大学大学院人文社会系研究科准教授。

主要著作に,『進化と感情から解き明かす社会心理学』(共著,有斐閣,2012年),『英語で学ぶ社会心理学』(共著,有斐閣,2017年)など。

はじめに

この本は「仲直り」についての本です。ですが,そもそも仲直りが必要な状況というのは,誰かとケンカをしたり,何かで相手ともめた状況です。このような状況を心理学では対人葛藤といいます。対人葛藤さえなければ仲直りも必要ないわけですから,仲直りについて考えるよりも,対人葛藤をいかにして避けるか,減らすかを考えた方がよいのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし,どんなに注意深く相手とつき合っていたとしても,誤解によって相手を怒らせてしまったり,あなたから見るとまったく問題のない一言で相手が傷つくことだってあるでしょう。対人葛藤をゼロにすることができないのであれば,それをどのように解決することができるのかを考えてみようというのがこの本の目的です。

誤解による対人葛藤の例を小説にもとめると,夏目漱石の『坊っちゃん』にそのような対人葛藤とその後の仲直りまでの経緯が描かれています。古典的名作なのでストーリーをご存じの方も多いと思いますが,あらすじの一部をここで紹介する無粋をご容赦ください。松山の中学校に数学教師として赴任した主人公の坊っちゃんは,同僚の数学教師の山嵐といくつかの誤解が原因でケンカをします(あるいは,一方的に坊っちゃんが山嵐に腹を立てたといった方がよいかもしれませんが)。ケンカの一つの理由は,その学校の生徒が坊っちゃんをいたずらでからかったことです。生徒のいたずらに怒りが収まらないでいる坊っちゃんに対して,教頭の赤シャツが,生徒をそそのかしたのは山嵐だろうとほのめかしたのです。それで坊っちゃんが山嵐に腹を立てていたところ,追い打ちをかけるように,山嵐が坊っちゃんに下宿を出ろと言ってきます。坊っちゃんの下宿は山嵐の紹介で決まっていたのですが,下宿の主人が坊っちゃんの横暴に手を焼いて困っているので出て行ってほしいと山嵐に相談したというのです。こういったことがタイミング悪く重なって,二人は口をきかなくなります。

そのうちに,当地の中学校の事情がわかってきた坊っちゃんは,山嵐と赤シャツは折り合いがよくないことを知ります。そして,山嵐が生徒をそそのかしたというのは赤シャツの噓だったということに気づきます。そうすると,坊っちゃんとしてはなんとなく虫が好かない赤シャツとはつき合っていて,授業や下宿のことを気にかけてくれた山嵐とは口もきかずにいるというのがばからしくなってきます。ですが,坊っちゃんには山嵐と仲直りしにくい事情があります。というのは,赴任した直後,坊っちゃんは山嵐に氷水をおごってもらったのですが,ケンカしたときにその代金の一銭五厘を山嵐につき返してやろうと,山嵐の机に置いたのです。山嵐はそれに手をつけず,一銭五厘は山嵐の机の上でほこりをかぶっています。この一銭五厘が二人の間の心理的な壁となって仲直りのきっかけがつかめずにいました。

そんなある日,山嵐の方から坊っちゃんに声をかけてきました。下宿の主人が坊っちゃんが横暴だと言ったのは,坊っちゃんに何かを売りつけようとしたら断られたことへの腹いせだったことがわかったのだそうです。山嵐は誤解によって坊っちゃんを下宿から追い出したことを謝ります。渡りに船で,坊っちゃんはこのタイミングで一銭五厘を山嵐の机から回収します。こうしていくつかの誤解がとけ,二人は無事に仲直りを果たします。誤解がとけたこともありますが,ストーリーが進むなかで赤シャツが二人にとっての共通の敵になったことも,二人が関係を修復できたことの一因かもしれません。

坊っちゃんと山嵐は誤解がとけて仲直りできましたが,シェークスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』では,長い間いがみ合ってきたモンタギュー家とキャピュレット家が和解するためには大きな犠牲が必要でした。両家の和解が実現したのは,モンタギュー家の息子ロミオとキャピュレット家の娘ジュリエットが亡くなった後でした。二人が命を絶つにいたった理由のおおもとは両家の対立にあります。二人はふとしたことから恋に落ちましたが,対立する両家の息子と娘が結婚することは,どうしても許してもらえませんでした。一計を案じたジュリエットは服毒自殺を偽装しました。ところが,ちょっとした手違いのためにロミオはジュリエットが本当に死んでしまったと思い込み,絶望して自殺してしまいます。そして,そのことを知ったジュリエットも後追い自殺をしたというのが五〇〇年以上読み継がれている有名な悲劇のあらましです。両家の家長は,ともにこのような大きな犠牲を払ってやっといがみ合うことのばからしさを悟り,和解することができました。

どちらも創作の中の仲直りではありますが,和解せずにいがみ合い続けることのばからしさとともに,それにもかかわらずなかなか和解することができない現実がよく描き出されています。いがみ合うのはばからしい,だけど仲直りも難しいというのは,古今東西の人間社会に通底する問題なのかもしれません。このような名作の中に仲直りの例をもとめていると,仲直りとはなんとも人間臭いことのように思えてきます。そう,対人葛藤には家族代々の宿怨によるものもあれば,ちょっとした誤解が原因で生まれるものもあります。なかなか仲直りを切り出せないのは相手のことが恨めしくて仕方がないからかもしれませんし,面子にかかわるとかばつが悪いからかもしれません。

このように考えると,仲直りを理解するためには心理学でこれまでにわかっていることを総動員してかからなければならないように思えます。実際,仲直りの研究に取り組んだ心理学者(おもに社会心理学者,性格心理学者,臨床心理学者)の研究は膨大で,二〇〇五年にはHandbook of Forgiveness(直訳すれば,『赦しのハンドブック』)という六〇〇ページ弱の専門書が刊行されています。そして二〇一九年には,内容を刷新した第二版が出ました。本書では仲直りを被害者の赦し,加害者の謝罪の二つに分けて考えていきますが,そのうちの赦しの方だけでも全三二章の分厚い本になるのです。ちなみに,「ゆるし」には「許し」という漢字もありますが,こちらは「許可する」という意味でも使われるので,本書では「赦し」の方を使うことにします。

赦し研究が多岐にわたるテーマを扱っていることは,二〇一〇年に発表された赦し研究のメタ分析論文にも見て取れます。メタ分析とは,過去に行われた実証研究のデータをひとまとめにして,過去の研究が全体として何を示しているのかを明らかにしようという研究方法です(メタ分析でなぜ過去の研究の結果をひとまとめにできるのかについては,第5章のコラム5―1を参照してください)。ライアン・フェアらの研究グループは,それまで個別の研究で赦しを促すかどうかが検討されてきたさまざまな要因に本当に効果があるのかどうかについてメタ分析を用いて総合的に検討しています。たとえば,性別の効果(女性は男性より赦しやすいのか,あるいは男性の方が女性より赦しやすいのか),年齢の効果(年をとると他者を赦しやすくなるのか,または赦しにくくなるのか)といったことを検討した過去の研究を集めて分析し直しているということです。ちなみに,このメタ分析の結果によれば,赦しについて男女差はありません。また,年齢については,年を重ねるにつれて他者を赦しやすくなるという傾向が弱いながらも見られました。このように赦しを促すかもしれない要因が全部で二五種類も分析されています。つまり,これまでに心理学者は赦しだけで少なくとも二五種類の要因が関係しているかもしれないと調べてきたということです(二五種類の要因がどのようなものだったかについては,「はじめに」の最後につけているコラム0を参照してください)。

この本では,こういったこれまでの心理学の積み重ね全体にまんべんなく注意を払うことをしません。むしろ,複雑になってしまった赦しの研究を見通しよくまとめてみたいと思います。そのとき,できれば恣意的なまとめ方にならないようにしたいと思います。そこで,人間に限らずさまざまな生き物の行動に当てはまる進化論に依拠してまとめていきます。つまり,進化心理学的なアプローチをしようということです。ですが,わざわざ生物学の理論をもち出すと,心理学の中だけで検討していても複雑になってしまう研究領域をさらに複雑にしてしまうことにはならないでしょうか。その点はご安心ください。進化論というどんな生き物にも当てはまる理論を使うことで,人間だけにしか当てはまらない細かな要因を抜きにして,どんな生き物にも当てはまる仲直りの本質を浮かび上がらせようという企図なのです。

進化論や進化心理学という学問については第2章でくわしく説明しますが,少しだけ先に説明しておきます。進化心理学という分野は,身体の作りだけでなく心の働きも,環境に適応したものが残り,環境に適応しないものが生存できない・繁殖できないという形で淘汰される結果形作られるのだと考える心理学の一分野です。たとえば,サバンナで生活していた私たちの祖先の中に,ライオンのような大型の肉食獣を見てもちっとも怖がらずに逃げもしない人と,肉食獣の気配を察知するとすぐに安全な場所に逃げ込む人がいたとします。どちらが適応的でしょうか? ここで適応的という言葉は,「しぶとく生き残り,多くの子孫を残す」という意味で使っています。答えはほぼ自明に思えます。肉食獣の気配があるとすぐに隠れる方が生き残りやすいに違いありません。これは少し単純化した例ですが,このような形での自然淘汰が続けば,ヒトという動物には肉食獣に敏感で,肉食獣の気配を感じたら逃げ出すような傾向が進化することになります。このようにして私たちヒトに定着した心の働きはそう簡単にはなくなりません。多くの場合,進化には長い時間を要するからです。

このように書いてくると,勘の鋭い読者の方は,この本で扱おうとする内容をすでにお察しかもしれません。なるほど,それでは私たちの祖先でいざこざの後にすぐ仲直りできる者と,そうでない者がいたら,仲直りできる者の方が適応的だったので,私たちは仲直りする心の働きをもっていると言いたいのだなと。拍子抜けしないでほしいのですが,煎じ詰めるとそのとおりです。でも,こんな一言に要約できるということは,筆者がただでさえ複雑な領域をさらに複雑にするために進化論をもち出しているわけではないということはおわかりいただけたのではないでしょうか。

それにしても,筆者はわざわざ一冊の本を書いて,この一言に要約できることを説明しようとしているのです。それはそれで無駄なことのように感じられるかもしれません。ですが,この単純なことが,よくよく考えていくとなかなか難しい面をもっています。冒頭で例に挙げた坊っちゃんはかなりせっかちな人なので,煎じ詰めた結論が聞けたのでもういいと言ってこの本を投げ出すかもしれません。ですが,こんな単純な話の裏に何があるのだろうかと思われる読者には,せっかく手にとったのも何かの縁と思って読み進めていただければと思います。

たとえば,仲直りできる方ができないよりも適応的というのはヒトだけに当てはまるのでしょうか。『坊っちゃん』や『ロミオとジュリエット』に描かれる仲直りは,とても人間臭い営みでした。だとすれば,ヒトの進化に特有なことなのでしょうか。ヒトは大きなまとまりとしては霊長類という,いわゆるサルの仲間に入ります。現在地球上に存在するサルの仲間で直立二足歩行をするのはヒトだけですし,言語を使ってコミュニケーションするのもヒトだけです。この他にもヒトには他のサルの仲間と比べて特別なことがあります。それは脳が例外的に大きく,他のサルには見られないくらい大きな集団を形成するということです。

ヒト(ホモ・サピエンス)がはじめてアフリカに出現したとき,私たちの祖先は狩猟採集の生活をしていたと考えられています。現代の狩猟採集民は,その意味で私たちの祖先の生活をうかがい知る手がかりとなります。彼らが日常的に社会関係をもっている人の数は,平均すると一五〇人くらいですが,これがサルの仲間が作る群れとしては格別に大きいのです。人類学者のロビン・ダンバーは,ヒトを含むサルの脳の大きさ(もう少し丁寧に言えば,高次の知性に関係する新皮質という部位が脳全体に占める割合)がそのサルが普段生活している群れの大きさと関係があることを発見しました。普段大きな群れで生活しているサルほど脳が大きいのです。群れが大きければ,誰が仲間で誰が敵か,また敵の敵は仲間かもしれないけれど,敵の仲間は敵だといったように,群れの中の社会関係の複雑なありようを把握しておかなければなりません。それができないと,気づいたときには群れの中に居場所がないといった致命的な事態に陥ってしまうかもしれません。サルの仲間では複雑な社会関係を把握するために脳が大きく進化したというダンバーの説は社会脳仮説と言われます。ヒトは群れも大きく脳も大きいので社会脳仮説が当てはまっています。その意味では,ヒトも例外ではありません。ところが,群れの大きさと脳の大きさのグラフを作ってみると,ヒトの群れの大きさ・脳の大きさはどちらも他の霊長類と比べて例外的に大きいので,グラフのかなり右上のあたりにポツンと孤立してしまいます。そういう意味で,ヒトは特別なのです。

もし仲直りが複雑な社会関係に埋め込まれているからこそ必要なのであれば,仲直りは進化的にも人間特有の,本来的に人間臭い営みだといえます。ところが,どうもそうではないのです。多くの動物がケンカの後に仲直りすることが動物行動学の分野で報告されています。つまり,仲直りの進化を考えるときには,ヒトのことだけを考えていてはいけないのです。これは,研究をするためにはラッキーなことでもあります。もし,仲直りがヒトに特有の営みだとしたら,一五〇人という非常に大きな集団で起こるとても複雑な営みだということになり,その理を理解するのはとても難しい作業になるでしょう。ところが,もっと単純な社会をもつ動物でも仲直りが見られるのだとしたら,仲直りはもっと単純な社会をモデル化して理解できるということになります。この単純化を推し進めると抽象的だけど単純で分析しやすい進化ゲーム理論のモデルに行き着きます。

そのため,この本は「進化生物学のモデル研究」「動物行動学の研究」「心理学の研究」を行ったり来たりしながら進んでいきます。モデルによる理解,動物行動学での研究結果が「仲直りの理」の理解を助けてくれます。それを理解した後,ヒトの仲直りの理解へ進んでいきます。読み進めていただくとき,難しいと感じることがあれば,煎じ詰めれば著者が言いたいことは「私たちの祖先でいざこざの後にすぐ仲直りできる者と,そうでない者がいたら,仲直りできる者の方が適応的だったので,私たちは仲直りする心の働きをもっている」なのだと思い返してください。言わんとすることはこのように単純なのに,きちんと踏み込んで理解しようとすると複雑なのだと言いました。この煎じ詰めた理解を意識していると複雑な部分も読み進めやすくなるのではないかと思います。

また,先にお断りしておくと,この本はどのようにしたら仲直りできるのかについてのハウツー本ではありません。この本を読み通した後,仲直りっていうのは簡単だけど難しいなという,ある意味で矛盾した感想をもっていただくのが筆者の目標です。ハウツー本であれば,仲直りって意外と簡単なんだなと思ってもらうことが目標になるでしょう。だけど,この本を読み終わったみなさんには,理屈は簡単だけど,実践するのはなかなか大変なものだなあという感想をもってほしいのです。仲直りはなかなか大変だということを理解していると,そもそも対人葛藤なんて割に合わないから避けられるものなら避けたいと思えるかもしれません。そう,対人葛藤なんてないにこしたことはないのです。

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メディア掲載

『週刊文春』2021年11月4日号の吉川浩満氏「私の読書日記」にて取り上げられました。『週刊文春』2021年11月4日号

『朝日新聞』2021年11月13日朝刊の「読書」に書評が掲載されました。評者は坂井豊貴氏(慶應義塾大学教授)。朝日新聞読書欄「『仲直りの理』書評 加害者を許せば被害者も癒える」

『FRAGRANCE JOURNAL』2022年1月号の「活字散策」に掲載されました。『FRAGRANCE JOURNAL』2022年1月号

『社会心理学研究』38巻1号に書評が掲載されました。評者は中川裕美氏(東北福祉大学助教)。『社会心理学研究』38巻1号