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行動主義の心理学

 

J. B. ワトソン著/安田一郎訳

発行日: 2017年5月15日

体裁: 四六判並製400頁

ISBN: 978-4-908736-02-5

定価: 2800円+税

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電子書籍あり

内容紹介

行動主義は、なぜ心理学を席巻したのか?

ワトソンが提起した問題とは?

1910年代に行動主義を提唱して心理学に旋風を巻き起こし、37歳の若さでアメリカ心理学会の会長に選出されたワトソンの代表作。情動、発達、言語、記憶、思考やパーソナリティーなど、人間心理の諸側面を、行動の科学的な分析から探究する道筋を示し、その後の心理学に多大な影響を与えた「行動主義宣言」とはいかなるものなのか。いま読んでおきたい心理学の古典的名著、待望の復刊! 新しい組版で読みやすく。

目次

第1章 行動主義とは何か

●古い心理学と新しい心理学の比較

第2章 人間の行動を研究する方法

●問題、方法、テクニック、結果の見本

第3章 人間のからだ(その1)

●その構造、結合の仕方、機能―行動を可能にさせる構造

第4章 人間のからだ(その2)

●その構造、結合の仕方、機能―日常の行動において腺の演ずる役割

第5章 人間に本能があるか(その1)

●才能、傾向、およびいわゆる「精神的」特性の遺伝という問題について

第6章 人間に本能があるか(その2)

●人間の子供の研究はわれわれに何を教えるか

第7章 情動(その1)

●われわれはどういう情動をもってこの世に生まれてくるのか。われわれはどういうふうにして新しい情動を獲得するのか。われわれはどういうふうにして古い情動を失うのか。―この分野の一般的概観といくつかの実験的研究

第8章 情動(その2)

●われわれはどういう情動をもってこの世に生まれてくるのか。われわれはどういうふうにして新しい情動を獲得するのか。われわれはどういうふうにして古い情動を失うのか。―われわれはどういうふうにして、情動生活を獲得し、変え、それを失うかということについてのその後の研究と観察

第9章 手を使う習慣

●どういうふうにそれは始まり、われわれはどういうふうにしてそれを保持し、どういうふうにそれを捨てるか

第10章 しゃべることと考えること

●正しく理解したとき、「精神」のようなものがあるという作り話をどれくらい打ち破れるか

第11章 われわれはつねにことばで思考するか

●それともからだ全体で思考するのか

第12章 パーソナリティー

●パーソナリティーというものは、われわれが形成した習慣の結果にすぎない

著者

J. B. ワトソン(John B. Watson)

1878年サウス・カロライナ州生まれ。元ジョーンズ・ホプキンス大学教授。1915年にアメリカ心理学会会長に選出。1920年にスキャンダルのために教職を追われ,実業界に転身し,研究を続ける。1958年にニューヨークにて死去。

訳者

安田一郎(やすだ・いちろう)

1926年生まれ。元横浜市立大学教授。医学博士。主要著作に,『感情の心理学―脳と情動』(青土社,1993年),『フロム』(新装版,清水書院,2016年)。他に翻訳書多数。

まえがき

一九一二年にはっきりとした形で提唱されてからこのかたの行動主義運動の歴史をふりかえってみると、ちょっと見ただけでは、なぜ行動主義がこのような嵐にたえずさらされなければならなかったかがわからないだろう。

私が一九一二年にコロンビア大学で行った講義と初期の著作で展開しようと努めた行動主義というものは、一つのことをなす試みであった。すなわち、多数の研究者が人間以下の動物の研究で多年の間有益だと信じてきたのと同一の種類の操作と同一の記述用語を、人間の実験的研究に応用することであった。そのときわれわれは、人間は行動のタイプという点でだけ、他の動物と違っている、と信じたのである。この確信は今でも変わらない。

私がこの確信を強制したために、波瀾が起こったのだと、思う。それは、ダーウィンの『種の起源』が出版されたときあらわれたのと同じ型の反抗を招いた。人間は、自分を他の動物と同じ綱に分類されたがらない。人間は、自分は動物だが、「プラスX」をもっているということを喜んで認める。問題を起こすのは、この「プラスX」である。この「プラスX」の中に、宗教、来世の生命、道徳、子供の愛、両親の愛、愛国心等々として分類されるあらゆるものが入っている。心理学者としてのあなたが、ずっと科学的でありたいなら、あなたが屠殺した牡ウシの行動を記述するのに用いたのとまったく同じことばで、人間の行動を記述しなければならないというちょっとこわい事実が、多くの内気な魂を行動主義から遠ざけたし、今も遠ざけているのだ。

この反抗は、私の同僚が主張したように、行動主義者がその発見と確信を提出した仕方のために起こったのではない。われわれは、広告屋のくせにとか、いかめしい学術雑誌よりもむしろ一般の刊行物に結論を発表したとか、他の人が心理学の分野になんにも貢献しなかったかのように書いているとか、ボルシェヴィーキとか、と非難された。これらはみな、行動主義がだれかの聖なるウシの蹄を踏んだこと、すなわち行動主義が既存の事物の秩序をおびやかしていることを示す感情的な批判である。行動主義を受け入れることは、確立された古い慣習を捨てることを意味するし、快適な内観心理学を捨てることを意味する。そして内観心理学というものは、人々の慣習と一致するか、一致しないときでも、非常にあいまいなことばを用いているので、読者がそれに反発してはいけないものなのだ。

この嵐の結果、何が起こったか。第一に、新しい文献―批判の文献―があらわれた。このうちのあるものは個人的なもので、悪口雑言でさえあった。私は批判に決して答えなかった。ただまれに、行動主義を弁護するために立ち上がった人がいた。どの行動主義者も実験結果と理論を提出するのに忙しかったので、批判に答える暇がなかった。私がこれらの批判的な文を振り返ってみると、われわれが批判に答える労をとったならば、われわれの科学は明瞭になったろうと思いたい。というのは、われわれの立場のひどい誤解と曲解が心理学の文献の中に入り込んだからである。

しかしこのような批判があらわれたのは、むしろ当然だった。年配の心理学者の多くは、設備のいい実験室と多数の内観心理学の刊行物をもっていた。ところが行動主義は新しい実験室と、講義用の新しい用語を必要とする状態だった。また教授の経済生活さえあきらかにおびやかされていた。さらに、内観心理学派の二、三の年配の指導者のもとで訓練された青年たちは、先生のために強い槍をもって立ち上がる義務があると感じていた。ローバックの『行動主義と心理学』(一九二三年)は、この古典的な例である。ついでに言うと、彼はその中で、騎士道のルールをすべて危うく破りそうになっている。

しかし行動主義は大っぴらに受け入れられなくても、その影響は誕生以来一八年の間に大きくなった。このことを納得するには、行動主義誕生前一五年と誕生後一五年から一八年の間の雑誌の目次と表題について比較することと、以前と以後に書かれた本を比較することが必要である。研究題目が行動主義的になったばかりでなく、言いあらわすことばが行動主義的になった。今日、どんな大学も行動主義の講義を除外することができない。その方法と仮説を受け入れている大学もあるし、批判の目的で表面上それを教えている大学もある。若い世代の学生は、行動主義への手引きを少なくとも要求しているというのが真相である。

この版を書き直すにあたって、私は莫大な時間と努力を費やした。私も出版社も、初版〔一九二四年版〕の形式とスタイルに満足していなかった。初版は、一連の講義を印刷して大急ぎで出版したものであった。この新版では、まず第一に、私は、講演者が聴衆を居眠りさせないようにするために用いるあらゆる手管を取り去って、本のスタイルを変えようと努めた。また私は、すべての講演者に共通な大げさな話の多くを取り除こうと努めた。私は完全に新しい材料―最近の文献からの新しい結果と、私の理論的見地の変更にもとづく新しい材料―を一〇〇ページほどつけ加えた。また私は、二五~三〇ページの古くなった資料を削除した。とはいえ、一般的に言うと、私の見解は根本的には変わっていない。

私はジェンニングスの近著『人間性の生物学的基礎』(一九三〇年)に深い感銘をうけた。私は、遺伝子についての氏のすぐれた叙述を長々と引用したことについて、氏にとくにお礼を申し上げたい。さらに私は、初版とこの第二版について私に与えられた援助に対して、K・S・ラシュレー教授、H・M・ジョンソン博士、および私の会社の同僚ミス・アン・ユンカーに感謝を述べたい。

一九三〇年八月

ジョン・B・ワトソン

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澤幸祐「1913年と2017年の行動主義」