現象としての社交不安(1)

臨床心理学入門としての社交不安

社交不安という言葉を耳にしたことがありますでしょうか。社交不安とはいったい何なのか、どのように理解すればよいのか。臨床心理学のアプローチから研究を進められている大阪大学の佐々木淳准教授に、「現象としての社交不安」について解説していただきました。社交不安を「症状」ではなく「現象」としてとらえると、何が見えてくるのでしょうか。(編集部)

Author_SasakiJun佐々木淳(ささき・じゅん):大阪大学大学院人間科学研究科准教授。主要著作・論文にUnderstanding egorrhea from cultural-clinical psychology(Frontiers in Psychology, 4, 894, 2013,共著)『臨床心理学(New Liberal Arts Selection)』(有斐閣,2015年,共著)。→webサイト

私はこれまで「社交不安」という現象について、臨床心理学の立場から考えてきました。2000年当時、私が大学院生になった頃は、私も含めて身のまわりにいる人は「社交不安」という呼び名ではなく、「対人不安」とか「対人恐怖」という呼び方をしていたように思います。2008年に日本の精神医学の学会である日本精神神経学会が「社交不安障害」という名前を定め、近年、国際的診断基準DSMの最新版から「社交不安症」(1)という呼び名に変更されたのは記憶に新しいことです。ただし他にも対人恐怖、対人恐怖症、社会不安、社会恐怖、社会不安障害など、昔から使われてきた名称は今でも非公式には使われていますし、最近は「コミュ障」なんて言葉もよく聞こえてきます。こんなところから、人を前にしたときに人に起こる現象について、さまざまな人が関心を抱き、それぞれの抱いている微妙なニュアンスの違いを呼び名に込めているのがわかります。あなたもその1人なのかもしれません。そして、この名称がたくさんある背景には、どこからが病的でどこからが病的ではないのか、ということを明らかにし定めようとした歴史があるように思えます。

症状という「現象」

この連載は「現象としての社交不安」という題名ですし、先ほどから「現象」という言葉を使っているので、これを読んでくださる方の中には、「臨床心理学の専門家なのになぜ症状という言葉を使わないのか」と疑問に思った方もおられるかもしれません。これには2つ理由があります。

1つは、症状という言葉には何かしらネガティブな意味合いが自然とついてまわるからです。援助職の方は症状をいつも見馴れていますから、症状という言葉に特にネガティブな響きを感じずに使っていることが多く、耐性があります。しかし、一般の方にとってみたら症状という言葉に何か大変なこと、なくさなければならないこと、という印象を抱きかねません。例えば、「軽い症状がありますね」と援助職から言われたとしても、「今は軽いかもしれないけれどゆくゆくはなくすべきものなのだ」とか、「今は何とかなっているようだが、重くなったらどうしよう」という印象につながり、不安を感じることになるかもしれません。

社交不安に限らず、不安という症状が生じるのはごく自然な心の働きです。不安に限らず、落ち込んだりやる気が出なかったり……、なども症状といえば症状なのですが、何らかの状況に触れた反応としては、自然なものも多いはずです。このような意味合いから、私は一般の方には症状ではなく、現象という言葉を使うようにしています。大学での講義でも極力同様にしています。このような態度は「ノーマライジング」という考え方に近いことをはじめて大学院時代に知り、私の考えとの近さに嬉しく思ったものです。

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もう1つの理由は、社交不安は1人の人に生じる心理現象としての興味深さもあるだけでなく、それを取り巻く人の動きを含めて眺めてみるとなお人間らしさを感じさせてくれるからです。症状を取り巻く人々の動きなので、ある種の集団的症状という言い方もできるかもしれません。私にとってみれば、社交不安を発端に、それを取り巻く人間、ひいては社会の大きなダイナミクスまで感じさせる、まさに「現象」なのです。このあたりのことは、「症状なんだからなくさなきゃいけない」とばかりこだわると目が届きづらいところでしょう。このあたりは第3回、第4回のときに述べたいと思います。

もともとは卒業論文のテーマ探しから社交不安とのつき合いは始まりました。私にとって学部生のときからすでに、心理学とは身近な出来事の中に潜む心の動きを読み解くことのできる、面白い道具でした。卒論でも身のまわりの些細ともいえるような事柄からテーマを探そうと頑張っていましたが、なかなかそんなものは見つかりませんでした。なぜなら身のまわりには些細ながらも面白い事柄にあふれており、絞り込むことが難しかったからです。

そんなテーマ探しの中で出会ったのが、社会心理学者の菅原健介先生の『人はなぜ恥ずかしがるのか――羞恥と自己イメージの社会心理学』(2)という本でした。「恥ずかしさ」という、些細だと切り捨てられがちな現象に対して誠実に心理学のアプローチから取り組まれている様子に心を打たれ、立ち読みのときにすでにこれをテーマにすることを半ば決めつつ読み進めていることに気づきました。このようにひょんなことから「恥ずかしさ」の研究と出会い、今では少し派生して社交不安関連の仕事で生計を立てているので、不思議なことだと思います。残念ながら私は大学院入試がうまくいかず、他の卒論生よりも長くこの問題に取り組んだのですが、後に成果をいくつかの論文(3)にまとめることができました。塞翁が馬というものです。


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