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偏見や差別はなぜ起こる?

心理メカニズムの解明と現象の分析

北村英哉・唐沢 穣 編

発行日: 2018年7月31日

体裁: 四六判並製304頁

ISBN: 978-4-908736-10-0

定価: 2500円+税

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電子書籍あり

内容紹介

私たちはなぜ偏見をもち,差別をしてしまうのでしょうか? 私たちの社会はどのような偏見や差別に関する課題を抱えているのでしょうか? 第1部では偏見や差別が起こる心理メカニズムを解き明かし,第2部では現代社会のさまざまな領域での偏見や差別の現象を心理学的アプローチを用いて分析します。偏見や差別の問題に,心理学はどのように迫り,解決への道筋を示すことができるのか。第一線の研究者が解説した決定版。

目次

第1部 偏見・差別の仕組み――心理学の理論と研究から読み解く

第1章 ステレオタイプと社会的アイデンティティ ●大江朋子

第2章 公正とシステム正当化 ●村山 綾

第3章 偏見・差別をめぐる政治性―象徴的偏見とイデオロギー ●唐沢 穣

第4章 集団間情動とその淵源 ●北村英哉

第5章 偏見の低減と解消 ●浅井暢子

第2部 偏見・差別の実態と解析――さまざまな集団・社会的カテゴリーに関する偏見と差別

第6章 人種・民族 ●高 史明

第7章 移民 ●塚本早織

第8章 障害 ●栗田季佳

第9章 ジェンダー ●沼崎 誠

第10章 セクシュアリティ ●上瀬由美子

第11章 リスク・原発 ●樋口 収

第12章 高齢者 ●唐沢かおり

第13章 犯罪 ●荒川 歩

編者

北村英哉(きたむら・ひでや)

東洋大学社会学部教授。主要著作:『社会心理学概論』(ナカニシヤ出版,2016年,共編),「社会的プライミング研究の歴史と現況」(『認知科学』20, 293-306,2013年),『進化と感情から解き明かす社会心理学』(有斐閣,2012年,共著)

唐沢 穣(からさわ・みのる)

名古屋大学大学院情報学研究科教授。『責任と法意識の人間科学』(勁草書房,2018年,共編),The emergent nature of culturally meaningful categorization and language use: A Japanese-Italian comparison of age categories(Journal of Cross-Cultural Psychology, 45, 431-451,2014年,共著),『社会と個人のダイナミクス』(展望 現代の社会心理学3,誠信書房,2011年,共編)

はしがき

「偏見や差別のない社会を目指して」といったフレーズを、日常生活のあちらこちらで目にする。地方自治体の庁舎に掲げられた横断幕や、電車の車内広告など、行政による広報の一環として見かけることもあれば、市民講座などのテーマにもしばしば設定されている。高校の授業でも、「公民」、とくに「倫理」の時間には、この問題が取り上げられている。これほど広くいきわたったスローガンであるにもかかわらず、偏見と差別が、なかなか解決できない問題であることもまた、多くの人が直接・間接の経験を通して知っている事実だといえるであろう。

私たちの社会にしばしば顔を出す、偏見や差別の原因は、いったいどこにあるのだろうか。また、偏見や差別を解消するためには、どのような方策が有効なのだろうか。こうした問いに答えようとしてきた、社会科学のさまざまな分野のうち、社会心理学が、現時点でもち合わせている解答を示し、その成果と限界について考えようと試みるのが、本書である。

偏見と差別の原因、そしてその解消をめぐる先述の問いに答えるためには、さまざまなアプローチが可能であろうし、現に、異なる立場から、異なる方法を用いた取り組みが、これまでになされている。実践的な立場をとる人たちの間では、偏見や差別の現場に身をおいて、そこで得られる具体的な経験をもとに原因の究明と解決への試みが続けられている。学術的な立場からは、人間や社会に作用する、さまざまな「原理」についての知識をもとに、本質的問題の理解と論理的な解決が図られている。こうした「実践」と「学術」のうち、どちらがより優れているかとか、どちらが社会の役に立つのかといった議論は無意味である。実際、偏見や差別の解消を目的とした政策が立案される場合などは、双方からの意見が求められるのが現実であろう。本書の、あちらこちらで指摘される通り解決が難しい、この種の問題を前に、「役立つ」事柄があるのなら、それこそ分け隔てなく何でも使ってほしい。本書の各章を担当した執筆者はいずれも、そのような願いを胸に、主として学術的なアプローチを続ける研究者たちである。と同時に、その各人が、多かれ少なかれ何らかの形で実践にも携わってきている。

本書をぜひ手にとって読んでいただきたいと、執筆にあたって念頭においたのは、幅広い層の読者である。一般的な教養としての社会心理学に対する興味から、あるいは心理学を学ぶ学生として、さらには偏見と差別の問題に取り組む実践の立場からなど、さまざまな関心や必要に対して、偏見や差別を引き起こす心理的な仕組みと、その実態を解説することで、広いニーズに応えたいという、強い願いが込められている。

幅広い読者層を想定してという理由から、最初に社会心理学の教科書めいた解説を若干加えることをお許し願いたい。まず、社会心理学が考察の対象とする「偏見」や「差別」とは、典型的には、何らかの社会集団や、社会的カテゴリー(性別、人種、年齢層、居住地域といった多種多様な「分類」)に対するものである。たとえば「これはXさんがつくった料理だから、おいしい(または、おいしくない)に違いない」というのも、日常用語では「偏見」の一種と呼ばれるかもしれない。ところが、社会心理学が扱う偏見とは、こうした一個人に対する先入観ではなく、「この料理をつくったXさんは、Yという集団(またはカテゴリー)の一人だから……」という、集団への所属性(「成員性」と呼ぶこともある)がもとになったものを指す。

さらに、すでに心理学になじみのある読者なら、ここで扱われる問題が、集団間の「態度」に関わるものであることに気づかれるであろう。日常用語でも「態度」とは、身体の姿勢や動作といった目に見える外面的なものを指すと同時に(「幸せなら態度で示そうよ ほらみんなで……」)、それが表現していると思われる内面的な心理状態を総称したものであるように、社会心理学の概念としての態度も、「認知的」「感情的」「行動的」という三つの要素をもつとされる。具体例として、ある商品を購入するかどうかを決定する際の土台に、その商品に対する知識や購入の結果についての予測(認知的)、理屈抜きの好き・嫌いの感覚や買った後にわき上がる幸福感・後悔(感情的)、思わず手が伸びたり視線が釘づけになったりする(行動的)といった要素から成る、まさしく「態度」があることを思い浮かべるとよい。これと同様に、ある集団に属する人々に対して、特定の性格や資質を「みんながもっている」ように見えたり信じたりする認知的な傾向が「ステレオタイプ」、これに好感、憧憬、嫌悪、軽蔑といった感情を伴ったものが「偏見」、そしてこれらを根拠に接近・回避などの行動として現れたものが「差別」である。こうした区別を前提にすると、本書の各章で紹介される研究のそれぞれが、どういう目的で行われ、どのような心理学的知見をもたらしたかが、さらにわかりやすくなるであろう。

社会心理学そのものが、二〇世紀初頭の西欧型社会、とくに北米で盛んになったように、偏見・差別の研究も、まず当時の北米において大きな進展を示した。二つの世界大戦を経た時期のおもな関心を、ごくおおざっぱにまとめると、偏見をもたれやすい集団の特徴と、偏見をもつ側に見出されやすい性格傾向の特定、あるいは欲求の抑圧がもたらしたフラストレーションが攻撃的な差別行動に至る可能性の検証といったものであった。この時代の心理学全体の動向も、そこには反映されている。その後、一九六〇年代に人権意識の高まりが、黒人や女性といった少数者の解放運動に至った時代には、集団間の対立と和解という観点が、偏見と差別の研究を後押しする。さらに、〝me-ism〟と呼ばれた自尊感情重視の一九七〇〜八〇年代には、集団版自尊感情の一種ともいえる「社会的アイデンティティ」というヨーロッパ社会心理学界に端を発する観点が、新たな発想を生んだ。一方、人間の知的な側面を情報処理という観点から解明しようとする、「認知革命」と呼ばれるパラダイム転換が心理学を覆うと、集団間態度の認知的側面といえるステレオタイプの研究が人気テーマとなった。記憶や推論といった認知過程をおもな関心とする心理学分野の全体が、「無意識」の領野である潜在的認知の検証を手がけるようになると、偏見やステレオタイプの無意識的な側面がおおいにクローズアップされ、多くの発見をもたらした。

さて二一世紀を迎えて、「グローバル化」といわれる社会変動が世界的な広がりを見せるのに伴って、人間の社会活動の範囲は、人種・民族・宗教といった壁を越えて拡大し、集団の違いを根拠としたステレオタイプや偏見・差別を克服することの必要性が、ますます高まりつつある。にもかかわらず、偏見や差別、集団間の対立や排斥の傾向は、いっこうに解決しないどころか、新たな顔を見せながら深刻化しているのが、昨今の世界情勢である。こうした世相を反映してか、近年では、偏見やステレオタイプを、個人の感情や認知の問題としてだけでなく、異なる社会層の「共生」や「正義」「公正」といった、広範な社会に共有された価値観との関連で理解しようとする研究が目につく。

このような社会全体の歴史的変化と、それをかなりの程度まで反映していると思われる研究動向の変遷を経て、偏見・差別研究が現在どのような姿を我々に示しているのかを、本書の各章が紹介し解説する。第Ⅰ部では、ステレオタイプや偏見、差別が「なぜ」「どのようにして」生まれるのか、その心理メカニズムについて考える。そこでは、認知、感情、動機づけといった、心理学の各分野で広く見出される基本的な原理に沿って説明がなされる。第Ⅱ部では、具体的にどのような集団や社会的カテゴリーに関する偏見や差別の問題に、社会心理学的な理解の仕方を適用できるのかを、いわば例題をもって示していく。ステレオタイプ、偏見、差別が、人種や民族、移民、障害、ジェンダー、セクシュアリティ、リスク・原発、高齢者、それに犯罪といったじつに多種多様な集団や社会的カテゴリーを対象にしながら、現に私たちの周囲に広がっていること、そして、その一つひとつに対して、社会心理学的な研究がどのように挑んできたかが、ここに記されている。

偏見や差別の問題は、欧米などの社会では問題かもしれないが、「均質な日本社会」では、もはや解決ずみ、あるいは主要な社会問題ではないといった言説を、時に見聞きする。そもそも何をもって「均質」とするか、またそのような言説の真偽の、いずれもが重大な実証的課題であるが、それは本書の中心問題ではないのでいったん脇におくとして、偏見と差別の存在に気づかない、あるいはあえて気づかないふりをするかのような傾向が、日本社会にあることの問題性を考えることが、ぜひとも必要である。

日本国憲法第一四条には、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と記されている。制定当時、どのような社会的カテゴリーに対する「差別」が重要視されていたかを物語っている点があらためて注目されるとともに、これが「国民の権利及び義務」を記した第三章におかれていることも含蓄に富む。また、この宣言は、日本国民の権利と義務だけに関わるものではなく、世界の多くの人々の同意を得るところであろう。冒頭で述べたように「偏見や差別のない社会を目指す取り組み」は、今日も国政や地方自治体の施策はもちろん、民間の企業や団体の意見表明にも、しばしば登場する。社会心理学という社会科学の一分野が、この目標に向けて続けてきた、地道ではあるが不断の努力の成果を、ひも解いていくことにする。

二〇一八年六月

唐沢穣

あとがき

永年の思いがかなった。

これは言い過ぎかもしれないが、偏見、差別についてはそれだけの研究的思い入れがあったからだ。特段自分の個人的な生い立ちで差別を痛切に感じざるをえない境遇など言い立てるようなことはなかった。ただ関西方面のよくある状況として、通っている小学校にいわゆる被差別部落地区が含まれているというようなことはあった。

「外れることで批難を受ける」。これは差別である場合も集団、カテゴリーでなく、個人である場合もそういったことには敏感であったように思う。なぜたんに「標準」からずれるだけで人からあれこれ論評、批難されないといけないのか。それぞれはそれぞれでいいじゃないか。これは高校時代あたりからずっともってきた基本的な疑問であり、現在もダイバーシティ社会の確立にあたって意義も高まってきている問いではないかと考えている。

大学で障害者関係のサークルに入り、障害者問題をずっと考えてきた学部時代、自分の専門ではそうしたことを選びはせず、結局「社会的認知」という領域をやってきたが、自分にとっての対人認知研究ははじめからずっと「なぜ認知はかくも歪むのか」という問題だった。その裏には「もっと公正な認知のあり方」への希いのようなものがあった。

一九八〇年代頃から日本でもメジャーになり出した偏見・ステレオタイプの研究の端っこに乗っかりながら、あまり周囲には「ステレオタイプの研究者」という認識のされ方はなかっただろうと思うが、それは自分の中に「認知だけでステレオタイプ、偏見に迫ってよいのか?」という葛藤がずっとあったからだ。歴史や社会状況、制度といったものが根本の解決には一番重要で、制度や状況に引きずられて人々の「認知」があるのではという思いはぬぐえなかった。どうせやるなら、もっと社会的要因を加味したかったのである。実際、社会心理学研究の流れは非常に興味深く、一九七〇年代末から社会心理学領域に「認知革命」が押し寄せて以来、集団認知、ステレオタイプは常に社会的認知研究の一つの中心テーマであったが、ほどなくヨーロッパ心理学の系譜から社会的アイデンティティ理論が登場し、問題の社会的性格をより強め、現実の内集団・外集団にまつわる事柄がどんどんと取り上げられ始めた。

偏見は社会心理学研究の研究土壌におけば一つの「態度」研究ともいえるだろうが、態度には「認知成分」「感情成分」「行動成分」の三つの成分がある。これをこの分野におけば、ステレオタイプ=認知、偏見=感情、差別=行動とおよそ対応づけができる。差別の一部は行動として法令にも触れるから明白に禁じられる違法行為であったりするが、その周辺にはモラルやマナーの問題とされるグレーゾーンと回避的差別のように差別ではないと言い張る人々も一定数いるような行為や自分自身も差別と自覚しない意図の隠れた回避的行動といったものもある。そういう行動成分の差別行動と比べると「偏見」という感情は「誰しも思うだけは自由」「感情は取り締まれない」という論理から野放し領域でよいと論じる人もいれば、一方で、普段からの偏見がいざというときの差別行動につながるのだから、行為者の良心において「自分は差別したくない」「そして偏見をもつのも嫌だ」という主体的な決意を重視することもできるだろう。そうしたときに、自身の「偏見を減らす」道筋を知らせたり、「気づかない偏見」のあり方を示したりすることもこの領域の研究者にとって重要な責務の一つであろう。偏見が高まる要因やメカニズムを検討し、逆に偏見を減じる条件を探索する。そうした試みが活発になされるようになるなかで二〇世紀末には新たな偏見測定ツールである潜在連合テスト(IAT)がマーザリン・バナージやアンソニー・グリーンワルドのもとで開発され、二一世紀の認知的偏見研究はIATの大流行という幕開けを迎えた。

しかし、発展はこれだけではない。

すでに一九九五年頃から動き出していた視点として、内集団びいき、外集団蔑視を柱とする社会的アイデンティティ理論は万全なのかという疑問とともに、自集団を蔑み、そこから脱出したいという強い思いをもつ現実のスラムにいる人々、そしてその反面、スラムの中で諦める人々の中においても恵まれた外集団が「羨ましい」と感じ、光り輝く世界と暗い鬱屈した世界を対照させながらも現状に甘んじる多くの人々に目を向けた「システム正当化理論」があった。この領域の第一人者であるジョン・ジョストがその理論をひっさげてイエール大学からPDとしてカリフォルニア大学サンタバーバラ校というステレオタイプ・偏見研究のメッカに鮮やかに登場した瞬間、幸い私は客員研究員としてその場に立ち会っていた。彼の理論は新鮮、斬新であったが、システム正当化という概念が難しく聞こえたのか、その社会学寄り、かつ哲学寄りのスタンスが近寄りがたかったのか、なかなか浸透が進まず、私も帰国後に周囲に吹聴したのだが何らの反応、賛同の声も当時はなかった。しかし、二一世紀に入る頃には、巧みな差別現象の発展とともに差別の阻害要因も注目を集めるようになる。根本のところでは誰しもが基本的人権を尊重するはずという文明化の流れはそうは簡単なものではなく、文明によってどんどん人は社会の中で生きやすくなるはずだという楽天的な思いが、世界レベルでの社会主義の崩壊の後、資本主義の一人勝ち(のはず)なのに本来の自由で住みやすい生き心地のよい社会が到来しないことの疑問を人々が抱き始めたのであろう(もちろん議論があるが資本主義陣営の素朴な理解の仕方では社会主義社会はしばしば一人ひとりの人権や自由を阻害する傾向をはらむ体制であると考えられていた)。

簡単に言って、政治の世界においても「資本主義の行き詰まり」が多く語られるようになり、人々と社会の関係についてもっともっと考え直していかなければいけないという思いも強くなってきたのだろうと想像される。ヨーロッパにおいてもアメリカにおいてもこの日本においても排外主義的な主張があらためていくぶんかの力をもち始め、さらに懸念される水準にまでそれを支持する勢いが広がる昨今、これは差別と直結する社会的事態の現代的な再到来ともいえるだろう。

人権に反する主張はみずからの人権に跳ね返り、社会的に強くない立場にいる者は容易にその足元、人権を脅かされる。それなのに、世界規模でそうした「不利な人が自分に不利な政策を支持する」という理性的理解ではとても信じられない事態の到来に知識人たちは戸惑い、あれこれ論評する羽目に陥ったが、その中でとりわけ有用な理論的切り口が「システム正当化理論」であった。むしろ時代の寵児になったともいえるこの理論と研究の産出現場に二〇一七年、二度目の在外研究の機会において私はニューヨーク大学でジョン・ジョストの研究室に立ち会い、一五名規模の院生たちがそれぞれの思いで、めいめいのフィールドでシステム正当化理論を活用している生の様子を目撃することができた。ジョンは有名誌からのインタビューを受け、現代アメリカの状況、世界の状況について論じていた。

最初の在外研究から二〇年の月日が経ち、自分自身がなしえた貢献の貧しさに愕然ともするが、この世界に対するせめてもの貢献として、日本語の書籍ではあるが、日本における現状をきちんと反映し、社会学領域ではなくても社会に関心をもつ社会心理学者たちがこうした問題にどう挑み、心理学の切り口から現代的問題とどう向き合っているのか、それを世間に伝える本を編集することとなった。偏見・差別分野への学術的貢献として、しっかりした章執筆担当者に集まってもらって一冊の成書にするという望みはかなった。

バナージとグリーンワルドの著作Blind spotの翻訳『心の中のブラインド・スポット』(北大路書房)を小林知博さんとともに刊行した直後、ちとせプレスの櫻井堂雄さんに声をかけてもらって、もっと現実に向き合ったハードな本をとの思いが募っていた私は渡りに舟と偏見に関わる書籍の企画に応じたけれども、自分の研究力、アカデミックさの不足から実行に向けた思いの空回りが続き、なかなか章立ての検討が進行しないなかで、世界的なアカデミックパワーで活躍中の旧知の唐沢穣さんに助けを求めたところ、やはりその判断に誤りはなく、その後はすいすいと企画は進展し、この本がなることになった。お二人に、そして執筆に参加してくださった執筆者の方々に深く感謝している。この本では、偏見、差別を説明するメカニズム、理論に主眼をおいた前半の理論編と自分たちの生きる世界に目を向けた研究をと思ってなされた積み重ねを見て取れる現状に向き合った分析を満載した後半の「現象の分析編」との二編からなる。これほどの分量で現状の分析をまとめたものは心理学領域ではこれまでなかったと思う。これとてすべての問題を扱いえているわけではなく、重要な問題の欠けている部分を指摘される方もいるかもしれないが今後の課題としていきたい。まずは一歩である。

こうした企画の仕込みに一人より二人、三人と、共同の作業の重要さを痛切に感じるとともに、そうした自己と他者との協力なしには歩めないこの世界に生きる人間たちが「共生」というマインドを忘れてよい未来が待っているはずがないとの思いも心に浮かぶ。いかに共生を成し遂げるか、その問いはこの書物だけでは簡単に解答を提出できないものであるが、常にその方向を見て、一歩一歩取り組むことこそが研究という営みである。

だから、ここで簡単に「永年の思いがかなった」などと言ってはいけない。これはたんに出発点だ。しかも自分は周囲の人々の力を借りて貢献を装っているにすぎない。自分でいったい何ができるのか問い続けながら、この問題に取り組み続け、発信し続け、それに続く人々、伴走する人々を応援し、誰もが脅かされることがなく、安全に街を行き来し、生活が営める社会の実現に向けていくばくかの貢献のできる人生を望むのだ。

二〇一八年五月

北村英哉

メディア掲載、書評等

日本グループ・ダイナミックス学会「書評コーナー」(評者は三船恒裕先生)

『毎日新聞』2018年10月7日,「今週の本棚」書評(評者は大竹文雄先生)