現象としての社交不安(3)

対人恐怖症は日本文化に固有の現象なのか?

社交不安を「症状」ではなく「現象」としてとらえると、何が見えてくるのか。臨床心理学のアプローチから大阪大学の佐々木淳准教授が、「現象としての社交不安」について解説します。連載の第3回は日本において研究が蓄積されている対人恐怖症、そして社交不安について、世界での受け止められ方や文化的な側面に焦点をあてます。(編集部)

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Author_SasakiJun佐々木淳(ささき・じゅん):大阪大学大学院人間科学研究科准教授。主要著作・論文にUnderstanding egorrhea from cultural-clinical psychology(Frontiers in Psychology, 4, 894, 2013,共著)『臨床心理学(New Liberal Arts Selection)』(有斐閣,2015年,共著)。→webサイト

「タイジンキョウフショウ」という言葉が外国の研究者の口から聞こえてくると、ちょっとびっくりしますが、対人恐怖症は「タイジンキョウフショウ」(Taijin-kyofusho)として海外でも通用する言葉なのです。ただし、この言葉の受け取られ方は時代によって変遷を続けてきました。これには文化という観点が大きく関わっています。第3回では、歴史的な推移を踏まえつつ、社交不安現象が文化とどう関係しているのかを考えてみたいと思います。

「対人恐怖症」の誕生と発展

社交不安がさまざまな用語で呼ばれてきたことは第1回でもお話した通りです。今でこそ、社交不安症はsocial anxiety disorderという名前で世界中に広まっていますが、それはこの40年ほどのことで、以前はそれほど共有された概念ではありませんでした。

それと対照的に、日本での研究や臨床は100年ほどの歴史を誇ります。20世紀初頭から活躍した精神科医である森田正馬が「対人恐怖症」を概念化したことが大きなきっかけです。対人恐怖症の1つである赤面恐怖を取り上げ「恥ずかしがる事を以て、自らふがひない事と考へ、恥ずかしがらないやうにと苦心する“負けおしみ”の意地張り根性である」と論じた(1)のは有名な話です。

対人恐怖症の研究が非常に盛んになったのが1970年代です。日本の精神医学の雑誌である『精神医学』で特集号が編集されました。文化に関する論考では、「対人恐怖に関する症例が確かにわが国において多いのは事実であり,そのことにわが国特有の文化形式が大きな影響を持っていることも事実であると思われる」と綴られています(2)。人との関係性を重んじたり、暗黙の了解が人づきあいの中にあったりなど、少しヤヤコシイ面も含んでいる日常を振り返ると、人前での不安や恐怖はきっと日本特有なんだろうと、すっと信じてしまうのではないでしょうか。

1970年代は対人恐怖症の概念にもう1つの色彩が加えられた時代でもありました。その中でも代表的なのは、笠原嘉の4つの分類です(3)。一言で対人恐怖症といっても、対人恐怖症の背景の発達段階や重症度によってずいぶん色彩が異なります。

まず、「発達的に青春期の一時期に見られる」対人恐怖症は、誰にも経験がある、青年期での自己意識の高まりを反映したものです。次は「純粋に恐怖症段階にとどまる」対人恐怖症で、不安の強度が強い状態です。次からが少し聞きなれないでしょうが、「関係妄想性をはじめから帯びたもの」が提唱されました。例えば、あの人が向こうを向いたのは自分からにおいが出ていて、それがあの人を不快にした結果、嫌われてしまったのだ、と自分のにおいと人の行動を結びつけて強く信じる特徴、つまり関係妄想性をもっている対人恐怖症です。この自己臭恐怖に加えて、自分の視線が相手に嫌な感じを与えてしまって相手から嫌われてしまうと強く信じる自己視線恐怖が「重症対人恐怖症」と位置づけられています。最後は「前統合失調症症状として,ないしは統合失調症の回復期における後症状」であり、統合失調症の前後に現れる漠然とした人への恐れがそれにあたります。

その他にもこの時期には、自分の考えが相手に伝わったと信じる自我漏洩症候や、思春期に特有の心理現象に着目した思春期妄想症など、人前での不安や恐怖の妄想性についての言及が増えました。これらは社交不安を主概念として、神経症から統合失調症へと変遷するスペクトラム(連続体)がイメージされています。この時期に提出された概念の特徴は、他者を不快にする、という加害性と、それを強く信じるという妄想性の2つであったと言えます。


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