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教育の〈自由と強制〉

矯正教育におけるナラティヴ実践の機能に関する教育学的研究

仲野由佳理 著

発行日: 2023年11月20日

体裁: A5判上製272頁

ISBN: 978-4-908736-34-6

定価: 4600円+税

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電子書籍あり

内容紹介

協働して紡ぐ〈変容の物語〉

教育の権力性を前提としつつ,自律的な主体形成はいかにして可能となるのか。矯正教育の現場である少年院と,社会生活への移行の場である更生保護施設での参与観察やインタビュー調査を手がかりに,法務教官や施設職員と少年とが協働して,〈変容の物語〉を創出し再構成していくナラティヴ実践の様相を描き出す。

目次

序章 本書の概要

第1章 矯正教育における「教育」の含意

第2章 矯正教育理論における言語化実践の位置づけ―矯正教育の戦後史から

第3章 矯正教育実践を読み解く手がかりとしての「ナラティヴ」

第4章 矯正教育における「規範」

第5章 ナラティヴ実践における調停/調整―葛藤の肥大化に対する解決・緩和戦略

第6章 物語生成における矯正教育の役割―創作オペレッタに見る〈教育的行為としての物語化〉の技法

第7章 更生保護施設における教育的介入のイデオロギー―矯正教育における〈変容の物語〉のその後(1)

第8章 困難を契機とした〈変容の物語〉の再構成―矯正教育における〈変容の物語〉のその後(2)

終章 自律的な主体への変容に向けたナラティヴ実践

補論1 法務教官研究への示唆―教師研究としての「法務教官」

補論2 ナラティヴ実践の学校教育への応用可能性―教育学研究への含意

著者

仲野由佳理(なかの・ゆかり)

2011年3月,東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科満期退学,2022年11月,博士(教育学)(日本大学)
現在,日本大学文理学部,日本女子大学,東京外国語大学非常勤講師,公益財団法人矯正協会矯正研究室特別研究員
主要著作:『犯罪・非行からの離脱』(分担執筆,ちとせプレス,2021年),『社会のなかの「少年院」―排除された子供たちを再び迎えるために』(分担執筆,作品社,2021年),「女子少年院における少年の『変容』へのナラティヴ・アプローチ―語りのリソースとプロットの変化に着目して」(『犯罪社会学研究』33, pp. 138-156,2008年)など。

はしがき

はじめて矯正教育の現場に足を踏み入れたのは,2006年のことだった。「援助交際」研究をしていた筆者は,それまで彼女たちが歩む「その後」を知るすべをもたなかった。2005年秋に「矯正施設における教育研究会」が結成されたとき,「ぜひ」と参加を決めたのも,インタビューで出会った彼女たちが少年司法手続きに基づく立ち直りの道を歩むことになったとしたら,それはどのような道であるのかを知りたかったからだった。そして,筆者はいくつかの「謎」に出会うことになった。
最初の「謎」に出会ったのは,はじめて調査を目的として足を踏み入れた,東北地方のある女子少年院だった。数日間にわたって実施された調査は,驚きの連続だった。正直なところ,少年院を「刑務所のようなもの」とイメージしていた筆者にとって,玄関前に大切に展示されていた少年の作品,明るく活気のある授業の様子,少年とにこやかに話す法務教官,そして話しかけられて嬉しそうな笑みを浮かべる少年の姿,何もかもが衝撃的だった。その一方で院内の生活は規則正しく,コミュニケーション上のルールに基づき,少年同士が自由に会話する姿を見ることはなかった。どんなに穏やかな時間が流れているように見えても,そこは間違いなく「少年院」(拘禁施設)だった。少年院の仕組みを学べば学ぶほど,きめ細やかな管理体制が採用されていることは理解できたのだが,だとすれば,この「穏やかな雰囲気」がどこから生まれているのかを説明することができなかった。教育施設としては最も厳重に管理された「少年院」という空間で,少年たちの活気のある「学ぼうとする姿勢」はいかにして育まれていくのか。これが最初に出会った,第一の「謎」である。
そして,もう1つの「謎」に出会ったのは,社会復帰を控えた在院少年や社会復帰を果たした少年へのインタビューを通してだ。複数の少年院で調査を実施する幸運に恵まれ,矯正教育の内容・構造,少年と法務教官の関係,それらと更生/立ち直りの関係など,多くの事柄に関するデータを収集・分析・考察することができた。法務教官の支援・援助を受け,みずからの加害や被害者に対する理解(弁償・弁済など)に真摯に向き合い続ける少年の姿は,それが必要な過程であったとしても,十代の若者としては痛々しいものだった。その姿は,彼らなりに「自分の犯した加害」「責任」に向き合おうとする強い気持ちを感じさせるもので,そこに「更生/立ち直り」への期待を寄せずにはいられなかった。そんな彼らが口にしたのは「社会に出たら変わってしまうかもしれない。でも,今の自分は噓じゃない。それを信じてほしい」という切実な言葉だった。
矯正教育の修了を間近に控えた少年(退院間近の少年)や修了直後の少年(出院したばかりの少年)は,入院直後の様子と比べれば,はるかに落ち着きを取り戻し,さまざまな知識や技術を身につけ,社会生活に対する明確なプランをもっている。そんな少年らが口にする「変わってしまうかもしれない」という不安,「今の自分も噓じゃないと信じてほしい」という願いは,どこから(何によって)生じるものなのか。矯正教育の修了者である彼らに待ち受ける「少年院生活のその後」とはどのようなものなのか。これが第二の「謎」である。
本書は,この2つの「謎」に挑むべく編まれたものである。幸運にも「矯正施設における教育研究会」という多領域の研究者で組織された研究会に参加できたことで,多くの質的なデータを得ることができた(研究会設立の経緯・成果は,広田他編2012を参照されたい)。また,調査の過程で出会った多くの矯正実務家の皆様の道案内のもと「矯正教育」の世界を隅々まで歩くことができた。多くの理解あるインサイダーの協力によって得られたデータの量・質は,既存の少年院に関する刊行物と比較しても,見劣りするものではないと自負している。
さて,少年非行・犯罪に対しては,さまざまな考え方があり本書のような内容には忌避感/嫌悪感をもつ読者もいるだろう。しかし,そのような読者にこそ,本書を手にとってもらいたい。公教育の理念に表れているように,教育の機会は万人に開かれており,私たちは「教育」という方法を用いて,「先を歩く者」が「後に続く者」を支援・援助する。「後に続く者」が過ちを犯したならば,それは「先を歩く者」の支援・援助の内容・方法に問題があるということだ。私たちが問わなければならないのは,「では,どうしたら取り返しがつかないほどの過ちを犯さずに歩いていけるのか」という教育や社会のあり方をめぐる問題であり,そのために議論を尽くすべきだと筆者は考えている。そして,これらの議論は少年非行・犯罪をめぐる多様な価値に基づき,行われる必要があるだろう。本書が挑んだ2つの「謎」に対する解が,その一助となれば幸いである。
そして,本章が挑んだ2つの「謎」に対する解は,現在の学校教育が直面するいくつかの問題を解読する手がかりにもなるだろう。詳細は序章で説明するが,他者に対する強制的・矯正的な営みである「教育」という方法と,子どもの自由(自主・自律,自治)を両立するのは,理論的にも実践的にも容易ではない。とくに,2019年の新型コロナウイルス感染拡大によって,子どもたちの安全のために,学校現場は「(児童生徒の)自主・自律,自治」の場面を減少させ,管理的な側面を強めるほかなかった。教師による管理された空間・時間の使い方を中心とし,児童生徒主体の協働的な活動の場を減じることでしか,学校での「安全」を確保する術がなかった。この世界的な危機も事態の終息を迎え,アフター・コロナ/ウィズ・コロナに向けて,新たにそのバランスを見直す時期にさしかかっている。本書が,それら議論の足がかりとしても役割を果たせるならば望外の喜びである。

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サイナビ!に書評「矯正教育と「ナラティヴ」の感動的な出会い」が掲載されました。評者は木村敦氏(公益財団法人矯正協会・矯正研究室長,元多摩少年院長)です。