パーソナリティのそもそも論をしよう(1)

小塩:先ほど方法論の話がありましたが、方法論の本がはやっているのは大学院生たちが切羽詰まっているからだとも思います。すぐに論文を書かなければいけないので、方法をどうするのかをマニュアル的に見なければいけないというのは時代の要請としてあると思います。遺伝のことも、構造方程式モデリングが双子のデータの扱い方を大きく変えたと思います。方法が1つできて定着すると論文が量産できるので、それで一気に遺伝のことも取り上げられるようになってきた。それまでは、一卵性と二卵性の相関係数が、という話をしていたのが、遺伝と環境を潜在変数で分離できることになったことで、一気に遺伝率、環境の影響力といったことが言えるようになったのが大きいかと思います。

渡邊:その間に遺伝学の進歩もすごくあったと思います。心理学者でも遺伝の指標をとるような人が遺伝について勉強する教科書に書かれてある基本的な知識というものは1960年代、70年代くらいのもので、それより前の40年代、50年代は遺伝学でも遺伝率なんてことはあまり言わなかったし、もっと遺伝決定論的なことがあった。遺伝学の進歩というものも、心理学者が遺伝指標を使えるようになったことと深い関係があると思います。

そうはいっても、また環境論の時代が来るだろうと思っています。これは何度も何度も繰り返されるもので、遺伝をベースにした研究がある程度続くと、1つはある程度やりつくされるという時期が来るし、方法論の問題点や欠点も見えてくることもある。そこから、新しいことに飛びつく人たちが環境に行くということが、繰り返し起きるんだろうなと思っています。若いみなさんは遺伝と環境の相互作用というのが、このままずっといくというイメージなんですかね。

小塩:新しい行動遺伝学の論文は非常に複雑で、遺伝と何かの交互作用のモデルが中心になっている。パッと見てもわからないし読み取れない。

渡邊:安藤先生がずっとなさってきたような研究って、私は環境の影響力がはっきりわかるようになったよな、という印象が強いんです。必ずしも行動遺伝学の研究が遺伝原理主義ではないし。

小塩:違いますよね。

渡邊:行動遺伝学的なものが主流になっていくのであれば、それは基本的な研究のパラダイムとしてはこのままずっと行くのかなというところはある。それにしても、遺伝的な部分に注目がおかれるか、環境の部分に注目がおかれるかということは時代背景で変わってくると思います。遺伝と環境の問題って、研究の方法論の問題でもあるけれども、もう1つは心理学の基本的なイデオロギーのような問題と関わってくると思います。

「変わるもの変わらない」に関して、2005年に『心理学史の新しいかたち』に「「遺伝と環境」論争が紡ぎだすもの」を書きました(13)。その本で遺伝を重視して見るということと、環境を重視して見るということの一番大きな違いは、遺伝そのものは変わらないもの、環境は変わるものなので、変わらないものを見るか変わるものを見るか、ということ。遺伝要因を見るということはそこから予測するということが大事なことになると思う。先日の日本心理学会でもいろいろな研究を見ましたけれど、遺伝指標からの予測ということが重視されていました。何年後、何十年後の幸福が遺伝指標から予測される、というような研究です。

遺伝指標を使うことと予測するということとは深い関係にあります。一方、環境志向というのは、制御、コントロールだと思う。昔、『性格は変わる、変えられる』という本(14)を書きましたが、環境の影響力があるということは、環境要因が大きく影響する性格変数があれば、環境をコントロールすれば変えられる、ということです。これは事実というよりはイデオロギーなんですよね、本当に変えられるかどうかはわからないですから。その2つの、変わらないものに準拠して予測するという方法論と、変わるものに準拠してコントロールする方法論って、100年前からずっと同じなんです。心理学が始まったときからずっと同じ。

ゴルトン(15)やピアソン(16)の心理測定学というのは、予測するものです。一方、環境論としてワトソン(17)は、子どもを与えてくれれば何にでもしよう、ということを言いました。その時代から、この2つの相反してしまうような研究の大きな方向性のイデオロギーが変わらずにあり、それがこっちに揺れてみたり、こっちに揺れてみたりしているように思います。それがおそらく、その時代のいろいろな時代背景に結びついているんじゃないか、と考えるようになりました。

この前の対談(18)でも話したのですが、ミシェルの本が出た1968年はどのような時代だったかというと、当時のアメリカのウエストコーストは、フラワー・ムーブメントでヒッピー、ドラック文化、サイケデリックがはやっていて、軽いものから重いものまで麻薬をいろいろ使って、その麻薬で意識のあり方を変える(altered states)ところから新しい文化が生まれるということがすごく期待をもって見られていた。麻薬の問題も麻薬中毒の暗黒面よりも、特にマリファナのような比較的軽いものについてはそれで創造性が強くなるとか、素晴らしい芸術が生まれる、というような、何かを変えることで新しくいいものが生まれてくるという楽観的なイメージをアメリカの人たちが共有していた時代でした。その時代とミシェルの本は結びついていると思います。

そう考えると、最近になって遺伝指標が見直されるようになったことと、社会の変化がどう結びついているのかということは、長く研究してきている人間としては気になってくる。そのあたりは小塩先生はどう考えますか。

小塩:人間の特質として、根本的に両立して考えるのが難しいんじゃないかと思っていいます。あまり複雑に考えられず、それで揺れ動くということはあるのではないかと思います。長期の縦断研究でパーソナリティから生死や病気などを予測していくときには、性格はそんなに変わらないということで固定しておいて、それを基準にこれが高い方が寿命がどうなる、というような生存曲線を描いたりする。そうなると、変わらないという前提の背後に何があるかを考えなければいけなくて、そのうちの分散のいくつかは遺伝で、ということになるのかなと思います。性格自体が変容するのであれば、寿命を予測するという研究自体が成立しなくなってきてしまうので、そのために固定化するという話になってします。

時代の変化もあると思うんですけれど、いろいろなデータを見ることができるようになってきている、ということもあるように思います。長期にわたるデータがとれてしまうとか、大規模なデータがとれてしまうとか。パーセンテージはどれくらいにせよ、予測ができちゃうじゃないかとか、関連が出ちゃうじゃないか、ということもあるのかなと思います。

(→第2回に続く

文献・注

(1) 日本パーソナリティ心理学会のウェブサイト

(2) 日本パーソナリティ心理学会第25回大会(9月14日、15日に関西大学にて開催)のウェブサイト

(3) 大村政男(1925-2015)。パーソナリティ心理学者、元日本大学教授。

(4) 佐藤達哉(1962- )。社会心理学、心理学史、質的心理学を専門とする心理学者。立命館大学教授。

(5) 加藤義明(1977-1996)。社会心理学者。元東京都立大学教授。

(6) ミシェル(W. Mischel:1930-):1960年代、パーソナリティの状況論に関する研究で学界にインパクトを与えた。主著に『パーソナリティの理論――状況主義的アプローチ』『マシュマロ・テスト――成功する子・しない子』など。

(7) Mischel, W. (1968). Personality and assessment. Lawrence Erlbaum Associates.(詫摩武俊監訳、1980『パーソナリティの理論――状況主義的アプローチ』誠信書房)

(8) 杉山憲司。パーソナリティ心理学者。東洋大学名誉教授。

(9) ゴッシャルト(Kurt Gottschaldt: 1902-1991)。ドイツの心理学者。

(10) 内村鑑三(1861-1930)。キリスト教思想家。

(11) 内村祐之(1987-1980)。医学者、精神科医。元東京大学教授。

(12) 安藤寿康(1958- )。行動遺伝学、パーソナリティ心理学を専門とする心理学者。慶應義塾大学教授。

(13) 渡邊芳之 (2005).「「遺伝と環境」論争が紡ぎだすもの」『心理学史の新しいかたち』誠信書房

(14) 渡邊芳之・佐藤達哉 (1996).『性格は変わる、変えられる――多面性格と性格変容の心理学』自由国民社

(15) ゴルトン(Sir Francis Galton: 1822-1911)。イギリスの人類学者、統計学者。

(16) ピアソン(Karl Pearson: 1857-1936)。イギリスの数理統計学者。

(17) ワトソン(John Broadus Watson: 1878-1958)。アメリカの心理学者。行動主義心理学の創始者。

(18) 渡邊芳之・小塩真司 (2015).「歴史的・社会的文脈の中で心理学をとらえる」サイナビ!


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