18歳は大人か?子どもか?――心理学から現代の青年をとらえる(3)

18歳選挙権と主権者教育

――教育の政治的中立性をどう考えますか。

教師が特定の見解を自分の考えとして述べることを国が禁止したり,生徒の政治活動を制限したりするようなことは,過度に消極的な対応であるように思えます。政治的発達は,政治的認識だけでなく,政治への関心や政治行動から成り立ちますが(14),こうした対応からは実際に政治への関心を引き出し,政治的行動を高めていく筋道は見えてきません。

青年心理学者の秋葉英則(15)によれば,青年は人間としてもち合わせた能力を可能な限り駆使して,人間的な願いのために現状を変えていこうと未来を目指します。こうした方向の延長線上に施策を位置づけます。例えば,自分たちの生活現実に根ざした具体的なものも取り上げ,自分たちの力で政治を変えることができる,そのことによって自分たちの生活的自立も果たせるという見通しを与えるものにします。実際に,若い人たちは社会を信頼できる人ほど社会への移行を果たしています(16)

そして,秋葉によれば,青年の身近な大人がそうした自立を期待することで,青年自身もそれを要求する主体として立ち現れます。そして,社会は,そのことを踏まえたうえで,仲間集団の広がりを保障しつつ,青年の活動に大きな自由度を与えることが求められると指摘しています。この点で施策は逆行しているように見えます。青年の保護を念頭においた慎重な姿勢なのかもしれませんが,青年の政治的発達の促進にブレーキをかけているように思います。

――教師が特定の見解を述べるのを許したら,生徒は左右されませんか。

教師がその地位を利用した選挙運動および国民投票運動を行うことは公職選挙法および日本国憲法の改正手続に関する法律で禁止されており,そのことはいうまでもありません。そして,教師が特定の見解を生徒に押しつけることも許されることではありません。それは教師のみならず,国も同じです。国も特定の見解を生徒に押しつけることは許されません。

文部科学省が述べるように,現実の具体的な政治的な事象については,1つの見解が絶対に正しく,他のものは誤りであると断定することは困難であり,主権者教育では,1つの結論を出すよりも結論に至るまでの冷静で理性的な議論の過程を重視します(17)

教育の場面で教師は生徒との信頼関係を築きますが,それが政治の文脈では教師が異世代の1人となり,世代間の信頼関係を築くことにつながります。心理学では自分の情報を伝えることを自己開示といいますが,教師の自己開示はそのありようによっては生徒の自己開示を促し,互いの自己開示の交換により信頼関係が培われます(18)。それはしばしば授業中の教師の「雑談」が生徒の印象として残っていることにも示されています(19)。このことからすると,教師が自分の実感なり体験なりを率直に述べることで,生徒が自分の意見をもち,それにより政治的見解の多様性が担保されたり,批判的検討が可能になったりするといったダイナミズムも考えられるのです。

もちろん,教師が示唆する見解のみが正解であり,同じ見解をもたなければならないということでは,生徒の自由な意見表明は行われません。教師が特定の見解を述べるかどうかにかかわらず,教育の取り運びの仕方,例えば教育評価(暗黙のものも含み)が生徒の思想信条の自由を侵したりしないことは仕組みとしても明確にすべきです。

実は,問題は,教師が特定の見解を述べようとするかどうかよりも,教師の発問や指導が特定の見解と関わっているととらえられかねないと教師が予期することで,そのようなものを一切,避けることにならないかということにあります。もとより,特定の見解と関わらない政治的な事象というものはありえません。しかも,政治という世界はそれがたとえ教育の世界であったとしても(あるいはそれならなおさら)取り上げて問題視するものであるように思われます。生徒の方も気づかって,そのような話題を避けるかもしれません。

結局,教師が自分の見解を述べることを一律に禁止することで教師と生徒を萎縮させ,主権者教育が杓子定規な取り組み(例えば単に投票の仕方を教えるだけのもの)となり,政治が生徒にとって透明で多様性が許される気軽なものではなく,不透明で近寄りがたく難しいもののままにとどまってしまわないかどうかが心配です。

――参議院での付帯決議で,主権者教育だけでなく,政治参加意識の促進に向けた諸施策の速やかな実施と充実が求められています。

学校だけで何かをしようとするであれば,それが限界であると思います。学校で生徒に教えるというスキームで終始するのではなく,国全体で主権者として扱う支援が必要と思います。例えば,情報の隠蔽は政治的有効性感覚の高い青年の政治不信を高めています(20) 。そこで,透明性を高め,国の情報にアクセスしやすくすることが求められます。

私の提案は,その際,青年に特別な便宜を与えたらどうだろうかというものです。例えば,青年限定のアクセスポイントをつくって,青年のどんな質問にも必ず答えることはもちろん,わかりやすく答えるといったサービスをします。そうすれば,政治は難しいと思っている青年にとっても垣根が下がり,政治と関わってみようと思うかもしれません。青年が政治と関わってみようと思えることが最も重要であると思います。

次回は,少年法適用年齢の引き下げについて考えます。

(→第4回に続く

文献・注

(1) 白井利明 (2012).「青年期へのアプローチ」白井利明・都筑学・森陽子『やさしい青年心理学〔新版〕』有斐閣,p. 13.

(2) Harris, A. (2009). Young people, politics and citizenship. In A. Furlong (Ed.), Handbook of youth and young adulthood: New perspectives and agendas. Routledge, p. 298.

(3) 広瀬弘忠 (1972).「政治的社会化過程における〈政治的知識〉と〈政治的態度〉の関連」『心理学研究』43, p. 247.

(4) 久世敏雄 (1989).「結果のまとめと今後の課題」久世敏雄編『青年期の社会的態度』福村出版,p. 185.

(5) Flanagan, C. (2009). Young people’s civic engagement and political development. In A. Furlong (Ed.), Handbook of youth and young adulthood: New perspectives and agendas. Routledge, p. 297.

(6) 原田唯司 (2002).「大学生の政治不信――政治的関心,政治的知識および政治的有効性感覚との関連」『静岡大学教育学部研究報告(人文・社会科学篇)』51,p. 227.

(7) 荒牧史 (2015).「政治」NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造〔第八版〕』NHK出版,p. 84.

(8) 中川作一 (1979).「現代は「反抗の時代」か「同調の時代」か」『青年心理』16,p. 126.

(9) 林田光弘・溝井萌子・菅間正道 (2015).「SEALDsが切り拓いた地平,立ち上げた世界」『人間と教育』88,p. 73.

(10) ファーロング,A.・カートメル,F.,乾彰夫・西村貴之・平塚眞樹・丸井妙子訳 (2009).『若者と社会変容――リスク社会を生きる』大月書店,p. 261.

(11) 文部科学省 (2015).「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について(通知)

(12) 田丸敏高 (2009).「子どもの権利としての子どもらしさ」心理科学研究会編『小学生の生活とこころの発達』福村出版,p. 226.

(13) 西垣純子 (2016).「青年期教育としての大学教育を拓くための研究課題――発達心理学の観点からノンエリート青年の発達保障と大学教育を考える」シリーズ「大学評価を考える」第7巻編集委員会編『大学評価と「青年の発達保障」』大学評価学会(晃洋書房発売),p. 12.

(14) Sherrod, L. R., & Lauckhardt, J. (2009). The development of citizenship. In R. M. Lerner & L. Steinberg (Eds.), Handbook of adolescent psychology (Vol. 2, 3rd ed.). Wiley, p. 375.

(15) 秋葉英則 (1976).「青年(期)とはなにか――彼らの発達要求を考える」『教育』327, 13.

(16) 白井利明・安達智子・若松養亮・下村英雄・川﨑友嗣 (2009).「青年期から成人期にかけての社会への移行における社会的信頼の効果――シティズンシップの観点から」『発達心理学研究』20, 209.

(17) (11)を参照。

(18) 池田智子 (2014).「教師と児童・生徒の自己開示研究における課題」『安田女子大学紀要』42, 59-68.

(19) 速水敏彦・高村和代・陳恵貞・浦上昌則 (1996).「教師から受けた感動体験」『名古屋大學教育學部紀要(教育心理学科)』43, 51-63.

(20) 原田唯司 (2006).「大学生の政治不信に及ぼす政治的自己効力感の影響」『静岡大学教育学部研究報告(人文・社会科学篇)』51, 213.


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