発達は滝の流れのように:発達カスケードの探究

ハイハイから歩行へと移動運動(ロコモーション)が変化することが,乳児の認知や言語,他者とのかかわりの発達にどのような影響を及ぼすのでしょうか。領域を超えた発達の様相を捉える「発達カスケード」の視点が注目されています。『歩行が広げる乳児の世界――発達カスケードの探究』著者たちによるリレー連載の第1回。(編集部)

外山紀子(とやま・のりこ)1993年,東京工業大学総合理工学研究科博士課程修了,博士(学術)。現在,早稲田大学人間科学学術院教授。主要著作に,『生命を理解する心の発達――子どもと大人の素朴生物学』(ちとせプレス,2020年),『乳幼児は世界をどう理解しているか――実験で読みとく赤ちゃんと幼児の心』(共著,新曜社,2013年),『からだがたどる発達――人・環境・時間のクロスモダリティ』(共編著,福村出版,2024年)など。『歩行が広げる乳児の世界――発達カスケードの探究』(共著,ちとせプレス,2024年)を刊行。

保育園のゼロ歳児クラス(乳児クラス,赤ちゃんクラス)に週に一度,観察に通うようになって延べ5年目になります。途中3年間,新型コロナウイルス感染症の感染拡大により中断しましたが,現在も通い続けています。私の専門は認知発達で,卒業論文で食を取り上げて以降,摂食,成長,食べ物の汚染,病気など,生物現象に関する幼児期・児童期の概念発達を検討してきました (『生命を理解する心の発達(1)』に概要をまとめています)。研究のおもな対象者が幼児(3歳以上)であったので,ゼロ歳児クラスに通う以前は,正直なところ,乳児期については大学で講義する程度の知識しかもち合わせていませんでした。

私がお世話になっている保育園では産休明け保育を実施しているので,一番小さい子だと3カ月齢,一番大きい子だと11カ月齢で入園してきます。年度によって何カ月齢の赤ちゃんがいるのかは異なりますが,入園から進級までの1年間で,子どもたちは驚くほどの発達を遂げていきます。4月には1人ひとり個別に保育士の先生から離乳食を食べさせてもらっていたのに,年度末にはまるで会食でもしているかのように,仲間と共に,食具を使って食べるようになります。言葉も同じです。年度途中で指さしが出現し,発声が伴うようになり,意味のある言葉が出てきます。お正月を過ぎたあたりからは,大人に向かって何かを一所懸命説明しているような姿も見られるようになります。運動面の発達も著しく進みます。年度初めは,腹這い姿勢や仰向け姿勢でコロコロと床に転がり,好きなおもちゃをなめたりいじったりしていますが,そのうちに,ハイハイやつたい歩きをする子が出てきて,そのほんの数カ月後には歩くようになります。興味深いことに,歩き始めた子どもがある程度そろうと,同じ方向に移動したり,集まったりなど,集合的な動きも見られるようになります。

ゼロ歳児クラスに通うようになって,驚いたことがいくつかあります。1つ目は,変化の速さです。もちろん幼児も大人に比べれば変化が急速ですが,その比ではありません。ついこの間,よたよたと危なっかしい足どりで歩き始めた子が,1週間後には,1 m以上の距離を歩いていたりします。2つ目は,個人差の大きさです。発達の基本原則の1つは,年齢が上がるほど個人差が大きくなることです。乳児期にも個人差はありますが,成人期や高齢期に比べればその差は小さいといわれています。それでも実際に子どもたちを見ていると,ハイハイの形も,歩き始める時期も,おもちゃのつかみ方や振り方も,食べ物の好みも食べ方も,そしてもちろん性格も,子どもによってじつにさまざまであることに気づきます。当たり前のことではありますが,「乳児」とか「子ども」とか一括りにしてしまってはいけないこと,子ども1人ひとりに独自の発達があることを実感させられます。

3つ目の驚きは,立位になること,歩くことが多方面に影響を与えることです。私は保育室内では座って子どもたちの様子を見ていますが,子どもが立位姿勢をとり始めると,向き合ったときの視線の高さが同じくらいになります。すると,子どもとよく目が合うようになります。歩き始めると,その危なっかしい歩き方から自然とその子に注意が向くようになり,声をかけることが多くなります。子どもとおもちゃのかかわりも,歩行をきっかけに大きく変わります。赤ちゃんはかなりの時間,手におもちゃを持っていますが(私のデータでは観察時間の約半分の時間,手におもちゃを持っていました),歩き始めるとおもちゃを持ったまま大人に近づいてきて,それを見せたり渡そうとしたりするようになります。おもちゃを差し出してくるので受け取ろうと手を伸ばすと,渡してくれなかったり,だから手を伸ばさないでいると,今度はとても不満そうな顔をされたりもします。子どもとおもちゃのかかわりに,いつの間にか巻き込まれることが多くなるのです。

このたび,西尾千尋さん,山本寛樹さんとの共著で『歩行が広げる乳児の世界――発達カスケードの探究(2)』を刊行しました。この本では,保育園ゼロ歳児クラスでの観察などをもとにした研究を紹介していますが,副題の「発達カスケード」は発達の多様性,発達の領域横断性を捉える研究枠組みです。「カスケード」(cascade)は連続して流れる滝の連なりを意味し(図参照),化学分野の用語である「カスケード反応」は「最初の反応の引き金が引かれると,それ以降の一連の反応が連鎖的に起こり,小さな最初の変化が増幅されていく系」(『化学辞典〔第2版〕(3)』, p.263)を表します。「発達カスケード」は,こうした連鎖的な反応が発達過程において生じることを示すものです。先に述べたように,子どもが立位になること・歩き始めることは,子どもと大人のコミュニケーションの土台を変えるきっかけとなるようです。ちょうど1つの滝の流れが別の滝の流れへとつながっていくように,ある変化が別の領域の変化をつくり出していくのです。発達過程においては,こうした領域横断的な変化が認められます。

図 カスケード

滝の写真を見ていると,もう1つ気づくことがあります。滝の流れには分岐点と合流点があり,水の流れる経路が1つではないことです。発達過程でも子どもが辿る経路はさまざまです。どの経路を辿るかは,その時々の子ども自身の状況(姿勢や運動能力,知的能力など),子どもを取り囲む周囲の状況(養育者や養育環境),さらに子どもが暮らす社会の習慣などが複合的に作用して決まります。子どもを養育者の身体と密着させて育てる文化と距離を置いて育てる文化とでは,子どもの姿勢や運動発達は異なる様相を見せるでしょう。発達は多様であるのです。

さらにもう1つ,滝の写真からわかるように,水の流れる経路は違っても水は同じ地点に流れ落ちていきます。発達過程でもある地点に辿りつくまで,最短距離の経路を辿る子もいれば,廻り道をしながらゆっくり歩を進める子もいます。そして一度選んだ経路が途中で行き止まりになったり,流れが緩やかすぎてなかなか進めなくなっても,別の経路を辿ればその先に進むことができます。多くの経路を備えておくことは一見,無駄に見えますが,その冗長さが発達というシステムの安定性を保障するのです。

発達の領域横断性,多様性,冗長性はどれも発達にとって重要な問題ですが,これまでの発達心理学では十分な検討がなされてきたとはいえません。これらの問題に果敢にアプローチしようとする研究枠組みが発達カスケード研究です。乳児期の歩行をめぐる発達カスケードの探究,ぜひご一読ください。

→リレー連載第2回に続く(近日掲載予定)

注・文献

(1) 外山紀子 (2020).『生命を理解する心の発達――子どもと大人の素朴生物学』ちとせプレス

(2) 外山紀子・西尾千尋・山本寛樹 (2024).『歩行が広げる乳児の世界――発達カスケードの探究』ちとせプレス

(3) 吉村壽次編集代表 (2009).『化学辞典〔第2版〕』森北出版

9784908736384

外山紀子・西尾千尋・山本寛樹 著
ちとせプレス(2024/10/10)

領域横断的に発達を見る。乳児期のロコモーション(移動運動)の発達が,知覚,認知,言語,モノや他者とのかかわりなど他の領域の発達に波及していく様相を,観察や実験で得られた研究知見をもとに読み解いていきます。乳児の発達に関心をもつ養育者や保育者,心理学や教育学を専攻する人に


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