ロコモーションの発達と日常経験

領域を超えた発達の様相を捉える「発達カスケード」の視点が注目されています。『歩行が広げる乳児の世界――発達カスケードの探究』著者たちによるリレー連載の第2回。日常に近い環境から,運動発達の様相を丁寧に捉え,他の領域の発達にどのように波及していくのかを読み解いていく,そのアプローチの一端を紹介します。(編集部)

西尾千尋(にしお・ちひろ):2019年,東京大学大学院学際情報学府博士課程修了,博士(学際情報学)。現在,甲南大学文学部講師。主要著作に,Putting things in and taking them out of containers: A young child’s interaction with objects.(共著,Frontiers in Psychology, 14, Article 1120605, 2023年),「歩行開始期において乳児が物と関わる行動の発達―保育室での縦断的観察に基づく検討」(共著,『認知科学』28, 578-592, 2021年),「乳児の歩き出しの生態学的検討―独立歩行の発達と生活環境の資源」(共著,『発達心理学研究』29, 73-83, 2018年)など。『歩行が広げる乳児の世界――発達カスケードの探究』(共著,ちとせプレス,2024年)を刊行。

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赤ちゃんの発達研究を始めてそろそろ10年になります。もともと私は芸術系の学部で現代アートを学び,大学院から心理学の勉強を始めました。フィールドがアートから心理学に移行しても,人が世界をどのように知覚するのか,その知覚にそれぞれ異なる身体をもつことがどう関わるのかについて一貫して関心をもってきました。もともとはアートの研究をしようと思って行った大学院でしたが,大学院時代のゼミで出会った赤ちゃん研究は,私が知りたかったことにピッタリ合うものでした。赤ちゃんは毎日変化する身体で自分がどんなことができるのか,周囲の環境にどんな意味があるのかを探っていきます。

この書籍(1)でもたびたび引用されているニューヨーク大学のアドルフが言うように,運動発達はある決まりきった型を身につけるようなものではありません。自分のいまの身体で何ができるか,この坂は降りられるのか急すぎるのか,この段差は登れるかどうか,などを全身を使って探ります。そうした知覚判断はハイハイならハイハイ,歩行なら歩行の経験を積むと正確になるそうです。自力で移動できるようになったばかりの赤ちゃんが落下しないように玄関や階段にゲートをつけるご家庭も多いと思います。段差は赤ちゃんにとってとても魅力的な環境の一面ですが,うまく降りられるかどうか判断できるようになるにはしばらくの経験が必要なようです。下の写真は,研究協力をお願いしているみーちゃん(当時生後11カ月,ハイハイ児)の様子です。みーちゃんはこのときはじめての場所で嬉しそうに大きなベンチに登り,自分で降りようとしてちょっと縁から足を出しました。お母さんと私はハラハラしながら見守っていましたが,みーちゃんは出した足を引っ込めました。別の縁から,今度は手を伸ばして探索しましたが,やっぱり無理そうだと判断したようです。お母さんに手を伸ばすことで,降ろしてほしい,という意図を汲み取ってもらえました。

みーちゃん(生後11カ月,ハイハイ児)。段差を降りようとして足をいったん出してみたが引っ込めた。

別の縁から手を伸ばしてみる。

やはり降りられなさそうだった。お母さんにアピールする。

赤ちゃんの発達研究は実験や,実験的な観察によるものが多く行われてきました。1960年代以降に,それまで能力の低い存在だと考えられていた新生児や乳児が,じつは音や色の微細な違いを弁別できるなど,高い学習能力を備えていることを明らかにしてきたのは実験的な方法の研究でした。長年乳児の運動発達を研究してきたアドルフの研究室にも角度を変えられる坂道や,高さが変えられる段差のある通路など大型の装置があります。そうした実験ではなるべくノイズが少ない環境で,赤ちゃんがある課題ができそうかどうか,その能力を測ろうとしてきました。そのような方法で知ることができるのは,赤ちゃんのベスト・パフォーマンスだといえます。一方で,普段赤ちゃんが何をしているのか,日常でどんな経験をするのかを知るには家庭や保育園などの普段すごす環境か,なるべく日常に近い環境での観察が必要になります。

この書籍の副題となっている「発達カスケード」はいろいろな側面の発達の複雑な相互作用に焦点をあてる考え方です。それは,単純に生まれてからの日数が経過したら,こういうことができるようになる,ということではなく,神経系,筋骨格の発達や日常でどのような経験をするかといったことが絡み合い,行動の変化につながっていく,ということを捉えようとするフレームワークだといえます。本書では姿勢やロコモーション(移動)の発達が赤ちゃんの行動に広がりをもたらしていく様子を,モノとの関わり,養育者や保育者とのやりとり,赤ちゃん同士の仲間関係などから検討しています。

私自身は家庭や保育園で運動発達をテーマに観察を続けるなかで,赤ちゃんが歩き出したときのモノの運搬にとくに興味を惹かれました。ハイハイでも口にモノをくわえたり,手で押しつけるようにしてモノを運ぶことはできなくはないのですが,歩き出すとそれまでよりもはるかに頻繁にモノを運ぶことが,さまざまな研究で示されています。運搬によってモノをさまざまな場所に持ち歩くことで,多様な使い方の可能性を見つけることができますし,他の人に見せたり渡したりすることで出来事が展開していきます。私が行った研究でも,歩行開始後にはたんにモノを運ぶだけではなく,容器や道具を使った運搬が見られるようになり,そうした経験がモノを遊ぶ前に準備したり,片づけたりする系列的な行為の発達に影響を及ぼしているのではないか,ということを考えました。

先ほどのみーちゃんの運搬の事例を紹介します。生後13カ月で歩き始めたみーちゃんは,歩き始めた直後からたくさんのモノを運び始めました。ボールを2個椅子に乗せて押して運び始めたみーちゃんですが,ボールはすぐに座面から転がり落ち,落としては拾って運び続けます。みーちゃんは,ボールを小さな座面に乗せて運ぶ,という複数のモノを組み合わせた,難易度が高めのタスクを見つけたのです。一部屋を曲がりくねりながら横断して,途中ラグにしわが寄ったりして進行を阻まれながらも,リビングも通り過ぎてキッチンのおばあちゃんのもとにやってきました。おばあちゃんはここでみーちゃんに「みーちゃん,ご苦労様でした」と声をかけています。日常の経験の中で学習することはとても豊かで,モノを運ぶことでそれまでにはかけられなかったような言葉も耳にするようになっていくということ,モノを持って歩きまわることで経験することが変わっていくことを実感したシーンでした。

ボールを2個椅子に乗せて押して運ぶ(生後13カ月)。

途中,ボールが2個とも落下してしまったり,ラグに阻まれるが1個を再度椅子に乗せて運ぶ。

リビングを通り過ぎてキッチンの祖母のところに到達する。「ご苦労様でした」と声をかけられ,戻っていく。

ロコモーションの発達を基礎において赤ちゃんの発達を見ると,それがいかに学習の機会を増やすのかということがわかります。赤ちゃんは日々,変わっていく自分の身体とさまざまなモノであふれる環境を探索し,何ができそうか見つけていきます。くわしい研究の成果はぜひ書籍をご覧ください。

リレー連載第3回に続く

注・文献

(1) 外山紀子・西尾千尋・山本寛樹 (2024).『歩行が広げる乳児の世界――発達カスケードの探究』ちとせプレス

9784908736384

外山紀子・西尾千尋・山本寛樹 著
ちとせプレス(2024/10/10)

領域横断的に発達を見る。乳児期のロコモーション(移動運動)の発達が,知覚,認知,言語,モノや他者とのかかわりなど他の領域の発達に波及していく様相を,観察や実験で得られた研究知見をもとに読み解いていきます。乳児の発達に関心をもつ養育者や保育者,心理学や教育学を専攻する人に


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