あなたは障害者をどう思いますか?――身近な問題としての偏見や差別(3)

「できない」原因

なぜ,障害者は親元を離れて一人暮らしをしたり,結婚したり「できない」のだろうか? 「できる」ようにするためには,どうすればいいのだろうか? 不自由さを改善し,本人の希望を叶えるためにどのようなことを知ればいいのだろうか?

例えば,次のような聞き方をして原因を探ろうとすることもあるだろう(3)

「あなたの具合が悪いところはどこですか?」

「あなたには,日常生活に支障をきたす傷跡や欠点や障害がありますか?」

「健康問題/障害は,現在の仕事に何らかの影響を及ぼすものですか?」

これらの質問は,個人の心身機能に焦点が当てられたものだ。実際,施設の利用や就学・就職に際して,無条件に承諾されることは少なく,障害の説明を求められることがほとんどである。

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「できない」「うまくいかない」ことは,多かれ少なかれ,ネガティブな感情がわき上がってくる。その原因が自分にあると考える方が,状況や他人など,自分以外に原因があると考えるよりも,ネガティブな感情は強くなる。

社会学者のオリバーは,個人の機能に焦点を当てることの問題を次のように指摘した。

「孤立した個々の障害者が日常生活のなかで経験する問題は,彼らの個人の欠陥,または機能的な制限の直接的結果であるという考えを植え付けるという意味において,(略)抑圧的なものとなる。」

 「できない」原因を本人に求めることは,時に,多数派に合わせるための訓練を強いることにもつながる。ある種のソーシャル・スキル・トレーニングや聴能訓練などは,そのすべては否定できないが,多数派に受け入れられるために,その人なりのコミュニケーション方法(例:言葉ではない表現,手話)を抑圧することもある。

しかし,「できない」ことの原因は本人のみにあるわけでも,機能そのものが不利益を生じさせるわけでもない。例えば,全員が目の見えない人たちであったら,いまある社会と異なる社会がつくられているはずだ。このような率直な疑問の上に行われた伊藤亜沙氏のワークショップ「視覚のない国をデザインしよう」(4)は非常に興味深い。

ワークショップの中で,盲人ばかりの国ではそもそも見えないので,「店(見せ)はないだろう」という発言があった。「聴かせ」「かがせ」「触らせ」などによる商品の売買が行われるのではないか,と。このように,「見えない人」が多数派であれば,見えない人が前提となる社会がつくられるはずだ。このような国に,見える人が迷い込めば,視覚は役に立たず不自由さを感じることもあるだろう(例えば,目の見える筆者は点字がまったく読めないため,視覚のない国の運賃もメニューもわからないだろう)。

このように,障害者が暮らしづらさや不自由さを抱える背景には,本人の特性だけでなく,多数派,つまり健常者に合わせた社会環境がある。これが,いわゆる障害の社会モデルである。

オリバーは,社会モデルに沿った質問の代替案として,次のような聞き方を提案している。

「社会にはどのような問題がありますか?」

「あなたの傷跡や欠点や障害に対する人々の反応が,あなたの日常生活を制約していますか?」

「物理的環境または他の人の対応が原因である仕事上の問題を抱えていますか?」

その人を取り巻く環境に視点を当てることは,本人の特性を考慮したうえで,どのような変更・調整が必要かを具体的に知ることができるだろう。また,個人の心身機能から視点を移すことによって,本人に過剰な罪悪感や無力感を与えることも軽減されると考えられる。


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