矯正教育と「ナラティヴ」の感動的な出会い

『教育の〈自由と強制〉』書評

矯正教育の現場である少年院と,社会生活への移行の場である更生保護施設での参与観察やインタビュー調査を手がかりに,法務教官や施設職員と少年とが協働して,〈変容の物語〉を創出し再構成していくナラティヴ実践の様相を描き出した,仲野由佳理著『教育の〈自由と強制〉』の書評を,公益財団法人矯正協会・矯正研究室長,元多摩少年院長の木村敦氏にご寄稿いただきました。(編集部)

木村 敦(きむら・あつし):公益財団法人矯正協会・矯正研究室長,元多摩少年院長。

本書は,教育という営み全般,その在り方というものも視野に入れつつ,少年院における矯正教育の機能を深く掘り下げた,画期的な書籍である。

具体的にどういう面で画期的なのか,以下に述べさせていただきたい。

矯正教育とは,少年院が非行のあった少年を収容して行う教育のことである。矯正教育を受けるべき少年たちは,家庭裁判所において裁判官から「少年院送致」の言渡しを受けて送られてくる。つまり,矯正教育は,裁判所の審判決定を経て,施設に強制的に収容して行われる点に大きな特徴がある。

人によっては,そのような営為は,刑事政策として必要があるとしても,本来の教育の名に値しないのではないか,との思いを抱くかもしれない。教育には,それを受ける対象者(客体)に自由な意思や行動を認めることが必要な前提条件であると考えれば,おのずとそうなる。しかし,私は少年院で長く勤務し,矯正教育を通じて見違えるように成長変容する少年たちにたくさん出会ってきた。その経験から,矯正教育は紛れもなく教育の一分野であると考えている。

教育という営みには,通常,それを行う主体とそれを受ける客体が存在する。程度の差はあれ,主体の側に権力があり,客体に対し,強制的な働き掛けがなされる。学校教育において,毎日決められた時間に登校すること,授業中は教室の指定された机と椅子に留まることなども,そういうことだろう。もちろん,最近は自宅にいてオンラインで好きなときに授業を受けるスタイルもある。しかし,それも結局は程度や態様の問題である。教育に権力が内在し,強制性が備わっていることに変わりはない。

教育に内在する権力や強制性を,他にないほど大きくかつ厳格にしたものが,少年院の矯正教育であると言えそうだ。その矯正教育を通じて,多くの少年たちが成長変容し,自律的・主体的な人生を歩み始める事実。その事実を目の当たりにし,本書の著者である仲野由佳理さんが設定した研究目的が,「教育の権力性を前提としつつ,自律的な主体形成はいかにして可能となるのか」というものである。矯正教育を素材として,このように教育の本質に迫ろうとする著書は,かつてなかったのではないか。冒頭,画期的と申し上げた理由の一つはここにある。

そのような思いで本書の標題を眺めると,『教育の〈自由と強制〉』とは,教育の究極のテーマの一つであろうし,仲野さんが本書で言わんとすることを凝縮して表現した,絶妙なタイトルである。

さて,仲野さんが初めて少年院のフィールド調査に参加されたのは,本書でご自身も語るとおり,2006年のことである。この調査研究は,教育社会学者の広田照幸先生(現日本教育学会長)が主宰する「矯正施設における教育研究会」と法務省矯正局,対象の少年院,この三者による共同研究の形でスタートした。私は,研究が開始されて間もない2007年春,矯正局に異動となり,その後しばらく法務省側の窓口を担当した。研究会の一員で当時まだ大学院生であった仲野さんとはその頃初めてお会いしたが,振り返ればもう15年以上前のこととなる。

仲野さんは,それ以来,少年院を対象に着実に研究を続けてこられた。お世辞や忖度は抜きにして,少年院研究のパイオニアの一人と言って過言ではない。少年院研究と一口に言っても,たとえば非行少年論,法制度論等,さまざまな切り口による研究がある。仲野さんは,少年院の矯正教育・社会復帰支援を主な研究テーマとしておられるが,この分野に限って言えば,先に述べた矯正施設における教育研究会による調査研究が嚆矢であった。もちろん,それまでにも,矯正部内の法務教官等による実践研究は熱心に行われてきた(現在も行われている)が,部外の研究者グループによる調査研究はほとんどなされておらず,正に人跡未踏の地であった。その未踏の地を広田先生らの先導で,途中からは後押しによって切り開き,確かな足跡を残してきたのが,仲野さんである。このたびの著書『教育の〈自由と強制〉』は,その足跡を収集・整理して,世に問うたものであると言える。仲野さんには今後も,この未開のフィールドを意欲的に探検して,キラリと光る未知の原石を発見し磨いてほしいと願っている。

次に,本書のキーワードと思われる言葉をいくつかを取り上げ,私なりに考えたことを述べてみたい。

まず,「社会防衛的教育主義」という言葉が出てくる。刑法学の「社会防衛論」は,社会を犯罪から守るために,刑罰を科して改善できる者は矯正を図って社会に復帰させるべきとの立場とされている。要は,犯罪をした人や非行をした少年に矯正教育を行って再犯・再非行の防止を図ることで,社会の安全・安心を守っていくという考え方や立場である,と言える。突き詰めると,再犯・再非行の防止ということであろう。

本書には「健全育成」という言葉も出てくる。少年法(及び少年院法)の健全育成とは再犯・再非行の防止を図ること,との説もあるようだ。一方で,健全育成とは少年の社会適応を図るための教育理念を含み込んだ概念であり,狭義の社会防衛の枠内に閉じ込めてはいけないとの考えもある(1)。健全育成には,再犯・再非行の防止プラスアルファがあるということであろう。実際,少年院は,少年に教育を行って人間としてのトータルな成長を促すことで再犯・再非行の防止を図る,というスタンスである。現場職員も,少年が犯罪や非行をしないのはもちろんのこと,その後に続く長い人生を社会の健全な一員としてまっとうに生きていってほしいと願い,そのために必要なことはできる限り身に付けさせて送り出したいと考えている。

「法務教官」も,重要なキーワードである。加えて,本書には「両義性」という言葉も登場する。私はかねがね,両義性が少年院を語る際のキーワードであると感じてきた。

法務教官とは,少年院で少年たちの教育・支援を中心的に担う専門職である(2)。同時に,法務教官はいわゆる保安業務(収容の確保,規律の維持等)も担っている。1人1人の教官に教育者と保安要員の両方の役割が求められている訳である。理念的に考えると,教育とは少年(の成長変容)を信じること,保安は少年を疑うこと(例えば,目を離した隙に逃げ出すのではないか)である。採用間もない法務教官は,相反するかに見える役割を頭の中でどう整理し,こなしていくのか,大なり小なり戸惑うことになる。しかし,日々経験を積み重ねることで,やがて熟達した法務教官へと成長していく。教育しながら保安を怠らず,保安において教育の観点を忘れない,厳しいけれど温かい,面倒見がよいけれど叱るべきときは叱る,少年たちから信頼され,同僚から尊敬される教官となる。私には,そのような両義性を融合させた熟達した法務教官が,少年院という施設そのもの,あるいは少年院の歴史そのものを凝縮して体現しているように思われる。

少年院(矯正院)は,2023(令和5)年に創設100周年の節目を迎えた。司法省が矯正院法案を帝国議会に提出した際の提出理由には,「矯正院ニハ不良性ノ強キ少年ヲ収容シテ之ヲ教養スルコトヲ目的トシ……収容シタル少年ノ戒護ハ少年監ニ近ク,内容タル少年ノ処遇ニ付テハ感化院ト性質ヲ同フシ,本人ノ教養ヲ以テ趣旨トス」とある。ここで「教養」とは「教え育てる」の意味であり,少年院は,少年を収容して厳格な規律の下に教育を行う施設として構想されたのである。つまり,少年院は(そこに勤務する職員の役割も),当初から両義的性格が付与されていた。創設前後の頃は,自由のないところに教育は成り立たないとする識者(3)から激烈な批判を受けたというが,少年院100年の歴史は,教育と保安が両立可能であることを示している。

本書もその延長線上に立って執筆されたものと考えられる。

最大のキーワードは,本書のサブタイトルにもあるとおり,「ナラティヴ」である。仲野さんは,本書において,少年院の矯正教育で展開される少年と教官との言葉のやりとり,そこに流れる思いや感情の切り結びの意味を,「ナラティヴ」という概念で読み解き,説き明かしている。少年の更生とは自らの人生の物語の書き換えであるということ,しかも,それは固定して維持されるべきものではなく,出院後の社会生活も含め,環境の変化や葛藤を経て,調停・調整され,再構成されるべきものであるとの指摘は,現場の教官にとって深く納得するものであろう。そして,そのように認識することで,処遇者・支援者としての視野が広がり,指導・援助の力を向上させる基盤となりうるだろう。

仲野さんが初めて矯正教育をナラティヴ実践として解読したことに感動を覚えるのは,私一人ではないと思う。「ナラティヴ」を用いてここまで深く矯正教育を論じた書籍はかつてなく,冒頭に画期的と申し上げた,もう一つの理由はここにある。矯正教育の今後を見据えるとき,その功績にはとても大きいものがあり,あらためて心からの敬意を表したい。

本書は,まずは矯正施設の職員や支援者・協力者の皆様に読んでいただきたい。日頃の仕事・活動にあらためて自信を抱き,この先,歩を進めるべき方向も見えてくるだろう。加えて,学校教育をはじめさまざまな分野で教育に携わっている方々にも,皆様の仕事・活動をいっそう充実させるためのヒントがたくさん見つかると思うので,是非とも一読されることを推奨したい。

文献・注

(1) 団藤重光・森田宗一 (1984).『新版 少年法〔第二版〕』有斐閣,pp. 14-15

(2) 法務教官は少年鑑別所や刑事施設などにも大勢配置されている。

(3) 小河滋次郎 (1923).「少年保護問題に就いて」『社会事業研究』11(6)(古田久一・一番ヶ瀬康子編 (1980).『小河滋次郎集』社会福祉古典叢書2,鳳書院,p .99)

協働して紡ぐ〈変容の物語〉。教育の権力性を前提としつつ,自律的な主体形成はいかにして可能となるのか。矯正教育の現場である少年院と,社会生活への移行の場である更生保護施設での参与観察やインタビュー調査を手がかりに,法務教官や施設職員と少年とが協働して,〈変容の物語〉を創出し再構成していくナラティヴ実践の様相を描き出す。


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