あなたは障害者をどう思いますか?――身近な問題としての偏見や差別(2)

自分が知らないだけで,その人なりの理由があり,自分がそう表現しないだけで,その人なりの表現がある。特に,伝える手段が異なる場合――特に多くの人が用いる言語と異なる場合――表現の仕方も変わるだろう。

そもそも,研究の参加者には図1に載っているようなマイノリティの人たちの意見は,入っていないか,文字通り少数であるために平均化され,無視されてしまう。つまり,ここまで紹介してきた「人間性の認知」を正確にとらえると,多数派の人間にとっての「人間性の認知」である。健常者が,自分たちの身近にいる多くの人がもつ特性を,人間の条件として投影しているのだ。あくまで,多数派の人間の意見が前提となっている。

1人と1人が向き合えば,コミュニケーションをとるために,お互いが理解し合える方法を探る必要性が高まる。すぐにはわからずとも,時間をかけてつきあううちに,相手の伝えたいことがわかるようになるかもしれない。しかし,病院や施設では,利用者が多ければ多いほど,1人ひとりと接する時間は制限され,効率的に動かなければならなくなる。その人と向き合う時間が限られれば,その人のとらえ方や行動の理由を考えたり知ったりする機会も限られるだろう。

できないことに手を貸したり借りたりすることは日常的なことであるはずなのに,なぜ病院や施設に一部の人が集中するのだろうか? 私たちは,自分を基準につくる「人間像」に合わない人たちを,同じ「人間」から排除し,助け合いながら共に暮らすことを許さず,誰かに任せている。排除された人と任された人は1カ所に集められ,そこに他の人が避けて背負わなかったものが凝縮される。人を人として扱うには限界のある環境がつくられ,向き合っている人たちは感情的に疲弊し,非人間化が促される。皮肉なことに,患者を人としてとらえている医療関係者ほど,燃え尽きやすい(9)。一所懸命な人ほど耐え切れず辞めていくのは,教育や福祉,心理など,人と関わる他の仕事にもあてはまるだろう。人は共感する生き物であるため,同じ人間として辛い感情を推し量り,共有すれば,しんどくなって抱えきれなくなりやすい。他者の感情に鈍感にならなければ,自分を守れないのだ。

障害者差別解消法の土台となっている障害者権利条約の原則に「人類の一員としての障害者の受入れ」という規定がある。それが求められているのは,施設や病院でなく,それらを含む,すべての私たち1人ひとりである。自分と異なる人や,コミュニケーションがとりづらいと思う人と,どのように向き合うべきだろうか? その答えが,1人ひとりに問われている。

第1回,第2回では,障害のない者が,障害のある者から受ける心の過程について述べてきた。次回は,障害のある者が,障害のない者から受ける心の過程について目を向けたい。

→第3回に続く(近日掲載予定)

文献・注

(1) 以下の論文と議論を参考にした。Haslam, N., & Loughnan, S. (2014). Dehumanization and infrahumanization. Annual Review of Psychology, 65, 399-423.

(2) Bastian, B., Laham, S. M., Wilson, S., Haslam, N., & Koval, P. (2011). Blaming, praising, and protecting our humanity: The implications of everyday dehumanization for judgments of moral status. British Journal of Social Psychology, 50, 469-483.

(3) あたたかさ,熟慮,主体性など,より人間らしさを表す特徴(Human Nature,以下HN)である。これらを備えてない人は機械的に見なされる。「ロボットみたいな人」という表現から浮かぶイメージは,「人間らしさ」の特徴と反対ではないだろうか。

(4) (2)を参照。

(5) Capozza, D., Di Bernardo, G. A., Falvo, R., Vianello, R., & Calò, L. (2016). Individuals with intellectual and developmental disabilities: Do educators assign them a fully human status? Journal of Applied Social Psychology, 46, 497-509.

(6) いまだ被害者に対する謝罪や補償は行われていない。

(7) Greitemeyer, T., & McLatchie, N. (2011). Denying humanness to others: A newly discovered mechanism by which violent video games increase aggressive behavior. Psychological Science, 22, 659-665.

(8) 第16回全国障害者芸術・文化祭あいち大会のウェブサイト

(9) Vaes, J., & Muratore, M. (2013). Defensive dehumanization in the medical practice: a cross-sectional study from a health care worker’s perspective. British Journal of Social Psychology, 52, 180-190.


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