あなたは障害者をどう思いますか?――身近な問題としての偏見や差別(2)
Posted by Chitose Press | On 2016年11月25日 | In サイナビ!, 連載人間性の認知に関わる1つの重要な要素は,文化,理性,道徳など,人間のみが有している(と人間が思っている)特性(Human Uniqueness,以下HU)である。これらを備えていないと認知された対象は(ヒト以外の)動物的に見なされる。人に対して「犬のようだ」「馬鹿」「ハイエナ」という動物化した比喩表現が生まれる背景には,このような心理プロセスが働いている。
「Aさんは人間以下ですか」と聞かれても道徳心が働いて答えづらいだろうが,人間性をどの程度投影しているかは答えやすい。オーストラリアの心理学者であるバスティアンら(2)はこの方法で,さまざまな集団の人間性がどのようにとらえられているかを調査した。ある集団に対して,人間のみがもつ特性をどの程度もっているか(例:「道理をわきまえているか」),そしてもう1つの人間性認知の要素(3)である人間らしさをどの程度もっているか(例:「人に対してあたたかいか」)を尋ね,得点化したものが図1である。
調査の回答者はオーストラリアの大学生であるが,日本で行っても同じような結果が得られるだろう。これを見ると,障害者(身体障害者,知的障害者,精神障害者)は,総じてHUを低く見積もられていることがわかる。露骨な言い方をすれば,障害者は,人間の特徴をもたない≒動物と近い存在として見なされているというわけである。この傾向は,バスティアンらの調査にたまたま参加した普通の大学生に見られるだけでなく,日頃障害者と関わっている教育者にも見られる(5)。
非人間化の影響
人は動物を従え,利用し,消費することによって生きている。動物に共感していては,そのような行為はできない。
反対に,人を非人間的に見ることによって,対等な相互作用をせず,排除や支配,暴行への抵抗が薄くなる。1995年に起きた水戸事件では,施設を利用していた知的障害者に,食事を十分に与えず,罰としてバットで殴る・長時間正座させる,性的虐待を行うといった数々の非情な虐待があらわとなった。今年7月に起きた相模原事件では,寝ていた障害者を突如刃物で襲い,たった1時間足らずの間に45人を殺傷した。1996年まで続いた優生保護法下では,結婚の条件として,あるいは同意なく不妊手術を行い,妊娠しても堕胎させられることもあった(6)。現在も,新型出生前診断によって障害があると判明した人のほとんどが中絶を選択している。同じ人間ととらえればできない行為も,「人間でない」と見なすことによって許容される。
非人間化は,「人間である」自分から他者を大きく引き離すことによって,共感を減らし,極端な決断や行動へと導く。そして,暴力のような攻撃的行動に従事した後は,その行為を正当化するために,相手を非人間的にとらえ,さらに攻撃的な反応が誘発される((7)がゲームを用いて擬似的に検証した)。
まとめると,文化や理性,複雑な感情など,人が独自にもつ特性をもっていないと見なされる人は,動物的にとらえられ,反社会的・非社会的行動が促される。そして,残酷な行為を正当化するために,相手を非人間化し,共感を抑制する。それによって,さらに排除や暴力は引き起こされやすくなる。非人間化された人は,このような循環によって,人間的な扱いから遠のいていき,常態化していく。
これらの議論から,「障害者の特性を考えれば,非人間化されても仕方がない」「病院や施設の人が人扱いできないのもやむをえない」という結論が導き出せるだろうか。よくよく考えてみたい。
そもそも,人間独自がもつという「文化」「複雑な感情」「理性」「道徳」とは,どのようなものだろうか?
全国障害者芸術・文化祭が来月愛知県で行われるが,これら(8)はアートではないだろうか? 落書きと見なすか,芸術と見なすかは,私たちのとらえ方による。
ある精神障害の人は,毎日行動日誌をつけることを求められ,報告すると「どうしてこれをしたんですか?」「この間○○で見かけたけど書いていない」などと追及されるため,ついにどなった。この人は理性が欠けており,怒りは病気の症状なのだろうか?
煙を長時間見つめている知的障害の人がいた。後に知ったことは,亡くなった父親のお葬式で,煙を見ていたということであった。その頃から煙を見つめるようになったという。その人は複雑な感情をもっていないのだろうか?