人間の命と死,そして心――『人口の心理学へ』が問いかけるもの(4)
Posted by Chitose Press | On 2016年09月16日 | In サイナビ!, 連載少子・高齢・人口減少――世界に先駆けて日本が直面する人口現象は,私たちの命や心とどう関わるのか。新しく提起された「人口の心理学」をめぐって,発達心理学,家族心理学を専門とする4人が,その問題の所在と今後の展望を語り合いました。最終回では子どものもつ力と,人口の心理学の今後の展開について議論が展開されました。(編集部)
→連載第1回はこちら
→連載第2回はこちら
→連載第3回はこちら
子どものもつ力
柏木:
もう1つ,先ほど少し言いました子どもに対する感情の問題についてお話したいことがあります。『日本の男性の心理学』で友情について書いてくださった北條文緒さんというイギリス文学や評論が専門の方から手紙をいただきまして,ストーンという人のFamily, sex, and marriage in England 1500-1800というその時代の結婚や性や家族について書いた本があるらしく,その本を読んだときに,人口の心理学というのがあるんだな,と思ったというのです(1)。その本にどういうことが書かれているかというと,子どもがたくさん生まれてどんどん死んでいく時代は,そのことをあまり悲しまなかったということなんです。どんどん死んでいくのに感情を投資してしまうと身がもたないんじゃないかと北條さんは言っていました。
柏木惠子(かしわぎ・けいこ):東京女子大学名誉教授。主著に『子どもという価値――少子化時代の女性の心理』(中央公論新社,2001年),『家族心理学――社会変動・発達・ジェンダーの視点』(東京大学出版会,2003年),『日本の男性の心理学――もう1つのジェンダー問題』(有斐閣,2008年,共編),『家族を生きる――違いを乗り越えるコミュニケーション』(東京大学出版会,2012年,共編),『おとなが育つ条件――発達心理学から考える』(岩波書店,2013年)など。
思い当たることがありまして,モーツアルトはたくさんの細かい手紙を残しているのですけれど,子どもが死んだことについて,何も言っていないんです。子どもというのは死ぬものだと考えていると,そこからわかる。バッハもたくさん子どもがいるのですが,ばたばたと死んで,母親が葬るときに「悲しいけれども,あまりに悲しむことは取り去る方の気持ちを大事にしないことだ」と,人智を超えたものの力にすがることを言っています。いまの親は子どもに対して過剰に投資します。子どもを自分が「つくった」から,また子どもが1人や2人だということで,過剰になりすぎているのだと思います。昔は子どもが多くて手がまわらないとよく言いましたけれども,子どもから見たらそのことを「虐待している」と思わなくて,「お母さんは忙しいんだ」と思い,大きくなったら自分でしなければいけないと変わっていったものでした。いまだと,手を抜くとか虐待とか言われてしまう。少子にした,そして自分がつくったんだということと,ほかにもしたいことがあるという狭間の中で生まれる子どもへの感情だと思っています。親子関係における子どもに対する親の愛情は,人間だからこうなるのが当たり前なんだということではなくて,かなり相対的なもので状況によって変わるということを,これらの本から教えられて印象深かったです。
根ヶ山:
私は沖縄の多良間という島で研究をしていて,そこでは少女が赤ちゃんの世話をする守姉という風習があるのですが,そういう現象を目の当たりにすると,子どもはけっこうできるんだと思いました。母親は赤ちゃんから離れて家事や自分のことをされています。やらせれば子どももけっこうできるんだと,島の人は子どもがもっている力におおらかにゆだねているわけです。子どももゆだねられたら責任感をもってやり遂げる力をもっていて,その中で子育てをやってきたのだろうと思います。子どものもっている力を信じるといいますか。
根ヶ山光一(ねがやま・こういち):早稲田大学人間科学学術院教授。主著に『ヒトの子育ての進化と文化―― アロマザリングの役割を考える』(有斐閣,2010年,共編),『アロマザリングの島の子どもたち』(新曜社,2012年)など。→Webサイト
柏木:
子どもたちが力を発揮できるチャンスをつくらないのよね。世話を焼いちゃうから。子どもが自分でもできることを自分なりにするということがなくなりますね。