知覚的リアリティの科学(4)

社会に活きるリアリティ

VRの中の向社会性

心理学に興味のある人には有名なミルグラム実験「アイヒマン実験,権威への服従実験」(7)がVRで追試されています(8)。もとの実験は,被験者が教師役となり,英単語の対を学習する生徒(サクラ)に対して,間違うと電気ショックを与え,間違いが増えると徐々に電気ショックの電圧が上がる(実際には電気ショックは与えていない)というものでした。生徒役のサクラは間違えて電気ショックを受けて痛がる,嫌がる演技をしました。教師役の被験者はそれを見て実験に疑問を感じ,やめたいと言う場合もありますが,白衣を着た権威のある実験者が実験の続行を命ずるだけで多くの被験者が最大の電圧までショックを与えてしまうという結果でした。現在では,実験の倫理性が疑問視され行うことは困難です。これをVRを用いて,明らかに本物の人には見えないアバターに対して行ったのがVRミルグラム実験です。

VRミルグラム実験の様子(9)

結果は基本的にもとの実験と同じで,多くの人が電気ショックを与え続けたのですが,相手が人ではないアバターですので当たり前ともいえます。ただし,文字だけのチャット相手に対して行う場合よりも人の形をしたアバターに対して電気ショックを与える場合の方が,被験者は躊躇し,強い生理的反応を示しました。つまり,VRの中のそれほどリアリティのない対象に対しても私たちは同情や罪悪感を感じるといえるでしょう。

私たちのもつ向社会性(反社会性の対語。他者への共感,同情,公平性など)はかなり本質的であり,10カ月齢の言葉を学ぶ前の赤ちゃんがコンピュータ画面の中で動く幾何学図形に対しても同情を示すこと(10)から先天的ではないかという説もあります。私と京都大学の板倉昭二教授らとの共同研究では,ナイフを刺されているような痛そうな状況にあるロボットに対しても,人に対するのと似た共感を反映する脳波が計測されました(11)。VRのアバターに関しても同様の結果が得られています。つまり,バーチャルな対象に対しても私たちは同情や共感を感じます。VRと現実社会が融合するときに,人がもつ向社会性は考慮しなければいけない問題です。

VRが現実社会に及ぼす危険性

VRについて危険性が指摘されることがあります。VRが普及すると人は現実とバーチャルの区別がつかなくなってしまうのではないか,人の命もバーチャルなものと感じるようになってしまうのではないか,VRのアバターに恋をして現実世界での婚姻が減ってさらに少子化が進んでしまうのではないか,現実世界でのコミュニケーションが減り人と人が協力することがなくなってしまうのではないか,VRの中の空間や物に課税をすべきではないか,アバターの人権を考えるべきではないか,などなど。

これまでも類似の議論がテレビ番組やゲーム,インターネットなどについて行われてきました。最近では,ロボットや人工知能(12)について盛んに議論されています。VRは安全ですよ,何の問題もないですよというのは考慮がなさすぎですし,一方で過度に恐れることは人間社会の発展や科学技術の発展,産業の振興を妨げます。すべての技術は多くの議論と経験を経て社会に受け入れられていきます。知覚的リアリティの制御であるVRが社会に普及するためには避けて通れない議論であり,それを考えることがさらにVRを進展させることになると思います。

おわりに

この連載では,知覚的リアリティの科学として,知覚心理学とVR,そしてその融合領域について話をしてきました。リアリティは基本的に個の問題です。自分が感じるリアリティであり,それをそのまま他者が知ることはできません。しかし,私たちは社会に生きており,個のリアリティにはこれまでの社会的生活も影響しています。そして,VRは個人の新しい体験をつくると同時に,人と人とのコミュニケーションに有効なツールであり,必然的に新しい社会をつくっていくツールになります。今後は,ますます社会に活きるVR,社会とVRの関係の研究が大切になっていくと思います。

人のリアリティ知覚やVRにはまだまだわかっていないこと,実現できていないことがたくさんあります。私たち心理学者やVR研究者はさらに基礎的な研究を進め,同時にリアリティを創造し操作する応用的で実践的な研究を同時に進めていく必要があると思います。

→この連載をPDFで読みたいかたはこちら

文献・注

(1) Dream Adventures | The Making Of | Expedia + St. Jude Children’s Research Hospital(YouTube)

(2)  上田祥平・池井寧・広田光一・北崎充晃 (2016).「実映像オプティックフローと足裏振動による歩行感覚記録・体験手法の基礎検討」『日本バーチャルリアリティ学会論文誌』21(1), 15-22.
Hamada, T., Yoshiho, K., Kondo, R., Ikei, Y., Hirota, K., Kitazaki, M. (2016). Virtual walking generator by rhythmical modulation of omnidirectional images and foot sensations. Eurohaptics 2016, London, UK.

(3) 北崎充晃・佐藤隆夫 (2008).「視覚からの自己運動知覚と姿勢制御」『心理学評論』51(2), 287-300.

(4) walking generator(YouTube)

(5) Disney Researchのサイト

(6) Difede, J., & Hoffman, H. G. (2002). Virtual reality exposure therapy for World Trade Center Post-traumatic Stress Disorder: A case report. CyberPsycholology & Behavior, 5(6), 529-535.

(7) Milgram, S. (1963). Behavioral study of obedience. Journal of Abnormal and Social Psychology, 67, 371-378.

(8) Slater, M., Antley, A., Davison, A., Swapp, D., Guger, C., Barker, C., Pistrang, N., & Sanchez-Vives, M. V. (2006). A virtual reprise of the Stanley Milgram obedience experiments. PLoS ONE, 1(1), e39.

(9) (8)Figure 1より。このURLには動画もあります。

(10) Kanakogi, Y., Okumura, Y., Inoue, Y., Kitazaki, M., & Itakura, S. (2013). Rudimentary sympathy in preverbal infants: Preference for others in distress. PLoS ONE, 8(6), e65292.

(11) Suzuki, Y., Galli, L., Ikeda, A., Itakura, S., & Kitazaki, M. (2015). Measuring empathy for human and robot hand pain using electroencephalography. Scientific Reports, 5, 15924.

(12) 内閣府総合科学技術・イノベーション会議「人工知能と人間社会に関する懇談会」のサイト


1 2 3
執筆: