知覚的リアリティの科学(2)

バーチャルリアリティ――リアリティをつくり,変える技術

私たちは,世の中をありありとリアルに感じて日々を過ごしていますが,そのリアリティはどのように認識されているのでしょうか。豊橋技術科学大学の北崎充晃准教授がリアリティに迫る連載の第2回は,バーチャルリアリティに研究者たちがどのようにチャレンジしてきたのかを紹介します。(編集部)

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Author_KitazakiMichiteru北崎充晃(きたざき・みちてる):豊橋技術科学大学情報・知能工学系准教授。主要著作・論文に,『ロボットを通して探る子どもの心――ディベロップメンタル・サイバネティクスの挑戦』(ミネルヴァ書房,2013年,共編),Measuring empathy for human and robot hand pain using electroencephalographyScientific Reports, 5, 15924,2015年,共著)など。

前回は「リアリティ事始め」として,「リアル」や「リアリティ」,「現実感」とは何かを考えました。正しい感覚入力と心の作用が知覚的リアリティに必要なことがわかりました。今回は,それらを用いてリアリティを創り出し,操作する技術「バーチャルリアリティ」(Virtual Reality, VR)について,比較的古典的な研究を中心に,最新の技術までを紹介します。

VRの誕生

バーチャルリアリティの誕生年をどう定義するかは難しいのですが,1989年という説があります。この年は,ジャロン・ラニアー(1)が,VPL Research社を率いて,データグローブとヘッドマウント・ディスプレイからなるシステムを「バーチャルリアリティ・システム」として紹介した年です。それによってバーチャルリアリティ(VR)という言葉や概念が普及したと言われています(2)。彼らが発表したのは単体の要素技術や新装置ではなく,いくつかの装置を組み合わせて,それらを統合して機能するソフトウェアを含む「システム」であることに注目するべきだと思います。

このVPL Research社によるReality built for two(RB2)は,新開発のヘッドマウント・ディスプレイEyePhoneと手の動きをリアルタイムに計測するデータグローブData Glove 2に加えて,他社の磁気式三次元位置方位計測装置Isotrak,Mackintoshのコンピュータ, Silicon Graphicsのワークステーションなどを組み合わせたものでした(3),それによって,ユーザがさまざまなVRの開発ができるシステム(開発プラットフォーム)として提案されました。このEyePhoneという名前は,イヤホン(Earphone)から連想されてつけられたらしく,目に直接情報を提示するという意味で秀逸な命名だと思います。そして何よりその名前(for two)の示す通り,2人のユーザがサイバースペースでリアルタイムにインタクラションできることを核としていることも,これをVRの誕生と考えてもよいと私が思う理由です。VRは,要素技術ではなくシステム技術であり,サイバースペースに没入し,そこで環境および他者とのインタクションを行うもの,という最初のコンセプトが明確に示されています。

VRの前史

心理学の誕生は,1879年にドイツのヴント(4)がライプティヒ大学に心理学実験室を開設したことと言われています。しかし,同時に心理学史では,ギリシア哲学におけるプラトン(5)やアリストテレス(6)による心とは何かという問題やデカルト(7)の心身二元論,その他多くの哲学者の心に関する論考が実験心理学・基礎心理学誕生の前史として存在したことが大切であると説明されます。VRにおいてもやはり同じことが言えます。VRがシステムとしてその概念が広まる前に,最初のヘッドマウント・ディスプレイや多感覚提示装置が発表されています。

最初のヘッドマウント・ディプレイとされているのは,サザランド(8)が1968年に発表したとされる通称The Sward of Damocles(ダモクレスの剣)です(9)。このシステムは両眼の前に小さなCRTディスプレイを光学系を通して配し,頭部(視線)方向に対して適切なコンピュータグラフィックスが両眼立体視(3-D)で提示されるものでした。しかも,透けて見えるシースルー型になっており外界の情報が遮られずに見え,その中にコンピュータグラフィックスが重ねて提示されました。いまでいう複合現実感ディスプレイです。その重さを支え,頭部運動を計測するために天井からぶら下げられていたのがダモクレスの剣の故事(10)を連想させます。

Ivan Sutherland – Head Mounted Display(11)

ハイリグ(12)は1960年頃にSensoramaとよばれる多感覚情報提示装置をつくっています。その名はSensory Panoramaの造語でさまざまな感覚を刺激するという意味でしょう。この装置はまるで昔のゲームセンターの機械のようです。そのアーケードゲームのような筐体に座り,ディスプレイの前に頭を入れると,広視野角の映像に加え,三次元音響,振動,風や匂いが同時に提示されたといいます。さまざまなモダリティ(五感感覚)を同時に用いて,リアルな体験をさせようとしたものです。

Morton Heilig’s Sensorama (Interview)(13)

見渡すとその世界の中に没入して感じられる体験を生み出すヘッドマント・ディスプレイと視覚,聴覚,体性感覚,嗅覚などさまざまな感覚を同時に刺激する多感覚提示装置がすでに1960年頃につくられていたのは驚くべきことです。この2つはVRの中核要素といえるでしょう。これらに加え,コンピュータの計算速度の向上,コンピュータグラフックスの進歩,磁気やジャイロなどの位置・方位センサの開発などがその後のVRの発展をもたらしました。


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