歴史的・社会的文脈の中で心理学をとらえる(2)

小塩:けっこう気づくときありますよ。書いた論文にそっくりな文章が、1字1句同じじゃなくても構造的に同じようなものが出ている。

渡邊:絶対に自分しか書くわけない、というのがあるからね。我々学者の立場からすると、それもまあ読まれているってことかという割り切り方ができてしまう。書いたものでいただいているお金で食べているわけじゃないから。

小塩:紙媒体だと、自分と査読者くらいしか読まないとか。

渡邊:3人ないし4人ね。

分野の違い

渡邊:査読の問題には分野の違いの問題もある。学会メンバーの良心として、頼まれたら、断ったら困るだろうな、と思ってしまうから引き受けるのだけど、本当にわからないのがある。『質的心理学研究』(8)などはもっと大変で、心理学以外の分野からも投稿されるから、通読してもまったく意味がわからないことがある。私には意味がわからないので、と言って返したのがある。もう1人の査読者の人はちゃんと読んで、意味がわかって審査していたみたい。だから査読者を変えてくださいって言って、変えてもらったんだけど。やっぱり別の分野とでは書き方が違うものね。

それこそ法律の『判例時報』(9)とかの形式で書いてこられても、我々がそれを論文として評価することはできない。若い人はすぐに「心理学の枠にこだわらないで」とか、「学際的に」とか、「心理学でなくていい」とかいうけど、向こうが認めてくれないよ、あなたのこの論文は心理学の書き方で心理学のことしか書いていないので、こんなの他の分野の人が読んだって意味がわからないんだよ、ということがわかっていない。学際とか言っても近接領域としかつき合っていないから、それこそAPAスタイル(10)で論文を書く業界としかつき合っていないから、そんなことが簡単に言えるのであって、APAスタイルで論文を書かない領域とぶつかったら、いきなりわけがわからないことになる。

前に測定の妥当性の話を化学者としたんだけど、全然話が通じなかった。なぜ通じないかというと、彼らは機械で測る。機械の妥当性はア・プリオリなんだよね。ガスクロマトグラフィーで成分が出てくるんだけど、俺が「これが合っているかどうかって……」って言ったときに向こうは「いや、これは定期的に調整しているから大丈夫ですよ」と。これが典型的な分野の違いという話じゃないんだけど、機械の測定の話っていうのはその分野の人にとっては機械がちゃんと調整されているかどうかの問題で、きちんと調整されている機械は合っている。もちろんそれはその機械が開発される過程で何度もいろいろな形で、我々がいう併存的妥当性みたいなものが繰り返しチェックされて、この機械が大丈夫だということになっている。この1台だけ測定が間違っているというのは、それは追試するからいいのか。機械が壊れてっていうのは実際にあって、論文が出るんだけど、追試できないことがあるらしい。

第3回に続く

文献・注

(1) ミシェル(W. Mischel:1930- ):1960年代、パーソナリティの状況論に関する研究で学界にインパクトを与えた。主著に『パーソナリティの理論――状況主義的アプローチ』『マシュマロ・テスト――成功する子・しない子』など。

(2) 日本臨床心理学会編 (1979).『心理テスト――その虚構と現実』現代書館

(3) 戸川行男(1903-1992):臨床心理学者。早稲田大学名誉教授。

(4) 1990年頃、渡邊芳之と東京都立大学の同期だった佐藤達哉(現・立命館大学教授)とが血液型性格判断についての研究を行っていた。

(5) 千里眼事件とは、1910年頃に御船千鶴子(1886-1911)が千里眼能力で透視ができるとマスメディアを通じて紹介され、大きな話題となり、公開実験などが行われた事件。当時東京帝国大学助教授であった福来友吉(1869-1952)など複数の研究者が後押ししたが、最終的に千里眼は否定された。

(6) 渡邊芳之編 (2007).『心理学方法論』朝倉書店

(7) CiNiiとは、国立情報学研究所が運営する学術情報のデータベース。
http://ci.nii.ac.jp/

(8) 『質的心理学研究』は日本質的心理学会発行の雑誌。
http://www.jaqp.jp/shitsushinken/

(9) 『判例時報』は判例時報社発行の雑誌。

(10) APAスタイルとは、アメリカ心理学会(American Psychology Association: APA)が定めている論文執筆のガイドラインのこと。
アメリカ心理学会著(前田樹海・江藤裕之・田中建彦訳)(2011).『APA論文作成マニュアル〔第2版〕』医学書院(2010年発行の原著第6版の翻訳書)


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