歴史的・社会的文脈の中で心理学をとらえる(2)

小塩:いまは、何がまっとうな研究で何がまっとうでないかわかんないですよ。

渡邊:わかんないよね。1990年には、まっとうな研究とそうじゃない研究があったよね。基本的には心理変数の入っていない、全部行動で定義できるものがまっとうな研究で。パーソナリティ分野でもそうだったと思うよ。完全に操作的に定義できるものしかモデルに入れることを認められなくて。いまなんか、モデルに何を入れたっていいんだもん。すごいよ。

小塩:自由ですよね。僕が院生の頃と比べても。

渡邊:この20年でずいぶん違うよね。そのこと自体はいいと思うんだけど。その概念のことをもうちょっとちゃんと考えなくていいのか、ということは常に思う。今日の発表でも気になったのはあったなあ。

そもそも論をどこでするか

渡邊:こういうことはまとめては書きにくい。いま、とある出版社で方法論の教科書を書こうとしているんだけど、方法論の教科書を書きたいんじゃないんですよ。方法論の教科書を書くと、当然いまのような話をすることになるでしょ。それが教科書としてどの程度需要に応えられるかはあるけれど。朝倉書店から出た『心理学方法論』(6)が増刷2回目になった。信じられないよね。方法論という本だよ。方法を書いてある本に若い人が飢えていて、何でもいいから方法を教えてくれる本を読みたいんだよね。若い人が方法の本を読みたいと思うのは、1つは研究のやり方を手っ取り早く知りたいと思うのもあると思うけど、若い人に好きなことを話をさせると、やっぱりそもそも論を知りたいと言い始めるんだ。あの本はただタイトルと表紙だけで売れているとは思わなくて、ちらちらは中を見て買うわけだから、そもそも論を書いてあるから買うのだろうと思う。開いてから最初の50ページくらい1つも図表がなくて、昔の心理学者の写真しかないんだよ。それをわざわざ買ってくれるわけでしょ若い人が。だからやっぱり需要はあるので、その需要に対してどういう形でアピールして提供していったらいいのかを考える必要がある。

渡邊:ネットで読めるというのはやっぱり大事。『パーソナリティ研究』は引用される度合いにおいては、『心理学研究』『教育心理学研究』に伍すくらい引用されている。なぜかというと要はフリーアクセスだからなんだよね。検索すると出てきて読めるから、引用してもらえる。ネットで読めるのはすごく大事。もう現実、ネットにあがっていないのはないのと同じになっている。CiNii(7)からPDFのリンクのついていないものは、その時点で閉じられてしまう。わざわざ図書館を経由して取り寄せようという人は、特に若い人や院生とかではいないですよ。ということは、ネットに載っている情報によって研究が作られていく。だからそもそも論もネットに載っていることは大事。

小塩:いまGoogleで自分の論文が何本引用されているかわかりますからね。研究者の方も、論文がオープンになっていなくても最終原稿をどんどんアップしてしまっている。

渡邊:著者本人が印刷された論文をPDF化して挙げるのはまさにグレーゾーンで、俺はやっているけれど、専門家も意見が分かれる。ジャーナルについては学会誌は学会が、商業誌であれば出版社が保持しているが、著作人格権自体は移動していないので、その中に自分が発表した論文をPDF化してアップロードすることが含まれるかどうかという議論は延々とされている。小説だと明らかにダメなんだろう。いくら絶版になっているからって、自分の小説を全部PDF化して自分のウェブページにアップロードしてっていうのはたぶんだめだよね。部分的な引用だとかなり広いグレーゾーンがあるだろうけど。

我々学者としてはコピーされ放題でも全然困らないんだよね。引用さえしてくれれば、コピーされても全然かまわないし。今回考えているそもそも論なんて、引用もせずにコピーされたっていい。実際けっこうコピーされているんだよ。先生もやってみな。自分の論文のコアになるような文章をそのまま検索してみると、けっこういろんなところに載っている。俺だってあるんだから。昔の『心理学評論』の論文のけっこうコアな、この論文にしか書いてないような書き方でこの論文にしか書いていないようなことを書いてあるのを文字通り検索すると、2つ、3つと出てくる。


1 2 3