歴史的・社会的文脈の中で心理学をとらえる(2)
Posted by Chitose Press | On 2015年12月21日 | In サイナビ!, 連載現在の心理学を大きな歴史的・社会的文脈の中で見ていくと、何が浮かび上がってくるのか。帯広畜産大学の渡邊芳之教授と早稲田大学の小塩真司教授による対談の第2回。パーソナリティ心理学における変わるもの変わらないものとは、「そもそも論」を伝えるためにはどうすればよいのか。(編集部)
変わるもの変わらないもの
渡邊芳之(わたなべ・よしゆき):帯広畜産大学人間科学研究部門教授。主要著作・論文に、『性格とはなんだったのか――心理学と日常概念』(新曜社、2010年)、『心理学方法論』(朝倉書店、2007年、編著)、 『心理学・入門――心理学はこんなに面白い』(有斐閣、2011年、共著)など。→webサイト、→twitter: @ynabe39。
渡邊芳之(以下、渡邊):「変わるもの変わらないもの」は、パーソナリティ心理学が始まったときから一番大事なテーマ で、かついまも大事なテーマだ。パーソナリティ心理学の歴史の中で、繰り返し「変わるもの」の方が有力な時期と「変わらないもの」が有力な時期とが現れ る。変わるものは教育、訓練、コントロールですよね。変わらないものは予測だし、もっと言えば優生学だ。個人差の問題を変わらないものからとらえるのは、 優生学から絶対に切り離せない。だからそこが倫理の問題になってくる。
それこそ知能の生得性が明らかになって、例えば知能の8割は生得的だなん て話になったら、いまみたいに勉強ができる・できないで人を選抜できなくなる。差別になるものね。知能の問題はいつか揺り返しが来るよ。揺り返さないと、学力で順位をつけられなくなってくるから。結局、その時代の時代精神の方が先にある。研究が発展して時代精神を作っていくのではなくて。変わらないものに みんなが興味がある時代と、変わるものにみんなが興味がある時代とがある。
ミシェル(1)の本が出たときはどういう時代であったかというと、 1968年頃はアメリカではフラワー・ムーブメントで、みなヒッピーだったし、みんなドラックでトリップをしていた。その頃はドラッグによる性格の変異が注目されていて、ドラックで性格がすごく変わってしまうわけだよね。それがまだポジティブにとらえられていた時代。変わることに対するポジティブな考えがすごく強かった。アメリカの社会も公民権運動の流れとしてよい方向に変わり、ミシェルの頭の中にも当然だけれど、状況によって変わるポジティブな人間像がくっきりとある。そのあたり、日本の心理学者は文字通り倫理フリー(倫理に関知しない)な考えをもっていたりするよね。
小塩真司(おしお・あつし):早稲田大学文学学術院教授。主要著作・論文に、『Progress & Application パーソナリティ心理学』(サイエンス社、2014年)、『性格を科学する心理学のはなし――血液型性格判断に別れを告げよう』(新曜社、2011年)、『はじめて学ぶパーソナリティ心理学――個性をめぐる冒険』(ミネルヴァ書房、2010年)など。→webサイト、→twitter: @oshio_at。
小塩真司(以下、小塩):この前、1970年代ぐらいに日本臨床心理学会が出した本を読みました。
渡邊:心理テストのやつね(2)。あれは読むべき本。
小塩:早稲田大学の心理学コースで捨てられようとしていたのをもらったんですけど(笑)。戸川行男先生(3)とかがやり玉に挙げられている。
渡邊:あの頃の大先生たちの右往左往ぶり。あれは学園紛争と同時に起きていた。学部では学生たちが先生をトイレに閉じ込めて自己批判させていた。大学院では、ああいうふうに、心理学の構造自体が差別的だという話になって、みんなつるし上げられていた。あの当時の記録をいま読むと、えっ、この先生がこの頃にはこんなこと言ってたの、と驚くことがたくさんある。
昔の心理学では、政治的な展開につながった問題については、その問題に関わった人の存命中はその話はしちゃいけない感じがあった。我々が血液型の話をしたとき(4)にすごく怒られたのは、そのときのことを知っている人がまだ生きていたんだよね。千里眼事件(5)もそのときに関わった人がまだ生きていた。面白いからとか言って簡単に調べにいける状態ではなかった。佐藤達哉や俺が血液型や念写を心理学史の問題としてやり始めたときどんなに怖かったかということは、歴史の証言として知っておかないと。俺なんか結婚式でも怒られたんだよ。渡邊君も所帯をもって身を固めたのであるから血液型のようなおかしなものはやめてもっとまっとうな心理学の研究を、って言われた。その先生も冗談じゃなくて本気で言っているし、俺も本気で言われたと思って恐縮していた。いまの人には想像もつかないんじゃないかな。