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幸運と不運の心理学

運はどのように捉えられているのか?

村上幸史 著

発行日: 2020年12月20日

体裁: 四六判並製224頁

ISBN: 978-4-908736-20-9

定価: 1900円+税

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電子書籍あり

内容紹介

運を心理学から解き明かす
運とはいったい何なのか。運の強さやツキはどのように語られ,認識されているのか。運を「譲渡する」現象はどのように捉えられているのか。日常生活の中から,さまざまな記事やノンフィクションにおける運の描かれ方を分析し,その実態に迫る。

目次

第1章 運を研究する

第2章 運と偶然性

第3章 フィクションにおける運の描かれ方

第4章 「運の強さ」とは

第5章 運を「譲渡する」

第6章 運用語の基礎知識

著者

村上幸史(むらかみ・こうし)

2004年,大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。現在,関西国際大学現代社会学部准教授。
主要著作に,「『運の強さ』とその認知的背景」(『社会心理学研究』18, 11-24, 2002年),「『運を消費する』という物語」(『質的心理学研究』5, 146-164, 2006年),「『幸運』な事象は連続して起こるのか?―『運資源ビリーフ』の観点から」(『社会心理学研究』25, 30-41, 2009年),「『幸運の相対性仮説』とその検証」(『社会心理学研究』28, 147-157, 2013年),「『運資源ビリーフ』に地域差や世代差は見られるか?」(『心理学研究』87, 89-94, 2016年)など。

「はじめに」に代えて

もしかしたら、この本には「運が良くなるコツ」のようなものが書いてあると思って、手にされた方がおられるかもしれません。残念ながら、この本にはそのようなノウハウやエッセンスは含まれていません。
あるいは、運のような非科学的なことを説くことは、結局は「気のもちようが大事」といった一種の「自己啓発本」のようなものであり、ある種のオカルト本ではないかと疑問視されている方もおられるかもしれません。残念ながら(笑)、この本にはそのようなエッセンスも含まれていないのです。そのような内容とは、一線を引くような本を書いたつもりです。
では、運を心理学的に解き明かすこととはどのようなことでしょうか。おそらく日本にいる方なら、幸運や不運について考えたり、あるいはそれにまつわる話を、知り合いやニュースから聞いたりしたことがないということはないはずです。それどころか、これは私の勝手な推測ですが、世界の中でも日本人は運に関する話が大好きな部類ではないかと感じています。
「学問や研究とは」のような、少し硬めの話は後の章に任せることにして、まずはどの程度、われわれのまわりに運に関する話があふれているのかを示す例を紹介することから、その問いに近づいてみたいと思います。
私たちはしばしば運のよしあしについて語りますが、それは政治家やスポーツ選手、科学者なども例外ではありません。
たとえば、小泉純一郎首相(以下、肩書は当時のもの)は、「最近ピンチになると良い風が吹いてくる。運が良いと言われるが、運ではなく〝福〟がついている」(『読売新聞』二〇〇六年二月二五日)というコメントを残していますし、彼との対立が話題となった田中真紀子大臣もまた、「今回肝に銘じているのは、きわめて慎重に、よーく耳を澄まして、みなさんの声を聞きたい。役所と対決しようとは思っていない。以前はたまたま運が悪かったんでございます」というコメントを残しています(『読売新聞』二〇一二年一〇月七日)。
たんに運のよしあしが語られているだけでなく、それが語り手の印象をも左右しているのは気のせいではありません。とくに自分について語る場合と、他者について語る場合では印象がかなり変わってきます。
また、ある占い師は、清原和博元プロ野球選手の逮捕に関して、「運が良いから、警察に捕まって、まともな生活を取り戻せる。悪いことをすると運の良い時期に捕まるという幸運があるもの」というツイートをしたことが取り上げられています(『デイリースポーツ』二〇一六年二月三日)。運が良いから逮捕されるとは何とも皮肉な表現でしょう。
このように【運が良い】や【運が悪い】とは、成功や失敗の結果に対して語られるだけでなく、運が結果を左右するような状態にあることを示す表現でもあるようです。
運のよしあしは、あたかも日や週、年単位などで時間的な変化をするかのように、捉えられることがあります。
「地元の小学校から高校まで同じだった日本銀行システム技術担当参事役、浅田徹さん(五〇)は昨年夏、東京から帰省した際、『山中は受験生の息子に「運・不運の波に負けない志を持ちなさい」と声をかけてくれた』といい、当時と変わらない優しさを感じた」(『読売新聞』二〇一二年一〇月九日)。
この記事は、iPS細胞の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授のエピソードを語ったものですが、彼も運を波の浮き沈みのようにたとえています。彼はまた「けがというネガティブなことから人生の目標ができた。人生は塞翁が馬という言葉を意識するようになった」(『読売新聞』二〇一二年一二月一一日)とも語っています。【運の波】も【人間万事塞翁が馬】も、変化を示すのによく用いられる表現です。
あるいは【運勢】のように、的中するかは別にして、そのよしあしが占いなどから提示されることもあります。
ある空き巣は「リストラで職を失い、空き巣を繰り返して四人家族を養っていた男が逮捕された。(中略)喫茶店でスポーツ紙の運勢欄を読み『幸運』の日だけ犯行に及んでいたが、逮捕された日はたまたま週刊誌を読んでおり、運勢チェックをしていなかった」(『スポーツ報知』一九九九年一一月三〇日)という冗談のような三面記事が取り上げられています。チェックを怠ったのがあだになったのでしょうか? 【運勢】は彼の行動をも左右しているように見えます。もしかすると、読まなかった犯行の日は「不運」と書かれていたのかもしれません。
また運勢といえば変化をイメージしますが、【宿命】や【運命】という表現は「人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える」(『大辞泉〔第2版〕』)側面を強調しており、予見できないがすでに決まっているという側面を強調する場合と、家柄や性別などの明確な生得的要因を指す場合があります。
あるIT企業では、「『運命給』が。給料日前にサイを振り、出た目の一〇〇分の一に基本給を賭けた額を受け取れる。幅はだいたい二〇〇〇円~二万円。成果主義に逆行する珍制度も、社員にはおおむね好評とか」(『読売新聞』二〇〇七年九月一二日)のように、人がコントロールできない側面を逆に生かしていることもあるようです。運に左右されるという不確実な状況は、ある種魅力的でもあります。
運のよしあしはその時点だけのことではなく、「運が強い―弱い」という【運の強さ】の程度にあたかも個人差があるかのように説明されることもあります。
たとえば、「日本シリーズでは一度も勝てず『悲運の名将』と呼ばれたが、『江夏の二一球』に描かれた七九年日本シリーズでのスクイズ失敗も『後悔はない』と言う。『八度も勝てたんだ。恵まれた男だ。一つも悲運ではない』と野球人生を振り返っていた」(『スポーツニッポン』二〇一一年一一月二六日)のプロ野球の西本監督のように、実力があると見られているのに結果に恵まれない場合に、【悲運】という言葉が用いられることがあります。これは「運の弱さ」を個人に帰した説明の一つです。
これに対して、【もってる】という言葉が流行したことがありました。【もってる】とは重要な場面で結果を出した者に対して用いる表現です(「持ってる」「持っている」とも記述されます)。
「無の境地でいたかったけど、メチャクチャいろんなことを考えた。ここで打ったらオレ持ってるなあとか、今すごい視聴率だろうなとか。そういうことを考えるとあまりいい結果は出ないんですけど、出ましたね」(『読売新聞』二〇〇九年一二月二六日)。
彼、イチロー選手は超一流の選手ですが、【もってる】という表現には「運を」や「星を」という言葉が省略されており、運の強さとスター性との掛け算から感じるものと考えられています。華がない者に対して用いられることは少ないのです。
また特定の種類の人々に備わった運のよしあしも語られることがあります。【別れ作】や【あげまん】、「妊婦は懸賞に当たりやすい」などがこれに当たります。有名なのは【ビギナーズラック】です。これはギャンブルなどで初心者が幸運を手にすることがしばしばあることを表現したもので、語られるのは、準備や知識もなく最初から成功したことに対する驚きの感情です。
「菅直人首相が二五日(日本時間二六日)、主要国首脳会議(ムスコカ・サミット)で外交デビューを果たした。初日からオバマ米大統領らが気さくに非公式会談に応じるなど『ビギナーズラック』に恵まれたが、外交手腕への期待値は低く、存在感を示すことはできなかった」(『朝日新聞』二〇一〇年六月二七日)のように、偶然の成功の側面ばかりが強調されて、その後に失敗したことはごく当然のものとして語られる傾向にあるようです。
運は、個人の状態を指すいわばバロメーターのようなものでしょうか?「プロに入るだけでも大変なのに、ノーヒットノーランを達成したり防御率のタイトルを取ったり、今年は野口君の記念品を展示させてもらったら優勝ですからね。ものすごい運を持っている。その運を小松町にも少しおすそわけしてもらいたいと思いまして」(『大阪スポーツ』一九九九年一〇月一日)という記事や、「『お笑いアイドル』として熱狂的な人気を誇った二〇代の頃も、『女にうつつを抜かせば芸能界から消えてしまう。運を吸い取られる。』と女性を遠ざけた」(『朝日新聞』二〇一〇年四月二四日)という記事を見ていると、【運のおすそ分け】や【運を吸い取られる】のように、まるで運が対人間を移動するエネルギーであるかのようにたとえられていることに気づきます。これは、運のよしあしが他者のそれと比較されやすいことを示しているのかもしれません。
有名なSFマンガ『ドラえもん』でも、「悪運ダイヤ」や「アヤカリン」というひみつ道具が登場します。前者はみずからが得た悪い出来事(【悪運】)を、ダイヤを所有する他者に移すことができる効果をもち、後者は「よいことがあった人に身体的な接触をすることで、幸運をおすそ分けしてもらえる」という効果が設定されています。マンガはあくまでフィクションですが、われわれが成功した人に握手を求めたりすることは珍しいことではありません。その背景には運の移動に関する人の願望が反映されているようにも思えます。
これと似た表現ですが、【運を使い果たす】や【運を残しておく】のように、運を使うと減ってしまう資源であるかのようにたとえることもしばしば見られます。
たとえば、「運を使い果たしたころかなと思っていましたが、運は使いきれないものですね。一生じゃないが、何か持っている、こういう人生なのかなと思います」(『サンケイスポーツ』二〇〇七年六月一八日)のような大学時代の斎藤佑樹投手の発言や、「引退したのは、プロ生活が精神的にきつかったこともあるし、予想以上の成績を収めてきたことが怖くなった。結婚とか子どもとか、テニス以外にも自分の運を残しておきたい」(『神戸新聞』二〇〇〇年七月一九日)のような伊達公子選手の発言などが有名です。先の例と違うのは、その量の増減が個人単位で語られているところです。運をもっと使えば良かったのかどうかは、死ぬまでわからないかもしれません。
まだまだ紹介したい例には枚挙にいとまがありませんが、いくつかは第6章「運用語の基礎知識」に収載しましたので、そちらをお読みください(【 】のものは第6章「運用語の基礎知識」に掲載している用語です)。
これらを眺めると、運について何とも多様な表現がなされていることに気づかれたのではないでしょうか。さらには、「そもそも運とは何だろうか?」という疑問をもたれた方もおられるのではないでしょうか。運とは結果のよしあしのことでしょうか? それとも結果の説明にすぎないのでしょうか? その説明についても、「運がよい」といった個人の状態を指すだけではなく、運自体が何らかの見えない影響力をもつかのような説明がなされているようにも見えます。
そこで、この本では人々が運とどのように関わっているのかを探るために、まず第1章では「運を研究する」と題して、具体的な研究方法の提案を、第2章では過去の心理学では運がどのように扱われてきたかを概観したいと考えています。
次に、主として筆者が分析した結果をもとにして、第3章では運が描かれることが多いフィクションの描写を題材にして、なぜ運の強さやツキといった説明がフィクションを読む側からも判断できるのかについて、第4章では個人差としての「運の強さ」に関して、人がもっている信念とその影響力について、第5章では「運の譲渡」に関する事例を分析したものを紹介しています。
最後に、第6章として、運にまつわるさまざまな用語について辞典風の紹介を試みました。各章はそれぞれが独立しており、章の順番に読み進めると問いが解決するというような構成を特にとっていませんので、お好きな章から(特に、研究の方法論にあまり関心をおもちでない方は、第1章と第2章を飛ばしていただいて)読んで、運として語られる事柄の面白さと広がりを知っていただきたいと考えています。

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