『障害理解のリフレクション』出版にまつわる裏話

行為と言葉を手がかりに,日常実践における障害の社会的生成メカニズムの実態に迫る『障害理解のリフレクション』。障害とは,自分とは,社会とは? 編集に携われた栗田季佳・三重大学准教授が,出版にまつわる裏話を語ります。(編集部)

栗田季佳(くりた・ときか):三重大学教育学部准教授。『障害理解のリフレクション――行為と言葉が描く〈他者〉と共にある世界』(ちとせプレス,2023年),「排除しないインクルーシブ教育に向けた教育心理学の課題――障害観と研究者の立場性に着目して」(『教育心理学年報』59, 92-106,2020年),『難聴者と中途失聴者の心理学――聞こえにくさをかかえて生きる』(分担執筆,かもがわ出版,2020年),『偏見や差別はなぜ起こる?――心理メカニズムの解明と現象の分析』(分担執筆,ちとせプレス,2018年)など。

ちとせプレスの櫻井さんと本書『障害理解のリフレクション』(1)のもとになる企画について相談したのはいつであっただろうか。もうさかのぼることも困難なほど時が過ぎてしまった。じつは当初,編者の1人である栗田が単著を執筆する予定であった。私は心理学者として,これまでずっと実験や調査を通して,健常者と言われる人が障害者をどのように捉えるのかを明らかにする心理学研究を行ってきた。しかし本書の序章でも述べたが,徐々にそのアプローチに疑問を抱くようになり,企画当初はそのことが念頭にあった。ちょうどここ10年ほど,心理学では再現性の問題が取り上げられ,心理学の科学的信用性に揺らぎが生じ,心理学者たちはみずからのよって立つアプローチを見返す必要に迫られている。しかし私の心理学に対する疑義はそれとは別のところにあった。

このエッセイでは,『障害理解のリフレクション』の出版に至るまでのてんやわんやの舞台裏を語ろうと思う。本書は,従来の障害理解のあり方を,既定の条約や理論を旗印にトップダウン的に啓蒙するのでなく,人々の実践や思想に立ち戻って問い直そうというものである。本書のテーマ設定にまつわる編者らの思いについては,はじめに(2)やあとがきにこめたので,そちらに関心のある方はさっそく本書をお読みいただきたい。

話を戻そう。心理学は早くから障害児者に関心を示し,検査を作ったり使ったりしてその存在と心理を把握し,発達や適応を促す介入を考案したりしてきた。これらに取り組む研究者の多くは,善意や純粋な興味関心に基づいて取り組んできたと思われる。しかしそれが障害者をつくり出し閉ざされた世界に押し込める差別的実践なのだ,という当事者の指摘は,いつしか自分の認識へと変わっていった。主流の心理学がつくる障害理解を脱構築する本を書きたいと息巻いていた。

しかし,既存の体系から抜け出るのは簡単ではなかった。書くたびに足元の不確かさが露呈して,書いてもなんだか思っていることが表せていないような気がして,うまく書けない。書けない期間が長く続いた。既存の理論や理解は「おかしい」「間違っている」,その感覚はあるけれど,その否定が生まれるその元となる思想を私はまだ表現することができなかった。

この企画が立ち上がったのと同じ頃,本書のもう1人の編者である佐藤貴宣さんが主宰する関西インクルーシブ教育研究会に参加するようになった。社会学者が多く参加する研究会で私とはバックグラウンドが違ったが,そこで議論される障害へのまなざしの方が共感できることが多かった。研究会に出てくる知らない理論や複雑な議論は難しく,みずからの視野の狭さと理解の悪さに毎度落ち込んだ。しかしそれでも通うのをやめなかったのは,おそらく,そこで何かが見つかりそうな気がしていたのだろう。そしてみんなとても優しかった。

研究会が終わった後には飲み会に繰り出して,研究のこと,業界のこと,プライベートなことなどいろいろなことを話した。佐藤さんはいつも酔っぱらって真っ赤になっていたし,私も自信のなさから沈黙していた研究会と打って変わって,酔いの勢いで偉そうな批判もたくさんしていた。佐藤さんも研究会の仲間も,突っ込みどころの多い私の研究や,いま抱えている迷いや表現できない思いについて,責めたり上から目線で一蹴したりせず,よく聞いてくれた。

しだいに,自分が感じている疑問を表現する言葉が心理学以外のさまざまな領域にあることがわかってきた。しかしあとがきで佐藤さんも述べていたが,当事者を抑圧する医学・心理学モデルからその変革を志向する社会モデルへの障害理解の置き換えはごく一部にしか浸透しておらず,用語の周知に比べて日常の実践はほとんど変化していない。私1人では心理学批判に終わってしまう恐れがあり,批判して排除するだけでは決裂と分断を強めるだけで何も変わらないだろう(むしろ悪化させるかもしれない)。

一方で,社会学者や障害学者に任せてしまえば,他者の議論にのっかるだけでいいのだろうかと思うし,それらに明るくない読者に「私たちには関係がない」と思われてしまう可能性がある。社会モデルをリードしてきた領域と批判の的となってきた領域のコラボレーションは面白いのではないかと思い始めた。また私的なことだが,出産の予定も入り,とても単著を書ける状態ではなくなってしまった。そこで,領域を横断する広い視野で物事を見つめ,多くの研究者とつながりのある佐藤さんに声をかけることにした。

私のこのような思いに佐藤さんは二つ返事で応えてくれた。佐藤さんの人脈の広さに助けられて,本書は関西インクルーシブ教育研究会のメンバーを含め,哲学,心理学,社会学,認知科学,保育学,教育学を含む幅広い書き手が集まった。企画後の会議には執筆者らがオンライン上に集まり,各章の構想について4時間以上に及ぶ議論が繰り広げられた。このことからも,そして仕上がった原稿からも,執筆者のみなさんの熱意を深く感じた。

私の方はというと,出産前にある程度原稿を仕上げようと考えていたのだが,想定よりも1カ月早く子どもが生まれてきた。書き出しのみの原稿で,出版がどうなるのかと不安になったが,報告した際にはみなさんから温かなお祝いの言葉をいただいた。

しかし出産後の執筆は困難どころではなく,1年間はほぼ何もできなかった。子どもが比較的よく寝る2カ月ぐらいまでの間も自分の体調回復と夜の頻回な世話で精いっぱいで,昼間も子どもと一緒に寝てしまう。その後も断続する夜の睡眠に日中はいつも寝不足,お昼寝中が唯一の自分の時間だが1時間しか寝ない……夜はまた疲れてすぐ寝てしまう。生活の変化に伴う家庭内の人間関係の変化にも対処を迫られた。さらに大学勤めはすべての仕事から解放されず,子どもの顔を見ながら「あれをしなければいけない」「これはどうしよう」とよぎって自分は何をしているのだろうとつらくなるときもあった。替えのきかない研究者という仕事のありがたさの一方で,バトンの渡せない仕事を担う苦しさをこれほどに感じたことはない。

少し前に首相が育休中のリスキリングについて発言していたが,経験した者であればけっして出てこない発想だと思う。かくいう私も,出産前に「ある程度書き上げれば,なんとかできるだろう」という甘い考えでいた。育休中は仕事を休んでいるだけで,その人自身が休めているわけではないのだ。

編著の刊行を決めてからもさらに1年半ほど伸びてしまったのはひとえに私のこういった事情による。しかし櫻井さんは出版を第一に急くこともなく本当に根気に見守り,温かい言葉で励ましてくださった。時には編者の佐藤さんに愚痴を聞いてもらった。育休が開けてからは徐々にペースを取り戻したのだが,結局最初から原稿を書き直すことになってさらに出版が伸びてしまったが,執筆者のみなさんもせっつくことなく書き上がるのを応援してくださった。もちろん私がビリケツなのだがすべての原稿が集まってからも,タイトルや帯の文言,装丁について3人で納得いくまで議論し,最後までこだわり抜いた。

本書の内容や執筆者から関心をもってくださった方も多いと思うが,表紙に惹きつけられた方も少なくないだろう。デザインは希望の園(3)という三重県松阪市にある事業所のアーティスト松尾光二さんによる。ここは障害のある人の型にはまらない自由な表現活動としてアートや音楽などを展開している。私はこの事業所のファンで,ここに装丁を頼むのはたっての願いであった。私たち執筆者は言葉を丁寧に捉え,実感に沿った表現を探す。言葉で整理することで,流れゆく経験が確かなものとして自分に位置づいたり,見方を広げたり変えたりする言葉に救われることがある。しかしやはり言葉では伝えられない,伝えきれないものも確かにある。

本書の表紙を見た読者は生のエネルギーを感じ取っていただけたと思う。そして,本書を開けば,医学的,心理学的定義では語りつくせない障害の奥深さを感じることと思う。そのようなことは,障害の分野に足を踏み入れたことのある人なら感じたことがあるだろう。あるべき正しい障害理解の中で,それらが見えなくなったり取り除かれたりしていることはないだろうか。本書は,執筆者からの投げかけをもとに,いまを,自分を,社会を,リフレクションしながら,新しい障害の捉え方を見つけていこう,という呼びかけである。

文献・注

(1) 佐藤貴宣・栗田季佳編 (2023).『障害理解のリフレクション――行為と言葉が描く〈他者〉と共にある世界』ちとせプレス

(2) 栗田季佳 (2023).「はじめに」佐藤貴宣・栗田季佳編『障害理解のリフレクション――行為と言葉が描く〈他者〉と共にある世界』ちとせプレス

(3) 希望の園

9784908736278

佐藤貴宣・栗田季佳 編
ちとせプレス(2023/3/10)

障害はどのように立ち現れるのか? 行為と言葉を手がかりに,日常実践における障害の社会的生成メカニズムの実態に迫る。障害という現象をめぐる自分や社会の理解を振り返り,書き換え続けていくために


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