WITHコロナ生活とサステナブルな自制心
Posted by Chitose Press | On 2020年10月07日 | In サイナビ!新型コロナウイルスとの生活や私たちのふるまい方を,自制心の観点からどのように捉えることができるでしょうか。国や自治体が行っているさまざまな対策は,どのような効果が見込まれるのでしょうか。WITHコロナ生活とサステナブルな自制心について,尾崎由佳・東洋大学准教授が考察します。
尾崎由佳(おざき・ゆか):2007年,東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。2010年,同研究科博士号(社会心理学)取得。現在,東洋大学社会学部准教授。『自制心の足りないあなたへ――セルフコントロールの心理学』(ちとせプレス,2020年)を刊行。
コロナ禍に世界中が巻き込まれてから,半年以上が過ぎた。「姿の見えない敵」が突如出現したことにより,戸惑いや悲しみ・苦難に顔面をぶん殴られるような思いをした後には,事態の長期化に伴う「自粛疲れ」に人々は悩まされるようになり,その苦境はいまも続いている。
このような厳しい状況に置かれたときの人間のふるまいを,心理学者は強い関心をもって注視してきた。とくにセルフコントロール(自制心)を専門に研究している私から見ると,まるで壮大な社会実験を眺めているように感じられた。連日のように各国の首脳やWHOのトップなどがテレビ画面に表れて,人々に「自制するように」と呼びかけ,彼らのふるまいをコントロールしようと躍起になったからだ。
「不要不急の外出は控えてください」「ソーシャルディスタンスを保ちましょう」「大人数が集まるイベントやパーティを開催してはいけません」「外出するときはマスクをつけましょう」「帰宅したら手を洗いましょう」「トイレットペーパーはおひとり1パックまで」等といった,さまざまなアドバイスやガイドライン,そして要請・規制が発せられた。挙句の果てには,“歎願”や“悲鳴”,もしくは“脅し”とも聞こえるような,鬼気迫る呼びかけがなされる様子も目にした。
これらはいずれも,セルフコントロール(自制心)の問題に関わっている。人々に「〇〇したい。でも,そうしてはいけない」もしくは「〇〇したくない。でも,そうしなくてはいけない」といった葛藤を突きつけるからだ。たとえば,歓楽街に飲み歩きに行きたいが,そうしてはいけない。あるいは,マスクをつけるのは面倒なのだが,そうしなければいけない。このように,2つの相反する気持ちの間で揺れ動いている心理状態のことを指して,葛藤と呼ぶ。このときに,より望ましい方の気持ちに沿うように行動(たとえば「飲み歩かない」や「マスクをつける」)を実行できれば,セルフコントロールに成功したと言える。しかし,もし望ましくない気持ちに従ったふるまい(たとえば「飲み歩く」「マスクをつけない」)をしたならば,それはセルフコントロールの失敗ということになる。
セルフコントロールの心理学
こうしたセルフコントロール(自制心)に関わる心の仕組みについて解説した本『自制心の足りないあなたへ――セルフコントロールの心理学』を,2020年9月にちとせプレスより出版した。
この本の中では,新型コロナウィルスの感染拡大とそれに伴って発生した自制心の問題については,明示的には述べていない。なぜならば,あとがきにも記したように,「この未曽有の危機に瀕したときの人間心理は大変に興味深いものだが,その実証的研究はまだ初期段階にあり,わかっていないことも多い。そこで,不正確なことを述べてしまうのを避けるために,本書ではこの話題についてあえて触れないことにした」(p. 342)からである。
しかしながら,いま現在の社会情勢のことを鑑みると,セルフコントロール研究者として考えさせられることや,提言したいことがいろいろある。そこでこの場を借りて,出版されたばかりの本の内容とも関連づけながら,「WITHコロナ生活とサステナブルな自制心」について少しばかり語ってみたいと思う。
ふるまいをコントロールする
ウィルスの感染が拡大するか,収束するかという分かれ道のカギを握るのは,人々のふるまい方であることは明らかだ。三密(密集・密接・密閉)と呼ばれる状況を避けるように人々がふるまうことで,感染拡大は抑えられるはずだということは,早期の段階から指摘されてきたことである。このような指摘に応じて,人々のふるまいをどのようにコントロールするかが最重要課題であることを認識した国家や自治体・組織(会社や学校も含む)などは,さまざまな対策を打ち出した。緊急事態宣言の発令や休業要請,リモートワークの推奨,ソーシャルディスタンスの徹底などである。
こうした対策はいずれも,人々のふるまい方を変えることを目的としている。では,どうやって人々のふるまいをコントロールするのか。その具体的な方法という観点から見て,対照的であった2つのアプローチを取り上げて考えてみよう。1つは,いわば「アメとムチ」方略,もう1つは「自制の呼びかけ」方略である。
「アメとムチ」方略
「アメとムチ」方略は,欧米諸国(とくに英・仏・豪など)において顕著に見られた方法だ。望ましいふるまい(たとえば店舗が休業する)にはアメ=充分な補償金を与える一方で,望ましくないふるまい(たとえば無許可で外出する)にはムチ=高額の罰金を科すというように,行動の選択肢それぞれに付随する価値を高める/低めることを行ったのだ。これによって,人々が望ましいふるまいの方に大きな価値を見出して選択しやすくなるように,そして望ましくないふるまいの方にはむしろ不利益を感じることによって選択させないようにするという方略である。こうした補償金や罰金の制度を適用することによって人々の認識する価値構造を変化させ,「休業・休職をしてステイホーム」というふるまいを選択しやすくする環境づくりが進められた。
一方,日本においては,人々にステイホームしてもらうための方策として,顕著な「アメとムチ」方略というものはほとんど適用されなかった。法律や財政上の制約があり,そうしたくてもできなかったのだというウワサも耳にするが,その実態は私の知るところではないし,語る資格もない。ともかく私が事実として知っていることを述べるならば,国民に一律で10万円を給付するというやり方は,「もし良いことをしたらアメをあげるよ」という条件つきのご褒美ではなかったということだ。例外と言えるのは,各自治体が苦心して休業要請協力金を捻出したことや,休業要請に応じない店舗名を公表したことくらいだろうか。
しかし,国内の感染拡大状況がやや落ち着いてきたころに,注目すべき動きが起きた。すっかり落ち込んでしまった経済活動を再び活性化させるために,日本政府が新たな「アメ」作戦を打ち出してきたのだ。Go To Travel キャンペーンと銘打った「アメ」を呈示することによって,人々を旅行・観光に出かけさせようというものである。Go To Eat,Go To Event,Go To 商店街など各種の需要喚起策もその後に続く。こうしてつくり出された価値構造の変化は,人々のふるまいに少なからず影響を与えるはずだ。第一生命経済研究所が2020年6月に発表した日本経済レポート(1)によると,旅行+55%,外食+20%,イベント+45%需要押上げの可能性があるという試算が示されている(2)。
「自制の呼びかけ」方略
もう1つ,コロナ禍中にある人々のふるまいに影響を与えるためのおもな手段として用いられたのが「自制の呼びかけ」方略である。言い換えるなら,望ましいふるまいを呈示して「こうしましょう」とお願いするという方針である。「不要不急の外出を控えましょう」「マスク・消毒を欠かさず,手洗いを徹底しましょう」といった“国民へのお願い”を表明する世界の首脳陣や,日本国首相そして各都道府県知事の姿を,テレビで見かけない日はなかったといっても過言ではないだろう。
こうした呼びかけは,人々の態度・判断・行動に影響を及ぼそうとする説得過程であると同時に,何が望ましいふるまい方であるのかを思い出させるリマインダーとしての役割も果たしたと考えられる。とくに,マスメディアを通じて繰り返しメッセージ呈示を行うことや,ポスターやサインなどで生活環境の各所に目につくように掲示しておくことは,リマインダー(思い出させるもの)として効果をもたらし,人々のふるまい方に影響を与えたことだろう。ただし,この効果には制約がある。メッセージが思い出させる望ましいふるまいについて,もともと本人が価値を感じており,また動機づけられていることが必要なのだ。つまり,「外出を控える」や「マスクをつける」ことについて,これは大切なことであると認識しており,また自分もそうしたいと常日頃から思っている人々にだけ,そうしたふるまいの実行を促進する効果をもたらす。しかし残念ながら,こうしたことに意義を見出せず,またもともとそうするつもりのない人々については,望ましいふるまいを促す効果はあまり期待できない(3)。
緊急事態宣言下の日本政府や自治体は基本的に,こうした「自制の呼びかけ」方略に頼っていた。そのやり方に歯がゆさを覚えた方々も多かったことだろう。アメとムチを伴うロックダウン(都市封鎖)でがっちりと国民をコントロール下に置こうとした欧米諸国の方針と比べると,効果が限定的であることは否めないからだ。手ぬるいやり方だと批判する人もいたが,その気持ちもよくわかる。
「アメとムチ」がなくなったら人々はどう反応するのか
しかし,「アメとムチ」方略にも,デメリットはある。その最たるものとして挙げられるのは,こうした制度適用を長期間にわたって継続することができないという点である。たとえば,欧米諸国が行ったような顕著なアメとムチを伴うロックダウンは,こうした規制を続けることで,財政を圧迫することは避けられないし,国民の生活を大きく制約することに伴う経済の不活性化や,不満の増大にもつながる。したがって,いつか,どこかのタイミングで,解除せねばならない。
問題は,規制解除されたときに人々がどう反応するのかということだ。そもそも,「アメとムチ」方略というのは,利得(補償金など)や損失(罰金など)を導入することで,人々の価値構造の認識に変化をもたらし,それに応じてふるまい方にも影響を及ぼすというものだった。したがって,当然ながら,アメやムチがなくなったとたんに,価値構造の認識もまた変化してしまう。
とくに気をつけなければいけないのは,アメ(プラス)やムチ(マイナス)がなくなったことによって,人々の価値認識がそれ以前のデフォルトの状態(ゼロ)に戻るかというと,そうとは限らないということだ。人々は物事を対比的に認識するので,「あったものがなくなる」ことによって,その失われた部分に目を向け,さらに大きく感じ取りやすくなる。たとえば,もうアメ(補償金)がもらえないことを知ると,休業してステイホームという選択肢は以前よりも味気ないものに感じられてしまう。そして,ムチ(罰則)がなくなったことで,外に出かけるという選択肢が以前よりもはるかに魅力的に思えてしまう,というように。そして,こうした価値構造の再変化(アメとムチがなくなった)ことに呼応して,これまで大人しくステイホームしてきた人々がここぞとばかりに外に繰り出すように行動パターンを変化させるのは,もう仕方がないというか,当たり前のことだと言うしかない。
実際,欧米諸国において厳しい法的規制が解除された後に,観光地に向けて長い長い交通渋滞が起きる様子や,開放的な姿の人々であふれかえるビーチの様子を伝える報道を何度も目にした。最近のニュース報道によると,英・仏・豪などでは,いったん感染拡大を抑えることに成功したように見えたものの,最近になって,また新たな感染者数が激増しているそうだ。これによって,地域一帯をロックダウンするなど,再び厳しい規制を敷くようになったところもあるという。
第二波・第三波などと呼ばれる感染の再拡大が生じる理由にはいろいろなものが考えうるが,その一端を担うとされるのが,人々の開放的なふるまいである。以前禁じられていたこと(外出すること,大人数が集まること,旅行をすることなど)に,規制の解除後,わっと飛びつく人々が一定数現れたのだ。人々のこうしたふるまいに対して,無謀で非協力的な行為だと非難する政治家やメディアもあったが,そうした論調を耳にするたびに,私は内心こんなふうに思っていた――だって,こうなって当然でしょう? あなたは,こうならないと思っていたの?
アメとムチの導入で人々の行動をコントロールしようとしたのだから,これを解除したときにまた再び行動パターンが変化する(もとに戻る,あるいはさらに悪い方向へとリバウンドしてしまう)だろうということも,当然ながら予見できたはずと思う。そんなことは予測していなかったと言うならば,残念ながら,それは一方向に偏った考え方であったと言わざるをえない。
こうした観点から言うならば,「アメとムチ」方略は,その適用と解除を繰り返さざるをえないという点で,デメリットが大きいということになるだろう。規制適用によって人々のふるまいを望ましい方向へとコントロールできたように見えるかもしれないが,解除したとたんに,新たな環境変化に応じて人々のふるまいが変わってしまうのは避けられない。そこで慌てて再び厳しい規制を敷く……というのでは,終わりの見えないイタチごっこになってしまう。
日本が推し進めようとしているGo Toキャンペーンも,同じことである。2020年7月に政府の方針が一転して東京発着のツアーがキャンペーン対象から外れたとたんに,大量のキャンセルが発生してしまい,かえって旅行代理店や各所の観光地にショックと損害を与えたことは記憶に新しい。「アメ」がなくなったとたんに,人々は行動をガラリと変化させ,伸ばしていた手を引っ込めてしまったのである。先に紹介した第一生命経済研究所の日本経済レポートでは,キャンペーン対象から東京が除外されたことを受けて,当初の予測よりも効果は4割減になるだろうという修正見通しが発表された。ただし,9月に入って東京も対象範囲に含まれるようになり,旅行業界もやや活気づいてきたようにも見える。しかしながら,このキャンペーンが2021年3月末に終了(予定)ということを考えるとその先の需要はまた冷え込んでしまうのではないか,そもそもキャンペーン期間中に地域間の人々の移動が増えることによって感染拡大に再び火がついてしまうのではないか等と,さまざまな心配が尽きない。
ここまでの議論をまとめると,「アメとムチ」方略は,一時的にふるまいをコントロールするという点では顕著な効果が見られるかもしれないが,(制度適用がなくなった後でも)望ましいふるまいを人々に安定的に続けてもらうという点では,むしろ逆効果になりかねないということになる。したがって,長期的な観点から言うならば,得策ではないだろうというのが私の個人的な見解である。人々のサステナブルな自制心を支えるための方策としては,適していないと言わざるをえないからだ。
コロナとの闘いは長期戦
私がここで言うまでもないことだが,新型コロナウィルス感染症との闘いは,長期戦になる。「WITHコロナ」という表現をよく聞くようになったが,この言葉もまさに,戦いが長期にわたることを覚悟してコロナ対策を続けながら生活していくことを表しているのだろうと思う。
これはじつを言うと,セルフコントロールの問題とパラレルに位置づけられる。セルフコントロールも,「続けることに意味がある」からだ。勉強すること,健康を管理すること,キャリアを築くこと,安定して家庭を支えること,どれをとっても自制心と関わりのあることだ。そしていずれについても,自制の努力を「続けること」が非常に重要であることは,誰もが知っていることだろう。ただし,「続けること」が大切と言うのは簡単かもしれないが,その実行がとても難しいものだということも,多くの人が身をもってわかっているのではないかと思う。
コロナ対策を続けながら生活するというのも,これは簡単なことではない。自制の努力を長期にわたって続けることが求められるからだ。「自由に出かけたい,触れ合いたい,楽しみたい」といった気持ちが心の中で募るのを感じながら,「でも,そうしてはいけない」とブレーキをかけ続けなければいけない。「自粛疲れ」という言葉もたびたび耳にした。WITHコロナ生活とは,日々,こうした葛藤と顔を突き合わせながら暮らしていくことを意味している。コロナとの闘いとは,すなわち,自制をめぐる葛藤との長い長い闘いの日々でもあるのだ。
自制を続けるコツは「習慣化」
セルフコントロール研究の視点から言うならば,自制を続けるコツは「習慣化」のひとことに尽きる。望ましいふるまいを習慣として身につけるということである。そして,習慣を身につけるために必要なのは,地道に,そして着実に,何度も何度もその行動を繰り返すということだ(4)。
WITHコロナの新しい生活スタイルやふるまい方は,はじめは戸惑いや違和感を覚えたり,続けることに困難を覚えたりすることもあるだろう。いちいちマスクをつけるのは面倒だ,会いたい人に会いに行けないなんて窮屈すぎるなど,さまざまな葛藤に心悩まされることと思う。しかし,そうしたふるまいを続けているうちに,その都度ごとに感じる困難は小さくなっていき,しだいにそれが「当たり前」のふるまいになってくる。つまり,慣れるということだ。
端的に言うならば,「慣れるまで続けるべし」というアドバイスに集約される。こうした言い方をすると,なんだ,そんなのちっとも答えになっていないじゃないかと思う方もいることだろう。まるで「続けることによって続けることが可能になる」というトートロジーを唱えているように聞こえることもあるかもしれない。しかし,それはちょっと違う。続けることによって,以前は困難に思えていたことが,しだいに困難ではなくなってくる,ということなのだ。つまり,当初は感じていた「自粛疲れ」を,いつの間にか,感じなくなる日がやってくる。それがつまり,WITHコロナ生活に適応した,というサインだと言えるだろう。
自制を支える工夫
続けることが大事というならば,次に考えなければいけないのは,どうしたら自制を続けることができるのかという問題だ。これは,セルフコントロールをめぐる最難関の問題と言ってもよい。しかし,最難関というのは「何もなすすべがない」という意味ではなく,「いろいろな方法があるので,どれを選ぶかよく考える必要がある」ということを示唆している。
どうすれば自制できるようになるのか。この問いについては,先に紹介した書籍(『自制心の足りないあなたへ――セルフコントロールの心理学』ちとせプレス)1冊分を通じて,さまざまな角度から議論した。残念ながら,その内容をここで全部紹介することはできないので,詳細については,ぜひこの本を手にとって読んでみてほしいと思う。
1つだけ,ここで例を挙げておきたい。自制を支える心理過程の1つに,モニタリング(監視)がある。これは,みずからのふるまいに目を向けて,それが望ましい方向性へと順調に進捗しているどうかをチェックする働きのことを指している(5)。
この進捗状況のモニタリングは,みずからのふるまいを自分自身で監視するばかりではなく,他者の目にも触れさせることによって,その機能が促進される。つまり,望ましくない行動については「いけない!」ときちんと自覚するように,そして望ましい行動をきちんと遂行するようにと,「ふるまいを正す」効果が強められるのだ。このとき,他人にわざわざ監視してくださいとか,見守ってくださいとお願いする必要はない。ただシンプルに,他の人の目に触れるようにすること,それだけで充分なのである。
こうした点で,日々の自分のふるまい(の一部)をオンラインで共有すること,つまり「他の人にも見える」状態にすることは,自制を続けようとする努力を後押しする効果がおおいに期待できる。すでにこうした取り組みをしている方々も多いだろうが,自分のWITHコロナ生活の様子やその工夫を,他の人にも見てもらえるようにするのだ。たとえばステイホーム中に料理に楽しみを見出した人が「今日のひとさら」を写真にとってInstagramに挙げることや,在宅勤務の感想をTwitterでつぶやいてみること,オンライン飲み会を開いてそれぞれが自宅で缶ビール片手に「最近こんなことしてるんだよね」と語り合うことなど,どんなことでもかまわない。自分のふるまいが,たとえその限られた一部であったとしても,他者の目に触れるようになっているという状態は,モニタリングを強化し,自分のふるまいをコントロールしようという自制心の働きを促してくれる。さらに,自分の自制的なふるまいを見た他者が,同じようにふるまうことを促す効果も期待できる。つまり,自分にとっても,周りの人々にとっても,メリットのあるやり方だと言えるだろう。
自分自身で「このあたりの自制心がちょっと足りていない」とか,「頑張ってはいるのだけれど,最近,自粛疲れを感じるな」といった思いを抱きがちなトピックについて,あえて他者とシェアしてみるということも,お勧めしたい。自分を見直すきっかけになると同時に,もしかすると,その気持ちに共感してくれる人を見つけることができるかもしれないからだ。
つまり,“セルフ”コントロールといっても,自分1人で頑張りなさい,自力で何でも完璧にやりなさい,というわけではないのだ。周りの環境や人々のサポートも,大きな影響をもたらしうる。こうした社会的なつながりの力を借りて,1人ひとりが自制的なふるまいを続けていく仕組みをつくることができれば,WITHコロナ生活にも,よりスムーズに適応できるようになることだろう。こうして,多くの人々が互いを支え合いながら新しい生活習慣に慣れ親しんできた頃には,きっと世の中全体にも「夜明け」がやってくるだろうと期待している。
上記に挙げた「自分のふるまいを他者の目にも触れさせる」という試みのほかにも,私たちの自制心を支えるためにできることは,まだまだたくさんある。そして,1つの方法に頼るのではなく,多方面からのアプローチを組み合わせることで,より安定した,持続可能な(サステナブルな)自制心のあり方が見えてくるはずだ。こうした本書のメッセージが,もうしばらく長引くであろうWITHコロナ生活や自粛疲れと戦う私たちにとって,自制心を導くためのヒントとなるならば,筆者として幸甚である。
文献・注
(1) 「Go To キャンペーンの需要創出効果」第一生命経済研究所
(2) 価値構造を変えることでふるまいをコントロールするという方略については,先に紹介した書籍の第10章「気持ちの整理や切り替えをする」の中で述べている。
(3) リマインダーとその効果については,先に紹介した書籍の第8章「大切な目標があることを思い出す」の中で述べている。
(4) 習慣化については,先に紹介した書籍の第7章「目標に向かう心の仕組み」の中で述べている。
(5) モニタリングについては,書籍の第9章「『いけない!』と自覚する」の中で,また第10章のp. 256あたりでも触れている。
「衝動買い」「食べすぎ・飲みすぎ」「怠けぐせ」「先延ばし」――多くの人が悩みを抱える誘惑との葛藤。セルフコントロール(自制)の仕組みと自制心不足を解消する手がかりを,科学的な研究成果からわかりやすく解説します。