この研究者を読め!
『心理学を遊撃する』(山田祐樹 著)書評
Posted by Chitose Press | On 2024年02月14日 | In サイナビ!心理学における再現性問題にまつわるさまざまな課題への自身の取り組みを描いた話題の新刊・山田祐樹『心理学を遊撃する』。じつはこの本、心理学を超えて、いろいろな関心をもつ人に響くポテンシャルをもつかもしれない? 平石界・慶應義塾大学教授による書評です。(編集部)
平石 界(ひらいし・かい):慶應義塾大学文学部教授。webサイト
はじめに
山田さんが本を出す(1)という噂を耳にしてほどなく,ちとせプレスの櫻井さん(社主)から「書評を書いていただけませんか」とお誘いをいただいた。なるほど出版社はちとせプレスであったかと納得するのと同時に了解ですと返事をしていた。と書けば評者が山田さんとも櫻井さんとも旧知の仲であり,この書評が否応なく偏ったものとなることはおわかりいただけるだろう。私にとって2人は尊敬する友人(いわゆる”畏友”)であり,だから2人の作った本は売れるはずだし,売れるべきだし,売れて当然と思っている。同時に,自分も少しは売れ行きに貢献したい,貢献できるんじゃないかといった不遜な気持ちもあって,この書評を書いている。実際,本のタイトルに「心理学」とあるから,ひょっとすると本屋や図書館の「心理学」の棚に置かれて,それで終わりになってしまうのではないか。そりゃもちろん心理学が好物の人にはおおいに読んでほしいのだけれども,それだけじゃもったいないんだよオヤジさん,と一抹の不安もある。何もしなくても普通にじわじわと売れて気づいたらこの本をパク…インスパイアされた小説とかドラマとかRPGができていても不思議じゃないような魅力とネタに満ち溢れた本なのだが,万が一,世界が気づかないままスルーするようなことがあったら残念なので,そこらへんを掘ってみようと思う。つまり,どんな方ならハマるはずか,という話だ。
人間観察が好物のあなた
日本経済新聞に「文化」という欄がある。一番後ろのページ,「私の履歴書」の隣だ。「その人,どうやって見つけてきたの?」という“趣味人”が次々と登場する魔境としか表現のしようがないスペースで,江戸時代のふなずしを再現する会の会長さんとか,魚の鰭をひたすら集めて固めて写真を撮ってる寿司屋の女将さんは,まだ想像の範囲内。個人的ヒットの1人は,「仕事柄手先が器用だから」という理由でテレホンカードのパンチ穴の破片で絵を描き始めた歯医者さんの話だ。何がどうしてそういう発想になる?(褒めてます)
あの欄の何が魅力かというと,皆さんの“趣味”それ自体の面白さもたしかにあるのだが,それ以上に,何かに取り憑かれて夢中になっている人の,筋が通っているんだか通っていないんだかよくわからない語り口にもあるわけで,それは本書にも通じるものである。「好きこそものの上手なれ」を地で行く人々の常識と非常識のすれすれを行くエピソードが好物なあなたならば,本書の魅力に虜になることは間違いない。心理学というオープンフィールドの「遊び場」を見つけた山田さんが,あっちにもこっちにも散らばる面白テーマを次々と軽快に攻略していく姿に,人間観察の面白さを存分に味わえることだろう。
そう,実は本書を読むうえで「心理学」への興味はそれほど必要ないのだ。本書の魅力は,この「冒険活劇」(本書の帯より)の主人公にして語り手である「山田さん」という人そのものにある。本屋さんには,バッタ博士本(『バッタを倒しにアフリカへ』(2))とか鳥博士本(『鳥類学者だからって,鳥が好きだと思うなよ。』(3))とあわせて「日本三大科学者奇譚」としてセット売りすることを提案したい。正直,この3人の文章の上手さと面白さと研究業績には嫉妬しかない。そして,こんな面白い人たちの研究活動は,みなさんの税金で支えられていたりする。納税者としてこれを堪能しないのはもったいないし,広く読んで楽しんでもらえることは,御三方にも本望であろう。ぜひよろしくどうぞ。
歴史もの・ドキュメンタリーものが好物のあなた
本書は,心理学という一大学問領域(なんせいまや国家資格まである)でまさに進行中の「危機」と「革命」のただ中で奮闘する歴戦の将軍――と書いたら山田さんが恐縮する表情がまぶたに浮かんだので中隊長にしておく――の生々しい手記である。心理学の歴史の第一級の一次資料であり,これはかなり真剣に真面目に思うのだが,科学史とか科学哲学を研究してたり趣味で追っかけたりしている人にとって,本書は必読の一冊だ。なぜってこの中隊長,やたらアクティブで,ありとあらゆる革命の前線に顔を出すのである。まさに遊撃隊。
普通だとこの手の「手記」は「歴史の流れに翻弄される現場の一士官から見た戦場のやるせなさ」みたいな話になりがちで,それはそれで十分に興味深いし,全体的な視点からはこぼれ落ちがちな個人の生き様にだけ現れる世界の美しさというものはある。ところが我々の遊撃隊長,そんな読者のセンチメントを平気で裏切ってくる。「人生って大変だけど素晴らしいよね」なんて情緒にふける暇もなく,新しい戦線の存在に気づくやいなや,ほぼ反射的にすべてに首を突っ込んでいくのである。そのお陰で本書は,再現性危機が引き金となって心理学業界や科学業界にドミノ倒し的に生じた,ありとあらゆる事件やら論争やら転覆やらの諸々――追試ブーム(第4章),ビッグチームの興隆(第5章),論文出版システムの改革(第6章),研究者評価の改革(第7章),そして新しい心理学の可能性(第8章)――を,ことごとくリアルな現場の視点で追いかけるものとなっているのだ。
あたかも第13独立部隊(4)の足跡を追っていくと,結果的に一年戦争の全体像まで見えてしまうのと同じように,本書を読むと,心理学を巡る革命の全体までが俯瞰できてしまう(古くてすみません,ガンダムです)。「現場の視点」と「俯瞰の視点」が絶妙にミックスされた一粒で二度美味しい手記であり,科学の歴史に興味がある人が,こんな面白い資料を読まないのは,もったいないを越えて,もはや意味がわからない。ここまで読んだ瞬間に本屋に走るかネットで注文しなければならない。
「わかったけど,それは科学の歴史に興味がある人の話でしょう?」と思われたあなた,たしかにそうかもしれない。じつは評者は歴史ものがそこまで好きなわけではないので,それらを大好きな人たちが何に惹かれているのか,本当の意味ではわかっていないのだ。でも歴史が大きく動いていく様子を見るのが好きな方は,きっと多分おそらく楽しめるんじゃないかなぁ。たとえば大河ドラマが好きな人とか。大河だと「あの話って,史実はどうなってるんだろう?」と思ってもWikipediaで調べるくらいがせいぜいだが,本書のネタは現在進行形で,なんなら著者自身がXやらnoteやらでガンガン発信しているし,他の登場人物もあちこちでいろいろ発信している。論文だって書いている。裏取りの楽しみを存分に味わうことができます。え? 論文を読むなんて難しそう? そう思われた方は,通信制大学(5)とかで勉強してみるのもよいかもしれません。
将来に迷っているあなた
将来何をしたいのか,何ができるのか迷っている方も,試しに本書を読んでみてもよいかもしれない。「こんな面白い生き方があるの!?」と思えたら儲けもの。自分の「好き」と「面白い」をひたすら追求する生き方が許される世界もあるって知ることが,人生を少し明るくしてくれるかもしれません。他人から与えられた課題(学校の勉強とか)に集中して取り組むのが苦手で悩んでいる人などは,どこまでも落ち着きなく動きまわる山田さんが旧帝大の准教授にまでなっているという事実に,おおいに励まされるのではないだろうか。
こういう悩みをもっている人の中には中学生とか高校生が少なくないと思うので,中学や高校,あと公立図書館の司書のみなさんには,人生に迷う青少年へ勧める本としての本書の可能性をぜひともご検討いただきたい。2600円+税という価格は,内容の充実ぶりからすれば格安としかいいようがないが,やっぱり中高生には簡単には手が出せない金額だろう。図書館で読んで山田さんのファンになってから買ってもらうのでも十分ではないか(勝手にすみません>山田さん,櫻井さん)。
ただちょっと気をつけてほしいのが,「好き」に次々手を出していけば人生がうまくいくってほど楽勝な話ではないということだ。山田さん,ちょっと異常なレベルで生産的です。傍から見ている印象では,何か物申したいネタ(テーマ)が見つかると,だいたい2日で意見論文を書いてくる感じ。山田さんが異様に謙虚なので読者はうっかり勘違いしてしまうかもしれないが,はっきりいって尋常なスピードではありません。このプロダクティビティがあっての山田さんの活躍なので,普通の人はまねできると思わない方がよいです。でもまぁ,そこまでの生産性はなくとも,「好き」を自由気ままに追求しつつ生きている人は世の中にそれなりに入るので,みなさんも勇気をもってください。
ちとせプレスについて
本書は山田さんという稀有な研究者と,櫻井さんという稀有な編集者のマリアージュから生まれた「学びを愉し」む人たちへの素晴らしいプレゼントである。となればもう1人の生みの親である櫻井さんについても触れないわけにはいかないだろう。じつは評者が氏と知り合うきっかけとなったも,心理学の再現性危機だった。Bem博士の“未来予知論文”が心理学界に激震をもたらしていた2012年頃のことだったと思う。本書にも登場する三浦麻子さんから「知り合いの編集者が独立した。信頼できる良い編集者だからぜひ応援したい。ついては再現性をネタに何かできないか」という連絡をもらったのだ。そこからあれよあれよと話が進んで,当“サイナビ!”のかなり初期の記事(「心理学研究は信頼できるか?」(6))を友人たちと書かせてもらう機会を得た。
幼子を抱えて先の見えない任期付の職を転々とする胃の痛い日々をようやく抜け出せたばかりであった私は,安定した有名出版社勤務を辞めて出版不況の荒波に1人乗り出す櫻井さんの姿に,とても他人事とは思えない不安を覚えたものである。あれから10年余り,ちとせプレスからは次々と話題作が出版され,こうしてそのうちの一冊の書評を“”サイナビ!”に書かせていただくまでになろうとは,感無量である。櫻井さんの素晴らしい仕事ぶりに称賛を贈りたい。
……というのは,当初,考えていた原稿プランである。そういえば三浦さんのメールはいつだったかなぁ,調べておくか,と検索してみたところ2015年だった。あれ,思ったより最近だったな。ところがもっと古いメール(2009年頃)も引っかかってきた。開いてみたら,櫻井さんの前職時代に普通にやりとりしてました。えー,櫻井さん,そんなこと1回も言ってくれなかったじゃないですか。まぁ人の名前を覚えない自分が悪い。「こんなに長いつき合いなのに,じつは顔を合わせたことは,恐らくない」とか書いて,これもネタにして書評の中で謝らせてもらおうと考えた。ところがである。大学の後輩である上智大学の齋藤慈子さんと雑談しているなかで,何気なく「山田さんの本の書評を頼まれたので,あんな変な本を出しちゃう櫻井さんも肝が座ってて凄いって書こうと思ってるんですよ」と言ったところ,彼女が「櫻井くんは大学の同期です」と言うではないか。え? 齋藤さんの同期ってことは,私の後輩ってこと? そういえばあの代に櫻井君って子がいたような。え,めっちゃ会ってるじゃないですか!?
いままで気がついてなくて申し訳ありませんでした。こうしてまた1冊,素晴らしい本を世に送り出した優秀な後輩を誇りに思います。みなさんもぜひ読んでみてください。面白いですよ!
文献・注
(1) 山田祐樹 (2024).『心理学を遊撃する――再現性問題は恥だが役に立つ』ちとせプレス
(2) 前野ウルド浩太郎 (2017).『バッタを倒しにアフリカへ』光文社
(3) 川上和人(2020).『鳥類学者だからって,鳥が好きだと思うなよ。』新潮社
(6) 池田功毅・樋口匡貴・平石界・藤島喜嗣・三浦麻子 (2015).「心理学研究は信頼できるか?――再現可能性をめぐって」(全4回)サイナビ!
研究が再現されない,だと!? 心理学の屋台骨を揺るがす再現性問題が勃発。どのような課題があるのか? 攻略する糸口とは? 心理学はこれからどうなるのか? チャンスをうかがい試行錯誤しながら,さまざまな課題にアプローチしていく1人の研究者の冒険活劇。