対談 問題解決療法――坂野雄二×平井啓(前編)

認知行動療法を世界の最先端から日本に定着させるべく奮闘された坂野雄二北海道医療大学名誉教授と平井啓大阪大学准教授が問題解決療法をめぐって語り合いました。その勘所や適用の工夫はどこにあるのでしょうか?(編集部)

問題解決療法との出会い

平井啓(以下,平井)

坂野先生は,問題解決療法を開発したアーサー・ネズ先生のところに行かれていたと思うのですが,どういうきっかけで行かれたのでしょうか? そこまでの流れについて話を聞いてなかったなと思いまして。1990年代でしたっけ。

平井啓(ひらい・けい):1997年,大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程退学。博士(人間科学)。大阪大学大学院人間科学研究科准教授。2020年に『ワークシートで学ぶ 問題解決療法――認知行動療法を実践的に活用したい人へ 実践のコツを教えます』(共著、ちとせプレス)を刊行。

坂野雄二(以下,坂野)

何から話せばいいかな。アメリカ認知行動療法学会ABCT(Association for Behavioral and Cognitive Therapies)は,以前はAABT(Association for Advancement of Behavior Therapy)と呼ばれていたのですが,そこにはじめて参加したのは第23回か第24回くらいのときです。いま第56回(2022年)になり,もう四半世紀以上参加していることになります。アメリカ認知行動療法学会に行き出したのが認知行動療法に目覚める一番大きなインパクトでした。シンポジウムで発表したり,パネルディスカッションに参加したりといろいろとやりだしたときに,新しいアイディアと接したり,いろいろな人と知り合いになったり,という感じで自然にネットワークが広まってきました。

Okabe.jpg坂野雄二(さかの・ゆうじ):千葉大学教育学部助教授,早稲田大学人間科学部教授,米国サウスカロライナ大学医学部客員教授,米国MCP Hahnemann大学医学部客員教授,北海道医療大学心理科学部教授等を経て,北海道医療大学名誉教授。現在,医療法人社団五稜会病院心理室顧問,札幌CBT&EAPセンター長,教育学博士。日本認知・行動療法学会(元理事長),日本行動医学会(名誉理事長),日本心身医学会(名誉会員),日本ストレス学会(名誉会員)。シニア産業カウンセラー,臨床心理士,米国Academy of Cognitive Therapy認定Cognitive Therapist,日本認知・行動療法学会認定認知行動療法師/認知行動療法スーパーバイザー。

坂野

いま日本行動医学会にSIG(Special Interest Group)がありますが,あれをつくろうと提案したのは私なのですが,AABTにSIGがあったのです。自分たちでスペシャル・インタレスト・グループをつくって登録すると,その活動が学会の中でできるというシステムです。その当時,Asian-American Issues in Behavior Therapy SIGと,Cross-Cultural Issues in Behavior Therapy SIGを向こうの人と一緒に立ち上げました。そのときAsian-American Issues in Behavior Therapy SIGに,アメリカで活動しているアジア系アメリカ人の人たちが参加しました。当時一番年長だったのは,リチャード・スウィン先生で,日本でも不安管理訓練に関する本が岩崎学術出版社から,梅津耕作先生の監訳で出ています(1)。あと彼はスポーツ心理学もやっていましたので,園田順一先生がメンタルトレーニングの本を翻訳しています(2)

坂野

リチャード・スウィン先生の他に,アーサー・ネズ先生がいました。そこで交流が始まりました。問題解決療法はもともと,ネズ先生のメンターであるトーマス・ディズリラ先生がやっていた仕事なんです。私は,ディズリラ先生の論文は読んでいました。その発想には私の問題意識と非常に近いものがあって,ある種の汎用性をもった治療枠組みとして絶対使えるだろうと思っていました。その頃から非常に関心がありました。1970年代のことです。ちなみにディズリラ先生の著作は,日本では金剛出版から問題解決療法の翻訳が出ています(原著者名が間違った呼び方をされていますが(3))。ディズリラ先生がもともと問題解決療法のアイディアで論文をまとめ始めたのですが,その頃ネズ先生は大学院生でした。自分とも年が近いということもありましたし,いろいろとディスカッションをするなかで,個人的にも仲良くなってきました。

坂野

話は飛びますが,認知行動療法の国際会議WCCBT(World Congress of Cognitive and Behavioral Therapies)という会議が3年に1回開催されています。それを立ち上げた後の作業でもネズ先生と関わっています。

かつて,World Congress of Behavior Therapyという,不定期におよそ3,4年に1回開かれていた行動療法の国際会議がありました。もう1つ,認知療法に関するICCP(International Congress of Cognitive Psychotherapy)という国際会議がありました。それぞれ別個にやっていたのですが,認知療法と行動療法は,認知療法が生まれたときから親和性をもって一緒にやっていました。日本だと違う治療法という発想がありますが,面白いことに1970年にABCTからBehavior Therapyという雑誌の第1巻2号が刊行されたとき,アーロン・ベック先生が認知療法と行動療法の共通する発想にフィーチャーした論文を出しています(4)

坂野

2つの国際会議では,ほぼ同じメンバーが共通して動いていました。しかし,国際会議は別々に開催していたのです。1992年,ふとした理由で2つの国際会議が同じ年に開催されることになりました。行動療法の会議はゴールドコーストで開催され,認知療法の国際会議がカナダで開催されました。けっこう近い時間間隔で2つの国際会議が,北半球と南半球であったこともあって,どちらに参加するかを迷った参加者も少なくありませんでした。プログラムも重複したようなものがありました。そこで,これではだめだろう,一緒にやらないかという話になり,ゴールドコーストの会議の際にいろいろと議論をし,結果としてコペンハーゲンで第1回の合同の学会を開くことになりました。

坂野

その合同の学会を企画運営していくために,憲章を作成したり,現在のWorld Confederation of Cognitive and Behavioural Therapiesの母体となったWorld Congress Committee(WCC)という委員会を立ち上げたりしました。その委員会のメンバーで,運営の基本的な方針を決めるのですが,私もそのメンバーに入りました。委員会は,各大陸のそれぞれのアンブレラ・オーガナイゼーション,たとえばヨーロッパだとEABCT,北米だとAABTというような感じで,アンブレラ・オーガナイゼーションからメンバーを出して,それとIACPとでつくることになりました。ところが,アジアには当時アンブレラ・オーガニゼーショオンがありませんでした。そこで,アジアで一番活発に活動していたということで日本が加わることになり,私がそのメンバーとして参加して,国際会議の運営をやることになったのです。

平井

そのときは何歳くらいだったのでしょうか?

坂野

私が40を過ぎた頃でした。

WCCのAABTからのメンバーは,AABT内の国際関係担当の委員長が参加するのですが,第1回のコペンハーゲンでの1995年の国際会議のときは,ネズ先生ではありませんでしたが,第2回,1998年のアカプルコでの会議のときの準備からネズ先生が参加してきました。そのときから一緒に作業することになりました。

一方,私も,AABTでインターナショナル・アソシエート・メンバーになり,メンバーシップ・コミッティのメンバーとして委員会に入ったりする間に,多くの方と一緒に仕事するようになりました。いろんなネットワークできるなかで,ネズ先生とは個人的に親しくなりました。日本にも2回来ました。2004年の神戸の国際会議のとき,ネズ先生は大活躍でした。また,私が日本うつ病学会を札幌で開催したときも,うつ病に対する問題解決療法のワークショップと講演をやっていただき,そのときは,ネズ先生ご夫妻は私の自宅に1週間滞在していました。

坂野

ちょうど彼らが問題解決療法の対象を広げようといろいろとチャレンジしていた頃,問題解決療法を性加害者の攻撃的行動傾向の修正や,がん患者の心理的安定と生活改善を目指したりと,その対象を広げたりしていました。そのとき私もフィラデルフィアで半年滞在し,ネズ先生が行っているトレーニングに毎週参加し,その実際を学ぶ機会をもちました。

国際的なネットワーク

平井

情報は本からも得られるわけですが,実際に行って見られて何か違いはありましたか?

坂野

微妙な表現の仕方とか,微妙な問いかけの仕方とかが患者さんのやりとりの中にはあります。そういうのはやっぱり本には出てきません。それはたとえば半日のワークショップを受けてもいいんだけれども,半年滞在して,トレーニングの機会だけではなく基本的に平日はすべて研究室に顔を出していましたし,向こうの院生さんと一緒にセッションに参加したり,授業もさせられましたが,やっぱり実際に一緒に体験してみると,短時間のワークショップではわからないことを学べますね。

平井

僕も,15年以上前に,北海道医療大学を訪問して,坂野先生に問題解決療法のワークショップで説明してもらったときにロールプレイをしてもらったときのことが一番印象に残っています。こういう雰囲気なのかというのを,短い時間でしたけれども知れたのが,その後にすごく影響が大きかったですね。あのときにいろいろと思ったことを,一緒に行った仲間と風呂に入りながら,こういう感じにするのかみたいな話をしました。その後,プログラム自体がだいぶ変わった感じがします。このワークショップまでは,すごくロジカルにやっていたんですけれど,そのやり方だと行き詰まりを感じていました。それが何か切り拓かれたところがそのときに感じました。どうしてもテキストを読むとロジカルに,問題を定義してというのを最初はやろうとしていたのですが,それではうまくいかないんですよね。エッセンスを頭に入れながら,実際には,さまざまな工夫をしてやっているということが一番の学びでした。

坂野

問題解決療法のいいところは,ある種のコモンセンスなんですよね。臨床的なストラテジーをあれこれ考えようというのではなくて,その人の良識に訴えるっていうか,「合理的に」という言葉を使っていいのかどうかはわかりませんが,生活の中の自然なセンスというかそういうものだと思います。患者さんにしろ,我々にしろ,何か問題を感じたときというのは,自然のセンスから離れていますよね,ちょっと。そういう意味では,問題解決療法は治療法というよりも生活の知恵みたいなものだと思います。

平井

いま行動経済学のことをいろいろとやっていて,結局あらゆる日常にバイアスが入っているという話をしています。問題解決療法も認知行動療法も,そのバイアスを矯正したり補正したりするための仕組みなんですよね。そもそも認知療法にはネガティブな認知の修正みたいなのところがありますよね。行動経済にぴったりはまるんですよね。放っておくと曲がっていったり,変な方向に行ったりするのを,問題解決療法は,ふと立ち止まって整理をするためのツールという感じかなと思っています。

坂野

その整理をするためのツールを私たちは経験の中で学習してくるんだけれど,時々それを学び忘れてきている人もいます。学び方がちょっといびつだったんじゃないかなっていう人がいます。それをその人なりに,納得のいくものに組み替えてもらうお手伝いをするみたいなね。臨床でも使えるしビジネスも使えるし,という気はするね。

平井

世の中のコンサルタントの人がやっていることは結局,問題解決療法のセラピストのやっているようなことだと思います。経営コンサルタントがやるような社長さんの課題を扱って,5つのステップで整理をするというのはどのコンサルティングファームでも同じようにあって,それを細かくしてやっているのだと思います。意思決定する本人でもなかなか気づけないところとか,社長さんでもちゃんとできないところがあって,そこにコンサルタントの需要があるだろうと思っています。

坂野

そういう意味では,ネズ先生も大学を定年退職し,いまはほとんど臨床活動をしていません。パートナーのクリスティン・ネズ先生が,NPOで発展途上国の女性の生き方を支援する活動を始めましたが,アーサー・ネズ先生もそのお手伝いをしているようです。問題解決療法の社会的応用だと思います。彼らの新しい自宅がNPOのオフィスになっています。

平井

そういう活動をされているんですね。

坂野

いまはもうフィラデルフィアから離れ,フィラデルフィアから車で1時間ちょっと走ったところにあるビーチに住んでいます。

平井

ビーチいいですね。

坂野

でも,ハリケーンが来たら大変だろうなみたいな。

アイディアは昔のままですね。ディズリラ先生が問題解決療法の発想で論文を書いているのは1970年代の初頭です。その頃私は大学院生で,いまのような便利な通信環境ではありませんでした。雑誌がだいたい3カ月遅れて船便で大学の図書館に届くという感じでした。Psychological Abstractsという雑誌が月刊で出ていて,新しい号が来るとまずインデックスを見て論文を検索して,みたいな感じでした。その頃けっこうインパクトを受けたのは,1つは問題解決療法のアイディア,1つは認知療法のアイディア,もう1つはスタンリー・ラックマン先生らモーズレーのグループが行っていた強迫症などの基礎研究や治療研究。次から次に新しい論文が出てきて,こんな感じでやっているんだというインパクトがありました。

平井

逆に最近はインターネットによって情報は入ってきて,その気になればいくらでも情報がとれるようになったから,情報をとりに行く苦労をしなくなってしまいました。

坂野

そうですね。あと,大学院のときにドイツに留学したときの体験のインパクトは大きかったですね。どこかに書いた気もするのですが,向こうに行ったときに,患者さんを担当「させられた」んです。いやあ,あの経験はすごかったなあ。

平井

精神科ですか?

坂野

ミュンヘン大学心理学研究所の臨床心理学科に外来でやってくる人たちです。担当したのですが,当時の私には微妙な情緒のあやを理解するだけのドイツ語力はありませんでした。

平井

全部ドイツ語でやるんですよね。

坂野

患者さんがやってくる前の日までに必死で問題整理をして,ほとんどプライベート・マニュアルみたいな,こういう感じでやっていくといいんじゃないかっていうのを準備してました。その頃はまだ行動療法と呼ばれていた頃でしたが,それを準備してやると,患者さんがよくなるんです。そのときに感じたのは,そうか,余計な情緒とか感性とかがなくてもよくなるんだみたいな感覚ですね。日本では,やっぱり,共感だとか臨床の共通的な要素だと言われるような部分が与えるインパクトの方が大きいみたいなことが言われていたけれど,そんなのなくてもできるじゃないか,手続きをきちんと踏めばよくなるじゃないか,みたいな感覚です。それは自分にとっては大きかったですね。

平井

僕も実践経験はこの10年ぐらいですけれど,あるときに僕は全然感情を使っていないなと思って,使わないのに徹した方がいいなっていうことにあるとき気づいて,それはすごく意識するようにいまもしていますね。

坂野

感情そのものがターゲットになるときはあるのですよ。

平井

結局,その感情の背後の何かをいつも考えて,なぜその感情が出ているかっていうことを考えるようにしていて。

坂野

その整理がうまくつくと,改善の名案を思いつきますよね。ドイツでの経験は大きかったですね。その頃は,修士論文を書いた直後だから,新しいことに積極的だったですね。ミュンヘンにいたのですが,向こうでいろいろな先生のレクチャーを受ける機会がありました。私が向こうで指導を受けた先生は,ハンス・アイゼンク先生のお弟子さんなのですが,ドイツで行動療法をやっていた先生です。

坂野

ラックマン先生のレクチャーもそのときにはじめて受けました。その他,パリで国際心理学会があり,知り合いのドイツ人と2人でパリまで車で走っていったことがありました。そこでアルバート・バンデューラ先生と出会いました。その関係が後々まで続きました。バンデューラ先生とはその後,日本心理学会でお呼びしたときに1週間少しの間随行でお世話をさせていただき,AABTでまた出会いました。第二十何回かのとき,アトランタでした。当時は学会の前日に関係者が集まるレセプションがあったのですが,キャッシュバーでビールを買おうと思って並んでいたら,前の方が振り向いたらバンデューラ先生で(笑)。そうしたら,彼が「なんでお前がここにいるんだ」とかおっしゃって,話が弾みました。ばったり出くわし,またなんだかんでやりとりするようになりました。ネットワークはアメリカで着実に広がっていましたね。

平井

私はバンデューラ先生から「論文を見た」みたいなハガキが来たことがありました。「おおー」と思いました。

坂野

亡くなられましたね,ついに。巨星落ちたって感じですね。98歳かな。

平井

なるほど。

坂野

こうしたネットワークには本当に助けられました。

神戸でWCBCTを開いたときも,インバイテッド・スピーカーとかワークショップ・リーダーは,ほとんど個人的に交渉したことを覚えています。みなさん本当に快く引き受けてくれました。

坂野

日本心理学会を札幌で開いたときも,ディビッド・バーロー先生とトーマス・オレンディック先生のお二人が来てくれ,みなさんに助けられました。やっぱりネットワーキングって大切ですね。社会的にいかに普及させていくかを考えるときのネットワーキングはとても大切ですね。1人でできることってしれています。

平井

はい。

坂野

平井先生と私もなんか自然にネットワークができた感じですものね。

学習とクリエイティビティ

平井

あとさっきの話に戻るのですが,問題解決療法っていうのは学習を助けているんですよね?

坂野

そうですね。

平井

修正をするというか,助けるというか。最近は学習が一番キーになる概念だなとあらためて思って,それでバンデューラ先生の社会学習理論とかをもう1回調べたりしています。なぜそう思ったかというと,問題解決療法をAI化できるか,と思ったんですよね。

坂野

人間がやってることをいろいろとAIができるのだったら,問題解決もAIでできるんじゃないでしょうか。最近,「メタ認知」のように「メタ」という言葉をつけて言うけれど,昔の言葉で言えば,基本的にルール学習なんだと思います。メタ認知なんて別に新しい言葉を使わなくても,汎用性のあるルールをどうやって学ぶかなんだと思います。

平井

そうそう。それで,AI自体は学習を実装していますよね。学習過程から切り出したものをプログラム化しているんだけど,でも結局AIで出てくるプロダクトは過去のパターンの分類をしているだけであって,それが未来に使えるかというと別ですよね。

坂野

新しいものをつくれるかどうかはね。

平井

過去はそうだったっていうことがあって,その後にディシジョン(決断)が入ってくるから違うんですかね。自分としても,問題解決療法をAI化できない部分がどこかにあるんじゃないかなと思っていて。

坂野

そうだね。新しい答えを生み出せるかどうかという部分ですね。

平井

そうですね。新しいものを生み出す,クリエイティビティのところだと思うのですが,それを一生懸命クライエントのために見つけてあげるために僕は頑張っているようなところがあります。そこはいまのAIにはできないのかなと思います。

坂野

私は,患者さんと一見するとくだらないやりとりをよくやります。特に,うつの方とよくこんなやり取りをします。「新聞紙がここに1枚あるけれど,何に使える?」って聞いて,これだけのやりとりで30分ぐらいやっているんです。

坂野

そうすると,うつの方々は,典型的な答えとして,「新聞紙ですから読みます」って答えます。でも,新聞紙は何に使えるかというアイディアをどれだけたくさん出せるか,アイディア出しをやろうというわけです。もう1つ,「3カ月仕事がオフでお金をいくら使ってもいい,さて何をしよう」と聞きます。平井先生なら何をしますか?

平井

このあたりにシェアハウスを借りようかな(笑)。

坂野

最もよく出てくる答えは「旅行」です。旅行という答えが出たとき,「どこに行くの?」と聞くと,「海外旅行」という答えが返ってきます。このようなやりとりをやってみると面白いです。3カ月仕事オフ,お金いくら使ってもいいと聞くと,「できること」を考えるわけです。「できること」を考えるというのは,さっき話に出た,過去に経験したことのある「できたこと」から考えるわけです。あるいは,まだやったことはないが「現実的にできそう」なことを考えようとします。「ヨーロッパ旅行」のように。でも,たとえば,宇宙に行きたいなんていう話は出てきません。最初からできることを考え,最初からいいことを考えると,枠をつけて答えを出そうとするものだから答えが出にくいんです。「いまから,もうどんなめちゃくちゃなことでも何でもかまわないから,とりあえず3カ月オフでお金をいくら使ってもいいってなったら,何をしようかな? そして,できる/できない,世の中にいいこと/悪いこと,何も考えずに,アイディア出しをやってみよう」というようなやりとりをすると,新しい答えが出るわ出るわというくらい出てきます。そして,たくさんのアイディアが出たら,その組み合わせができるかどうかを考えてみようと試みます。たとえば先ほど平井先生からシェアハウスっていうアイディアが出たけれど,シェアハウスを借りてそこで朝から晩まで酒を飲んで,目が覚めたときは本を読んでるみたいな組み合わせていくと新しいことができる。あるいはアイディアを出してみたら,その中から具体的にできそうな何かが見つかります。このアイディア出しは,いわゆる拡散的思考なんですね。拡散的思考のトレーニングを,問題解決療法のどこかで絶対にやらないといけないと考えています。どうしても私たちは子どもの頃から,決まった答えを見つけるトレーニングをしてきました。算数で「2+2はいくつですか」と聞かれたら「4」と答えないと叱られたけれど,生活の中で何を考え,何をやるかという点では,2+2を足して4になるとは限らない。というような話をしてから,現実問題に戻ってくるわけです。会社で明日,部長に何か言われたらどうしよう,と考えると,こうしなければならないと「決まっているかのような」答えを探すのではなく,いろいろなアイディアを考えてみるのです。これは思考パターンの学習なんですね。だから,問題解決療法は基本的に学習プロセスなんですね。

坂野

だから,私たちはいかに患者さんに学びやすい環境をつくっていくか,新しいスキル,新しい汎用性のある考え方を学んでもらうかを考えなければなりません。そういう意味でやっぱり「学習」はキーワードですね。ところが,最近日本で紹介される認知行動療法は面白くなくなっています。それはどうしてかといったら,やはり学習という視点が抜けているのですね。マニュアルに合わせようとする。クリエイティビティがないのです。

平井

武道みたいですよね。この型を学んでいきましょうみたいな。

坂野

面白くないですね。どこかで間違えているね。

平井

うん。僕はそれをすごく感じて。最近はあまり学会に行かないのもそういう理由もあります。

坂野

私も学会に行かなくなった理由の一つはそうですね。行っても,何か時間の無駄みたいな。

平井

クリエイティブなものがないなと感じています。

坂野

今年は久しぶりに日本認知・行動療法学会に出席します。最初,スウィン先生の翻訳のところで話に出た園田順一先生の追悼のパネルディスカッションがあって,それに参加します。園田先生はいま学会に参加している若い人たちとってはもう「誰それ」みたいな,昔の人のように思われているかもしれませんが。

坂野

お年は私より一回り以上上の先生ですが,園田先生が昔発表されていたケースレポートは迫力がありました。一度聞いただけでは,もうめちゃくちゃやっているという感じがするのですが(笑),でも問題を学習理論できちんと説明することができて,きっちりと理論で説明できるように指導の方法を考えて,それでやってみて,その効果を検証するという,大胆さがいまの人には欠けているように思います。まずマニュアルに合わせてやろうとするみたいなところがいまはあって,それはつまらないですよね。私たちはマニュアルに従って生活しているわけじゃありませんから。

坂野

追悼企画では,園田先生の昔のケースレポートの話などをしながら,もっと自由にやってみろ,みたいなことを伝えたいなあと思っています。そんなことをやっていたのか,みたいな話があるんです。たとえば,それで全部がうまくいくわけじゃないのですが,朝不登校の子どもの家に警察を装って行ってるんです。子どもがそれに怯えて,「僕,学校に行く」って言って学校に行くっていう。

平井

理屈はわかりますね。

坂野

学校に行って楽しいことを見つける,つまり登校行動に報酬があれば子どもはみずから学校に行くみたいな発想ですね。これなんか絶対,いまの子どもたちも当てはまりますよ。家にいてゲームしてスマホをいじっている方が,学校で算数をやるより面白いですからね。

学習において失敗とは

平井

それも学習ですよね。あと,問題解決療法的なやりとりをするときに1回目に失敗させるっていうのはよくします。1回,自分で思う通りにやってみて,うまくいかない経験をしてもらう。人間,そうしないと変わらないと思っています。

坂野

ただ,その失敗をしてもらったときに,こっちがどうフォローするか綿密に計画を練っておかないと,うまくいかないと思いますが。

平井

そうですね。難しいですが,安全に失敗してもらうっていうのが一番ですよね。学校って,社会に出る前の失敗できる場じゃないですか。もうちょっと失敗させるようにしていった方がいいと思います。いまはできるだけ失敗させないようになっていると感じます。

坂野

失敗することはよくないみたいな価値観がありますね。

平井

そこで何を学ぶか,そこで学ぶことが一番大きいなと思っています。

坂野

失敗をする経験は,そのときに,こうすると失敗するということを学ぶと,また失敗しやすいですね。失敗するときに,こうすると失敗の確率が低くなるぞということを学ぶと,次に失敗しない確率が高くなりますね。いま,何を思い出したかというと,これは私が千葉大学にいた頃の話です。セルフ・エフィカシーを操作すると,実際に行動が変わるのかというところに関心をもっていました。バンデューラ先生はけっこう単純に整理するのが上手ですから,彼の描いたモデルはほとんどいつもリニアな関係で説明するようになっていて,複雑なモデルを考えません。彼の指摘では,セルフ・エフィカシーはこういうふうにすると変容するという情報源が4つあげられています。でも,当時,実際にそれで変わるのかというデータは乏しかったのです。

平井

セルフ・エフィカシーを高めるために「遂行行動の達成」って書いていますけれど,どうやって達成するのか,具体的な説明が少ないですよね。

坂野

それをね,いろいろとやってみたのです。たとえばモデリングで変わるっていうけれど,モデリングで本当に変わるのかということを確かめようとすると,モデリング以外のことを同時にやられると困るんです。実験室でモデルを見せるけれど,家で練習されたら困るんですね。純粋にモデリングだけではたして変わるのか,何か確かめる方法はないかなと考えました。そうすると家では練習できない行動を,実験材料として使えばいいのだと考えたのです。

平井

家でできないこともいっぱいありますよね。

坂野

何を使ったかというと,偶然そのとき,自分のゼミ生に航空宇宙研究会で活動している学生さんがいました。活動は何をやっているかというと,ハンググライダーで飛んでいるんです。

ハンググライダーが使えるなと思いつきました。家で練習できないから。

平井

できないですね。

坂野

しかも経験者だと自分自身でイメージできるだろうから,新入生の新入部員がいい。やるタイミングは年に1回しかない。新入生の新入部員がはじめて飛ぶ5月の連休にしようと考えました。まず,はじめて飛ぶ場面を全部録画し,技術点は,指導員にいくつかの観点で評価してもらいました。その後に彼らが飛ぶのは夏休みなのですが,夏休みまでの間にモデリングを行いました。たくさんのスキルがある中で,初心者にとっては一番難しいと言われている着地のスキルを取り上げました。着地する前にフレアーをかけて機体をちょっと浮かせて,それで抵抗を増して,着地する場面のモデルを映像で提示し,モデリングのセッションをもってもらいます。大学でモデリングのセッションを行った後夏休みに飛んでもらい,そのときの技術と,セルフ・エフィカシーや主観的な不安の変化等のデータをとったのです。モデリングでセルフ・エフィカシーは上昇しました。面白いのは,こうすると失敗するというモデルを見せたら失敗する。一方で,正の強化を経る,つまりうまくいく場面をモデルで見せたグループではセルフ・エフィカシーが上昇し,不安が低下し,技術点が上がっていました。

平井

面白いですね。ちょうどいまある航空会社にストレスに関する共同研究の打ち合わせをしています。そこの会社の人から聞いたのは,最近の若い副キャプテンたちがチャレンジをしなくなって育成上困っているそうです。

坂野

なるほど。

平井

それに使えるんじゃないかと思いました。失敗するな,みたいなことばっかり言われているから,すごいコンサバティブなっているようです。チャレンジしないからスキルが上がらないっていうのがいまの悩みですって,おっしゃっていました。それと同じですよね。

坂野

映像を使ったモデリングを何セッションか行っただけです。飛んでいるときに転倒して骨折した学生がいたりしてデータに欠損値が出るといったいろいろなハプニングもありましたが,どんな実験をやってみるかというのはクリエイティビティですよね。

平井

そうですね。

後編に続く

文献・注

(1) スウィン,R. M.(梅津耕作監訳) (1996).『不安管理訓練(AMT)――不安をのりこなす方法』金剛出版

(2) スイン,R. M.(園田順一訳) (1995).『スポーツ・メンタルトレーニング―ピーク・パフォーマンスへの7段階』岩崎学術出版社

(3) ズリラ,T. J.(丸山晋監訳) (1995).『問題解決療法――臨床的介入への社会的コンピテンス・アプローチ』金剛出版

(4) Beck, A. T. (1970). Cognitive therapy: Nature and relation to behavior therapy. Behavior Therapy, 1(2), 184-200.

さまざまな不安やストレスを解消するために,医療現場や相談機関で活用されている問題解決療法。それぞれが抱える問題を解決するための5つのステップを,ワークシートを用いながら具体的に解説します。本人だけでなく,支援者や家族も活用できる実践のコツが詰まった1冊。