心理学が挑む偏見・差別問題(1)

社会問題への実証的アプローチ

唐沢:

この『偏見や差別はなぜ起こる?』の中では扱いきれなかったかなと思うことの1つに,偏見や差別の対象になる側の人がどのような認識や行動をとるか,ということがあります。偏見や差別を一番認識しているのは差別されている側ですから,女性差別でもかつてアメリカの進歩的な女性たちが声を上げるまでは「そんなことは当たり前じゃないか」と思われていたわけでしょう。黒人などのマイノリティの場合もそうでしょう。もっとも,本人たちも,声を上げないのはもちろんのこと,認識すらしていないということが,システム正当化(5)の観点からするとあるわけです。そうした声がどの程度上がるかによって,多数者側も認識することができる。大江さんは女性だから,女性に対する問題について,最近は認識されてきたと感じるところもあるのではないでしょうか。

大江:

それはその通りで,「女の子だから○○」といったことをたくさん言われて育ってきましたし,できないこともたくさんありました。それが最近では,子ども世代ではそういった発言がだいぶ減ってきていると思います。私が就職した後ではありますが,若手の女性研究者支援のシステムも整えられ始めていると感じています。

唐沢:

女性の場合は,数からいえば半分近くでマイノリティではないですからね。他のカテゴリーは数からいっても少数ですが。

北村:

それがジェンダーの特殊なところですよね。ジェンダーの場合は声が拾いやすいという側面があると思います。唐沢先生が指摘されたように,こうして1冊の書籍にはなりましたが,社会学的な観点からすると当事者性に欠けていて,社会心理学的に第三者的に研究者が描いているという面はありますね。差別されている側の当事者がどういう考えをもっているかという調査や研究が取り上げられるようには,社会心理学ではまだなっていないのかもしれません。

高:

社会学だと,当事者で研究されている方がけっこういらっしゃいますが,心理学でそういう研究者はおられるのでしょうか。

北村:

心理学の領域でも,質的な研究に関しては,障害をもっている方で障害についての語りやライフストーリーを研究している大阪府立大学の先生もいます。量的な調査をされているかたは非常に少ない気がします。「あとがき」にも書きましたが,ステレオタイプ研究がまずあって,それがだんだんと進んできたという流れを見ることもできますが,当時の社会的認知研究が行われていた時代に,社会心理学の研究者が世界的に集まるSPSP(Society for Personality and Social Psychology)(6)の大会に行き,社会的認知のセッションに参加したところ,ステレオタイプや偏見といった言葉が飛び交うわけですが,会場のヒルトンホテルの中にいるのは白人ばかりで,黒人差別を扱いながら黒人が1人もいない。ニューオーリンズで外に出れば黒人だらけなのに,ホテルの中で行われている大会の社会的認知のセッションの中に黒人が誰もいないということに,ちょっと愕然としました。ただ,ちょっとずつ変わってきていて,カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)のときに一緒だったキース・マドックス(Keith Maddox)という黒人の研究者がいて,彼は大学院生の頃から,肌の黒さの程度がディープな黒であるのと,浅黒いのとで,同じ黒人であっても受ける偏見が異なるという当事者の立場から画像処理を用いた研究をしています。いまは著名な研究者になって,昨年のAPS(Association for Psychological Science)(7)では招待講演もしていたし,最近のSPSPではプレカンファレンスのセッションで話をしていました。昔は本当に,偏見を研究する黒人の研究者が少なかった。社会問題(social issues)のところにはいたかもしれません。社会的認知の領域では,実験的なきれいな研究をしている,といった違和感やうしろめたさを感じていました。

唐沢:

心理学を専門とする人以外の読者からすると,まったくどうでもいい話かもしれませんが,これは心理学の中の社会心理学,そしてその中の認知的な内容を扱う分野の特徴ですよね。私もなぜなのかはわかりませんが,ステレオタイプの研究は白人中心で北米型のメインストリームの社会心理学にとって都合がよかったのではないでしょうか。一流研究大学で実験参加者を集めたら白人ばかりになりますし,白人以外に対して偏見をもっていて,実験に参加してくれるわけですから。誰に対して行ってもうまくいく題材だった。

北村:

そうだったかもしれませんね。

唐沢:

認知心理学者からも,「意外とちゃんとしたことをやっているじゃないか」と言ってもらえるようにボックスモデルをつくったり,反応時間を用いたりしたエレガントな研究を目指したのではないでしょうか。

北村:

モデル図を提示するのが「いけている研究」のように思っていましたよね。

唐沢:

ステレオタイプ研究は,それにマッチしていたのでしょうね。一方で社会問題と密接に結びついていますから研究資金もとりやすい。そういう経緯を抜きに,いまアメリカではみんなこういうことを研究していて,社会的にも大事だからやらないとという感じで,ヨーロッパや日本でも広がっていったということがあるのではないかと思います。


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