TEA(複線径路等至性アプローチ)の過去・現在・未来――文化と時間・プロセスをどのように探究するか?(3)

渡邊:

いろいろ描き込む図も多くなっているよな。

尾見:

TEMの中の線が多くてわからないことがある。箱が多いのだったらまだ追えるんだけれど。

サトウ:

描いた人はわかっているんだけどね。

渡邊:

どうしてこれは斜めにしなくちゃいけないんだろうとかさ。悪いTEM図って,文科省がつくるポンチ絵みたいなやつね。文科省がつくるポンチ絵も研究したいんだよな。どんどんすごくなっていくんだよね(笑)。話をもとに戻すと,TEM図にいいところはたくさんあって,使われるようになっているけれども,使われ方に幅がある。これがいい使い方です,というのが示されるべきではないだろうなあとは思う。いろいろな使われ方があってもいいし,時間の経過の中でどういうTEM図の使い方が生き残っていくかということだと思うので。これは予想だけれど,比較的シンプルな使われ方が残っていくんだろうなと。

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尾見:

シンプル・イズ・ベスト,みたいな?

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渡邊:

そう。あと,描かれたTEM図が結果ではなくて,研究者の研究対象に対する見え方が形成されていくものに寄り添う形でTEM図が描かれたり,研究協力者からのフィードバックが戻される時に研究者と研究協力者を橋渡したりするような役割が残っていく。REPグリッドもそうで,結局は結論ではなくてコミュニケーションの道具なんだろう。同じようなこととして,ロールシャッハ・テストが今そうなっていると以前から言ってきたんだけれど。

サトウ:

どういうTEMの使われ方がいいかと言われても,そんなのはわからないけれどね。TEMはクロスワード・パズルみたいなものだと言っている。クロスワード・パズルとクロスワード・パズルでないものは区別できるけれど,クロスワード・パズルには1つとして同じものはない,そういうものとして質的なモデリング手法としてのTEMが使われていってほしい。

量的研究と質的研究

尾見:

あとは普及することが重要ですよね。実際に普及しつつあるし。そりゃあクズのようなTEM図もあれば,珠玉のTEM図もある。それは統計分析のSEMも同じだよね。量的だろうとなんだろうと関係ない。

サトウ:

悪貨が良貨を駆逐するみたいなことを言う人は,本当に余計なお世話だよなあと思う。質の悪い研究をやっちゃいけないのかと(笑)。

尾見:

何を見てそういうことを言っているかだね。それは質的研究に対するやっかみでしかないと思うよ。

サトウ:

質の悪い量的研究をしているくせに何を言うんだろうと。

尾見:

本当にそれは不思議ですよ。

渡邊:

とはいっても,量的研究については再現性問題で厳しい状況になったからね。質的研究の方が再現性は高いよね。

サトウ:

そうなんだよ。

尾見:

描く人が慎重になるからね。一般化だって,こんなんでできないよなあと思いながら描くものね。細かいことを知っちゃうと,ここまで抽象化して大丈夫かなと考えるじゃない。だけれど,量的な研究だと最初から匿名だし,調査対象者や実験対象者の顔なんて思い浮かびもしない。あとは数字だけ処理すれば済むんだから。

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渡邊:

そうだよね。

サトウ:

量的と質的に関していうと,立命館大学ではいまだに卒業論文の口頭試問をやっていて,学生1人と教員2人とで20分間口頭試問をするわけよ。心理の教員で誰とは言わないけど,実験系のピーーーさんと私で組んでやったんだけれど。

渡邊:

どういうペアだよそれは(笑)。

サトウ:

ほんとに学生から見たらひどいペアなんだけど(笑),卒論をめぐっていろいろと話をしていた時に,「因子分析なら因子が出るまではデータ・ドリブン(データからほぼ自動的に進むもの)で,そのあとに1つ解釈をするだけだから,まだわかりやすい」と。「質的研究だとデータを出すところも描くところも解釈で,それをまたメタ解釈するんだから,頑張っているのはわかるけれど,研究のいい悪いの判断は難しいですよね」と言っていたね。

渡邊:

じゃあ量的研究のいい悪いって何かっていうね。有意差が出るっていうのは研究の良し悪しを保証するわけでは全然ないわけでね。同じテーマで同じデータをとって,有意差が出た研究と出なかった研究とで,有意差が出た研究の方がいい研究なのかな。

サトウ:

学術雑誌に論文が載るという意味ではそうだよね。

尾見:

一般的にいいという時はそうじゃないよね。エスノグラフィーでも実験でもそうだけれど,計画でほぼ決まっちゃっているんじゃないかと思う時がある。「そこに着眼しましたか! 脱帽!」というようなエスノグラフィーはやっぱり面白いと思うし。初期の頃の宮台真司さん(3)の研究とかそうだと思うし。実験でも,カーネマン(4)はあんなシンプルなことをよく思いついたなということはある。

サトウ:

実験だとオレも好きな実験があるよ。記憶でいうと,スパーリング(5)の研究で,アイコニック・メモリーが何秒もつかという研究がある。何個覚えているかを調べようと思っても,答えている時に時間が経過して記憶がなくなっちゃうわけだから,わからないわけ。

尾見:

KELI
PWLM
HNRO

みたいな12の文字を提示したんですよね。

サトウ:

最初は,「覚えてることを全て話してください」みたいな教示だった。するとしゃべっているうちに忘れちゃう。そこで,部分報告法というものを編み出した。12文字のアルファベットと同時に高い音,中くらいの音,低い音のどれかを聞かせて,「高い音の時は上の行,中くらいだったら真ん中の行,低い音だったら下の行を答えてください」ってやったわけだ。それで何個答えられたかで,アイコニック・メモリーを調べることができた。

渡邊:

実験心理学は実験計画がすぐれているものがすぐれた研究だよね。

尾見:

そうすると結果もうまいこと出る。

渡邊:

結果はどうでもいいみたいなこともある。そういう意味でもTEMは結果になっちゃいけないと思う。TEMはもっと前のもので,TEMを描くことによってリサーチ・クエスチョンがいくつかできて。そのリサーチ・クエスチョンは質的に研究されてもいいし,量的に研究されてもいい。制度的な必須通過点は量的な研究になりうるよね。5000人を調べるとか。

サトウ:

やればできるね。さっきのエスノグラフィーの着眼点で言うと,心理学と社会学とで違いがあって,心理学は機能的なんだよね。社会学はそうでもない。宮台さんもそうだし,理論主導なところがある。かつて上智大学の蘭信三さん(6)が帰国残留孤児の研究をやっている時の話を聞いたことがあるんだけれど,「話を聞いた,泣いた,書いた」って言って,本を1冊書いている。もちろん,前提となる知識や理論があるからだけど,本人がそう言っていた。

渡邊:

社会学ってそういうのアリかもね。

サトウ:

でも心理学はそうはいかない。佐藤郁哉さん(7)だってむしろ後から問題を見つけていっているわけだよね。どれを問題としてつくったらうまくいくのか,と。TEMもそうなんだと思うんだよね。先に決めるのではなくて,ぐにゃぐにゃやっているうちに,できてくる。

尾見:

そうかもしれない。郁哉さんの暴走族の研究も,暴走族というテーマだけでは思わなかったかもしれないけれど,あの結果が出てくると,暴走族によく行ったねみたいな話になる。木戸さんの化粧の研究も,今はどうかわからないけれど,10年後くらいに,「なるほど,化粧っていいところに目をつけたな!」みたいになるかもしれない。


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