意味を創る――生きものらしさの認知心理学(3)

なぜ生きものらしさを感じてしまうのか

進化・パターニシティ・生きものらしさ

カタくて込み入った話はこのくらいにしておいて,「なぜヒトはこんなにも簡単に生きものらしさを感じてしまうのか」という問題に戻りましょう。今回紹介した生きものに対する認知資源のプライオリティを考えれば,生きものが人間にとって優先的に対処すべき重要で価値が高い対象である(あった)ことが想像できます。

ホモ・サピエンスが誕生して200万年,ヒトはさまざまな場面で生きものと対峙してきました。生きものは時には避けるべき脅威であり,また時には狩るべきご馳走であり,いずれにしても人類にとっては,生きもの以外のものに比べて,はるかに価値の高いものだったのかもしれません。進化の過程を直接観察することはできませんが,ヒトの注意システムは,動物をモニターするために進化してきたという仮説も提唱されています(5)

さて,ここで1つ問題が出てきます。生きものが価値の高いものであり,認知資源を優先的に投資したとしても,ヒトの認識や知覚は完全ではありません。時には,気づかずに野獣に近づいてしまって喰われた,などということもあったことでしょう。では,生きものなのかそうでないのかよくわからない場合に,ヒトはどうするべきでしょうか。

表1 Type 1エラーとType 2エラー
  真の状態
生きものあり 生きものなし
判断 生きものだ! 真陽性 Type 1エラー
偽陽性
生きものではない! Type 2エラー
偽陰性
真陰性

この問題は,Type 1エラーとType 2エラーのバランスの問題として定式化できます。例えば,薄暗いジャングルを歩いていて,獣の影のような茂みのようなよくわからない影が一瞬目に入ったとします。ヒトはこれを「生きもの」と判断するべきでしょうか。それとも「生きものではない」と判断するべきでしょうか。表1に状況をまとめてあります。

もし,影の正体が獣だったら,「生きものではない」と判断して近づいたら喰われて死んでしまいます(Type 2エラー)。では逆に影の正体が茂みだったとしましょう。それを「生きもの」と判断して遠ざかっても(Type 1エラー),特に被害はないでしょう。このような状況ではType 2エラーの確率を下げて,Type 1エラーの確率を上げた方が,明らかに生存に有利です。つまり,疑わしい状況では「生きもの」だと判断して逃げた方がよい,ということです。文字通り「逃げるは恥だが役に立つ」(6)というわけです。

理想を言えば,生きものか否かを見極める能力を高めることでType 1エラーとType 2エラーの両方を減らすのが最善です(そしてすでに述べたようヒトはこの能力を発達させてきたようです)。しかしヒトの認知資源や認知能力には限界があるため,どのような状況でも正しく見極めるということは不可能で,「どちらかわからない」という曖昧な状況になることがあります。曖昧な状況に対処する場合,Type 1エラーとType 2エラーはトレードオフの関係にあります。

心理学と生物学を学んだサイエンスライターのマイケル・シャーマーは,このようなType 1エラーを増やしてType 2エラーを減らす戦略が,無意味なノイズに対して意味のあるパターンを見出すというパレイドリアのような傾向につながっているとして,このような傾向を「パターニシティ」と呼んでいます。マイケル・シャーマーによる「自己欺瞞の背後にあるパターン」というTEDトークは(科学的な正確性はさておき)面白いのでぜひ見てみてください(動画2)。

動画2 マイケル・シャーマーによる「自己欺瞞の背後にあるパターン」(7)

パターニシティのような考え方は,本連載で繰り返し議論してきたヒトの特性,つまり過剰に意味を創るということ,そして生きものにバイアスされているということに深く関連しているかもしれません。ヒトは生きものに対する認知資源投資のプライオリティを進化の中で獲得し,それでも対応できない状況に備えて曖昧なものを意味のあるパターン(特に「生きもの」)と見なすバイアス獲得してきた。第1回のパレイドリアの話の中で,ヒトの顔認知が高精度なのに何でも顔だと思ってしまうのは不思議だ,と述べましたが,実は似たような仕組みがあるのかもしれません。

危険回避のためにType 2エラーの確率を下げてType 1エラーの確率を上げるという戦略がもとになって,無意味なノイズに対して意味を見出すようになった,というパターニシティのアイデアはそれなりに説得力があります。まだまだ科学的に立証された仮説ではありませんが,このような仮説を叩き台に検証を進めることには意味があります(8)


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