18歳は大人か?子どもか?――心理学から現代の青年をとらえる(5)
成年年齢の引き下げをどう考えるか
Posted by Chitose Press | On 2016年09月23日 | In サイナビ!, 連載――選挙権は18歳になったのに成年年齢は20歳のままでは整合性が失われませんか。権利を与えるだけではなく,責任もとらせないとバランスがとれないように思われます。
たしかに,これまで選挙権は成年年齢とセットになっていたように思います。そして,そのことはいまでも意義があると思います。やはり,成年年齢で子どもか大人かを総体として分けることは,わかりやすいと思います。
しかし,連動による懸念もあります。少年法適用年齢引き下げとなったり,児童福祉法適用年齢の22歳への引き上げの抑制となったり(7)することになれば,青年の発達を支援する仕組みが後退します。
成年年齢が主に契約における権利と義務の関係を念頭におき,選挙権は社会の未来に次の世代も関わることを求めることであるとすれば,成年年齢と選挙権年齢は趣旨が異なるため,一概に同じ年齢にしなければならないというものでもないように思います。
権利と責任の関係ですが,選挙権を得ることの責任は,投票したこと(投票しないことも含む)の結果である社会の未来に対する責任だと思います。契約での責任は,契約を遂行する義務だと思います。選挙権は権利で成年年齢は責任というのは,異なった次元の組み合わせの議論のようにも思います。
――成年年齢引き下げは何が問題なのでしょうか。
成年年齢引き下げは,18歳以上は意思能力が十分にあると認め,自由な意思に基づいて行為をしているとすることで,青年の自立を促すことが狙いかもしれません。しかしながら,自由な意思はそうした抽象的な精神能力だけでもたらされるのではなく,それを可能とする基盤がなければなりません。
そのため,成年年齢引き下げは,恵まれた青年には自由な意思を可能にするかもしれませんが,一般の青年にはそうではなく,ましてや社会的な不利をもつ青年にはマイナスになる可能性が大きいと思われます。
例えば,1990年代半ば以降の非正規雇用者の増大といった問題があります。これは企業が市場環境の不確実性増大に対応するため,総人件費の徹底的な削減を目的とした経営戦略によるものです(8)。非正規雇用者の中には,自分の人生を立ち上げていくための生活基盤が十分でない人たちもいますが,社会から与えられることもありません。すでに意思能力のある人たちなので,自由な意思で,そのような生活をしていると考えられているからかもしれません。
しかし,憲法は健康で文化的な生活を国の施策として保障するように求めています。その施策が不十分なまま成年年齢が引き下げられると,いまより下の年齢の人たちまで,成人の自覚をもちたくても個人の力だけではもてない場合でも「成人の自覚がない」と見なされてしまわないか,危惧します。
今回が最終回です。長い連載におつき合いくださった読者のみなさまにお礼申し上げます。
→この連載をPDFで読みたいかたはこちら
文献・注
(1) 当該の箇所だけでなく全体は,次の文献を参照して執筆しました。久保野恵美子 (2015).「子どもと社会の交わり」大村敦志・横田光平・久保野恵美子『子ども法』有斐閣,特にpp. 197-203。
(2) (1)を参照。
(3) 白井利明 (2016).「発達心理学から18歳を考える 九州法学会第121回学術大会シンポジウム「18歳を考える」」『九州法学会会報』
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AA12534165_ja.html(掲載予定)
(4) 田丸敏高 (1993).『子どもの発達と社会認識』法政出版,p. 102.
(5) 山本登志哉・高橋登・呉宣児・竹尾和子・石黒広昭 (2010).「新たな対話的文化研究としての日中韓越お小遣い研究――その理論と実際」『日本教育心理学会第52回総会発表論文集』pp. 130-131.
(6) 読売新聞社 (2016).「「18歳成人」反対64%…18,19歳に調査」Yomiuri Online 特集――世論調査,2016年5月11日.
(7) 朝日新聞社 (2016).「子どもを守り支える――児童福祉法改正(下)」朝日新聞大阪本社朝刊,2016年8月9日.
(8) 日本経営者団体連盟 (1995).『新時代の日本的経営――挑戦すべき方向とその具体策』