ベイズ統計学による心理学研究のすゝめ(1)
Posted by Chitose Press | On 2016年02月04日 | In サイナビ!, 連載いま、心理学の中でベイズ統計学を用いた研究が増えています。長年「傍流」とされてきたベイズ統計学が、最近になってなぜ見直されてきたのでしょうか。また、ベイズ統計学とはいったいどういった特徴をもつのでしょうか。「ベイズ統計学って聞いたことはあるけど……」、そんな人に向けた、専修大学の岡田謙介准教授による「ベイズ統計学による心理学研究のすゝめ」。(編集部)
岡田謙介(おかだ・けんすけ):専修大学人間科学部准教授、カリフォルニア大学アーバイン校客員准教授。主要著作・論文に、A Bayesian approach to modeling group and individual differences in multidimensional scaling.(Journal of Mathematical Psychology, 2016、共著)、『伝えるための心理統計――効果量・信頼区間・検定力』(勁草書房、2012年、共著)など。→webサイト、→twitter: @kenmetrics。
あれ、家を出る前にオーブンの電源スイッチ、切ったかな?
私は現在、米国カリフォルニア州で在外研究をしています。近くのスーパーマーケットで安くて美味しいベーグルが買えるので、朝食に焼いて食べるのが好きです。つい先日の朝、職場に着いてから、ベーグルを焼いた後にちゃんとオーブンの電源を切ったかどうか、ふと心配になりました。うちのオーブンはアパートに作りつけの大型のタイプで、ダイヤル型のスイッチを回して切らない限り、いつまでも電源が入りっぱなしになってしまうのです。
こうしたことで気をもんだ経験があるのは、おそらく私だけではない……と思うのですが、いかがでしょう。家を出るときに玄関の鍵を閉めたかどうか、エアコンの電源を切ったかどうか、ふとしたはずみに気になって、思い出そうとしてもよく覚えていなくてモヤモヤすること。そして、実際には習慣化された行動として無意識のうちに鍵を閉めたり電源を切ったりしており、杞憂に終わることが多いこと。もしもこれが慢性化すると、強迫とよばれるような臨床的な症状に数えられてしまうかもしれません。ですが、頻繁にではないにしてもこれに類する経験が思い当たる方は、少なからずいらっしゃるのではないでしょうか……?
今回も、結局のところオーブンの電源スイッチは切ってありました。このヒヤリとした朝を反省しながら、私はふと、こうした思考はもしかすると、心理学でいわれている基準率無視の認知バイアスの観点からとらえることもできるかもしれない、と思いました。この認知バイアスは、比率や確率についての一般的な情報と、より個別的・特定的な情報が与えられたとき、多くの人が合理的な解よりももっと前者の情報を軽視し、後者を重視しがちになってしまうことを指します。2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンと、エイモス・トヴェルスキーによる研究でよく知られており、心理学を学んだ方は「タクシー問題」や「感染者問題」といった代表的なカバーストーリーを耳にしたことがあると思います。近年でも日本発の研究の貢献も多い、面白い分野だと感じています。
基準率無視は、「確率計算によって求められる合理的な解」と「人間による直観的な認知」とが食い違ってしまう、という意味で、認知バイアスの1つであると考えられています。進化の過程で獲得されてきた人間の直観的な認知は、私たちにとって有利に機能することが多くありますが、一方で合理的な答えからずれていることも少なくありません。このずれが系統的に観察される場合、それは認知バイアスと呼ばれます。
もっとも、今回私が注目したいのは、認知バイアスについてではなく、むしろ「合理的な」解を与えるための確率計算についてです。基準率無視の文脈における合理的な「正しい」解は、ベイズの定理を用いた確率計算によって求められます。ベイズの定理は、条件付き確率に関する、基本的な数学の定理です。そして、ベイズ統計学という名は、このベイズの定理の原型を発見した、18世紀イギリスの牧師にしてアマチュア数学者、トーマス・ベイズに由来します。ベイズの定理について、少し歴史を紐解いてみることにしましょう。