歴史的・社会的文脈の中で心理学をとらえる(3)

俺はじつはピンと来ないんだよね、ポジティブ心理学って。小塩先生たちのダーク・トライアドみたいな方がピンとくる。だって健康な人たちって、心理学が研究をしなくても健康なんだよね。昔から、心理学は人様の不幸で飯を食っているってずっと言ってきたわけで。ポジティブ心理学の人は、それが嫌なのかもしれない。でも幸福な人はほうっておいても幸福だから、学者の人がそれに口出しをする必要があるのだろうか。

Author_OshioAtsushi小塩真司(おしお・あつし):早稲田大学文学学術院教授。主要著作・論文に、『Progress & Application パーソナリティ心理学』(サイエンス社、2014年)、『性格を科学する心理学のはなし――血液型性格判断に別れを告げよう』(新曜社、2011年)、『はじめて学ぶパーソナリティ心理学――個性をめぐる冒険』(ミネルヴァ書房、2010年)など。→webサイト、→twitter: @oshio_at

小塩真司(以下、小塩):ただ、幸福感は社会制度や政治と結びついていてくるんですよね。

渡邊:おそらく、みんなに幸福だと言わせる心理学になっている。世界で一番幸福度が高いのはデンマークだっていうんだけど、俺デンマークに一度行ったときにその社会の裏の面みたいなもの見せつけられちゃって、あれってみんなが幸せだと言わされる社会だよね。みんながこれがいいことだと共有しているんだよ。独裁政権でそれが強制されているわけじゃなくて、みんなが自発的に我々の社会はいい社会で優れた民主的な市民社会で、この社会で暮らすことが一番幸せなんだ、と思っている。難民もどんどん受け入れて。ただデンマークで一番感じたのは、市民としてのメンバーシップを手に入れるのがすごく難しい社会ですよ。例えば、家の庭はみんなきれいにしておかなければいけない。自分の庭だからって汚くしていると、近所の人に叱られる。公共の場では子供は泣かないようにしつけられている。犬もほえない。

小塩:犬はほえないですね。

渡邊:移民の人たちがいるでしょう、特にアジアの移民の人なんかは私たちと感覚が近いから、子供もじゃんじゃん泣かせるし犬もほえさせるんだけど、俺が見たのは、バスの中で子供が泣き始めて、いつまでも泣き止まないとバスが急に止まって、運転手が立ち上がって、ワーワーと言うわけ。そうするとアジア系のお母さんが片言のデンマーク語でワーワーワーって言って降りていった。降ろされちゃう。だから日々の生活の中で、お前はこういうことができていないからお前にはこの市民社会のメンバーシップがないんだぞ、と。

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こういうメンバーシップのイメージを英米はこれから強めてくるんじゃないか。合法的な移民の排斥みたいなことができるよね。これじゃあ暮らしにくいから、結局出ていってしまうよな、と思った。どんどん受け入れて、国際社会に対してはわが国は難民を受け入れていますと言って、難民は暮らしにくいからオランダとかに逃げていく。

あのへんの難民の人たちは最終的にはオランダに逃げて、アムステルダムで子供は泣き放題、犬はほえ放題の生活に戻る。俺たち日本人もデンマークから飛行機に乗ってアムステルダムに着くとホッとする。汚くて乱雑で。デンマークの社会も本来は具体的に特定の人たちを排斥する仕組みとしては作られていないはず、公式には。でも結果としてそうなっているでしょ。

むしろ心理学が政治的であっていいというなら、そういうのを糾弾したいな、俺としては。そういう心理学ってあるのかな。俺が危惧しているのは倫理学や人文諸学が英米の価値観のメッセンジャーにどんどんなっているでしょ。ポジティブ心理学みたいなものにもその傾向はあるのかも。要は何が幸せかを英米の価値観で、科学として、サイコロジーじゃなくサイコロジカル・サイエンス(心理科学)として示したい。

そうすると再現性がなくては困るんだろう。政治目的でかつそれをサイエンスだと彼らは言っていて、これが宗教だったらダメなんだろう。宗教だったら拒否できるけど、サイエンスは世界中で誰も拒否できない。それはすごく危ないと思う。データをとる文系の学問が、具体的な正義や倫理を主張し始めることにはもうちょっと警戒してもいいと思うし、それ危ないんじゃないのって言えるのは心理学者だけじゃないか。倫理学者はどんどんやり始めている。倫理学も若い人は業績が論文の本数で数えられるようになると、国際誌になるでしょ。英米のジャーナルに載る論文は、英米的な価値観が持ち上げたものしか載らない。まずいよな。でもこんな話、発表できないよな。

小塩:文化比較もそうですね。男女のことも、先日『パーソナリティ研究』に、私も著者に入っている男女のセルフ・エスティームのメタ分析論文を載せてもらいました(5)。その論文の考察には書いていなかったのですけど、男女差が日本は少なくなっていて、男女差が少ない国って女性の社会進出が遅れている国なんですよ。国際比較で見ると、他のインデックス(指標)で見たときに女性の社会的地位が低い国ほど男性と女性のパーソナリティ差が小さい。その中で安住しちゃうというか、比較対象が自分の周りだけになっちゃってあまり差がなくて、男女平等の国ほど差が明確に出る。

渡邊:国際比較はそこが大事なんだよね。心理学者はすぐに親の養育態度だとかそういう話にしちゃうからいけない。社会が違うからそこも違うわけで。人間の性格って社会が作っているというすごく大きな問題がある。ただ、社会が作っているというのも「社会脳」だっていう話になって、人間の社会性の生得性を言うのがみんなすごく好きになっているから。そりゃ生得性はあるに決まっているんで。

心理学者は昔から、例えば社会的欲求のマレー(6)だとかをいま読み直してみると、ある程度の生得性をイメージしている。親和欲求を我々は生まれつきもっているし、もっていれば適応的だからそうなっているのは当然なんだけど、そこから量の概念がどうかを見ないといけない。ネットでも言うじゃない。放射能があるから危ない、ないから安全じゃなくて、このくらいあったら危ない、このくらいだったら安全っていうことがある。そういうことって他のこともみんなそうで、生得性は程度の問題に決まっている。心理学者はわかっていて話しているんだけど、結局放射能の問題も政治の問題になるとあるかないかになってしまう。ここは住んでいい、ここは住んじゃいけないとゼロイチになる。だから、政治や倫理や正義の問題になるとゼロイチになる。いろいろな心理学的な特徴の生得性の問題も、心理学者にとっては量の問題や程度の問題なのが、どこかでゼロイチになるわけ。


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