現象としての社交不安(1)
臨床心理学入門としての社交不安
Posted by Chitose Press | On 2015年11月02日 | In サイナビ!, 連載バイオ・サイコ・ソーシャルモデルから見た社交不安
恥ずかしさは専門的には羞恥と呼びます。ごくおおまかにいうと、羞恥とは何かの出来事によって直接的に生じる心の反応であり、社交不安とは、この羞恥を体験するようなことが生じはしないかという予期不安です。
社交不安にはいくつかの側面があります。最近はバイオ・サイコ・ソーシャルモデル(4)というものの捉え方が一般的になっています。つまり、身体的側面,心理的側面,社会的側面のそれぞれをアセスメントし、それらを総合して人物像を浮かび上がらせる考え方、というとわかりやすいでしょうか。
これに則していうならば、身体的側面とは体に現れる社交不安現象です。例えば、誰かあまり知らない人と話さなければならないときのことを思い浮かべてみてください。あまり普段から不安を感じない人は、就職がかかった面接で考えたこともない質問が飛んでくるシチュエーションを想像してみるとよいでしょう。きっと、体がほてってきたり、なぜか右目の下の方がぴくぴくしたり、脇に汗がたまってきたり、顔が赤くなったり……など、体に何かの変化を感じることでしょう。これが社交不安の身体的側面です。
次は心理的側面です。先ほどのようなことに遭遇したとき、困ったなあ、とか、変に思われるのではないか、とか、きっと心の中には何らかの思いや情景が思い浮かべられることでしょう。あるいは何だか怖い感じがしたり、焦りの気持ちが出てきたり、普段とは違う気持ちが出てくることでしょう。前者は認知と呼び、後者を感情と呼びます。このように主観的に何かを感じ、何かを考える側面が心理的側面といえるでしょう。
さて、先ほどの場面に戻りましょう。このような場面が苦手だとしたら、そこから逃げ出したり、また同じ場面に遭遇しなくてもすむように、これからは避けようとしたりするのも人情というものです。これは最後の社会的側面です。不安が人の関わり方の程度や質を左右するわけです。
社交不安の仕組み――学習と適応システム
なぜ社交不安は生じるのでしょうか。ここでは学習という側面から考えてみましょう。
人間は出来事から学び、それを次に生かす動物です。この仕組みを学習(5)といいます。上記のようなあまり知らない人に話しかけないといけない場面で、何かしら恥ずかしさを感じたとしましょう。そうするとこの恥ずかしさという感情と場面が結びついてしまい、次に同じような場面に遭遇したときに、自然と恥ずかしさがよみがえってくることでしょう。これは古典的条件づけと呼ばれる仕組みが背景にあります。他にも、人前で話さなければならないときにうまく話せなかったことがあり、それからというもの人前で話すような場面が億劫になってしまう、ということもよくあると思いますが、ここにも古典的条件づけの仕組みが背景に存在しています。
そして、嫌な感情を体験させるような場面に遭遇するとしたら、ある程度なら我慢するかもしれませんが、どうにも耐え難い場合はそこから逃げ出したり、回避したりすることでしょう。逃げ出したり回避したりすることによって、嫌なことから解放されるわけですから、次も同じような場面に出くわせば、同じような行動をとることでしょう。このように、行動の結果として得られることによって、その後の行動の頻度が変化するような学習の仕組みをオペラント条件づけと呼びます。どうしても嫌なときは我慢しなくてもよいかもしれませんが、同じような場面では、同じように逃げ出したり、回避したりすることが続いてしまいます。つまり、ちょっとしたことが悪循環を呼び、なかなか抜け出しにくくなるので、ついには日常生活にさしさわりが生じて、援助職の助けを借りることになっても不思議はありません。
ここで取り上げた学習とは、人間の非常に基本的な仕組みの1つです。実は人間の心も進化の産物(6)であり、私たちはサバイバルして生き残ってきた祖先たちの末裔です。おおまかにいうと、厳しい環境の中で生存して生殖した人々の特徴が私たちに備わっていると考えられています。ここで不思議なのは、もともと人間が生きていけるように存在しているはずの仕組みなのに、結果として本人が望まない結果や不適応へと導いてしまう可能性がある点です。ここが、人間の適応システムから精神病理を考えてみる際の不思議な点、面白い点だと私は思っています。社交不安は非常に身近な現象ですので、自分の実体験と比べながら研究を紐解くことがしやすいですし、なおかつ、適応システムの見方から精神病理を読み解くというノーマライズした考え方を身につけようとする人にとっては、よい入り口を与えてくれる現象だと思います。