実験心理学の魅力(3)

いま1つ直面した問題は、予測可能/不可能な刺激がショックのような嫌悪刺激ではなく、食べ物のような好ましい刺激の場合にも、動物やヒトは情報を求めるのだろうかという問題です。予測不可能ショックが嫌われるのは、いつショックが来るかわからないので四六時中ビクビクしていなければならないからという考えは有力なのですが、もしこの説が正しいならば、予測の対象がショックでなく好ましい刺激(快刺激)であればどういう予測が成り立つでしょうか。快刺激の場合、いつ来るかわからないと、四六時中バラ色の期待状態におかれるので、かえって予測不可能、つまり情報がない方が好まれるということになるのではないでしょうか。われわれの経験でも、突然前触れもなくもらったプレゼントの方が、予想されたプレゼントよりも嬉しいということがあります。

ただ、快刺激の予測可能性/不可能性の実験を動物で行うとなりますと、けっこう難しいのです。例えばショックの場合には、実験者はスイッチを押せば望むときに的確にショックを与えることができます。しかし餌のような快刺激の場合、それを実験者が与えてもネズミが食べてくれなければ意味がありません。ですから、このような実験をショックの実験のように適切に行おうとすると、ネズミに手術をして細い管を頬から口の中に埋め込み、甘い液体報酬を決まった時間に決まった量を与えるという方法とか、脳内の快中枢を直接刺激するなどの方法をとらざるをえません。これは大変なことですし、自然の状態を崩すことにもなります。このようなわけで、この種の実験の数は限られていますし、私の知る限り結果も一定ではないようです。

研究者として、教育者としての姿勢

このように、実験というものは、1つの問題が他の問題へとつながり、限りなく興味は広がっていく一方で、次々と難しい問題に直面し、またそれが興味をかき立てるものです。最近の社会は、すぐに役に立つことに価値基準が移行して、私の時代のように興味の赴くままに研究を発展させることが難しくなっているようです。もっとも私の場合も、よりよく生きるために精一杯の努力をしているヒトや動物の姿を広い意味で学習心理学の立場から明らかにしようとしていたわけですから、長い目で見て生きとし生けるものの幸せに役立つことを目指したといっていいでしょう。

そして若いときには、なぜ動物を使うのですか、という問いに対しては、ストレス下のヒトの行動は驚くほど動物の行動に似ているからと正当化していました。しかしいまでは、‘ヒトは動物の仲間であるとともに、ヒトはヒトである’という立場です。一方ではヒトをことさらに特別視しないと同時に、ヒトのヒトである特性をも軽視しないということです。

それでも私のような研究者は、独りよがりとか、研究者の自己満足という誹りを受けるかもしれません。しかし、目を輝やかせながら研究をする姿勢を学生たちに見せることが、研究の内容とは別に、研究とか人生を生きるうえで学生に対して教育的意味があるのではないでしょうか。良い教育者は、まずもって自分のやっていることが面白くて仕方がないという姿を、講義や研究を通して学生に見せることが大切ではないでしょうか。まず自分が輝かなければ周囲の人が輝くわけがないからです。

そして教育者として大切な3要素は「愛情、熱情、誠意」だと思います。私はこの3語を指針にして教育者として生きてきましたが、実はこれは牧師であった私の祖父の遺言、「愛情、熱情、誠意をもって、死ぬまで働け!」にそのルーツがあります。

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(続く:近日公開予定)

文献・注

(1) Imada, S., Fujii, M., Nakagawa, R., Iso, H., Sugioka, K., & Imada, H. (1983). An attempt to measure effects of electric shock upon rat’s drinking, eating and general activities over 24 hours a day. Japanese Psychological Research, 25(1), 52-57.

(2) Imada, H., & Nageishi, Y. (1982). The concept of uncertainty in animal experiments using aversive stimulation. Psychological Bulletin, 91, 573-588.
投石保広・今田寛 (1980).「不安の実験心理学」『心理学評論』23(3), 211-237.

(3) 今田寛 (2015).『ことわざと心理学――人の行動と心を科学する』有斐閣


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