書評『歩行が広げる乳児の世界』

乳児が歩きはじめることが他の領域の発達にどう影響するのかを描いた話題の新刊,外山紀子・西尾千尋・山本寛樹『歩行が広げる乳児の世界』。領域横断的な発達を捉える発達カスケードの特徴や意義とはどのようなものか。無藤隆・白梅学園大学名誉教授による書評です。(編集部)

無藤 隆(むとう・たかし):白梅学園大学名誉教授

子どもが生後1年を経て,立ち上がり,最初の一歩を踏み出し,数週間程度で数歩以上を歩き,しだいに歩行が安定していく。そのときに乳児の環境世界は大きく変貌する。手が使える。モノが操作できる。モノを運べる。遠くのモノが見えるから,遠くの大人との交渉が展開できるし,近づいての交渉も起きていく。視線の交換や共同注意,モノを手渡す,それらを声としてまたいずれ言葉としてやりとりすることもやりやすい。

このような大きな変貌は,おそらく乳児保育をしている多くの保育者にはなじみのあることだろう。だが,それを漠然としたその種の発達の様子を超えて,詳細に克明に丹念な実験・観察を通して本書は論述しているので,その時期の発達の様相について一気に解像度を高くしてくれているのである。

本書は我が国の発達心理学の先端をリードしている発達心理学者がその実証研究に基づいて,乳児が歩き出すことでいかにしてその世界が変化し広がるかを丹念に示し,その発達がたんに「遺伝的プログラム」に沿ったというよりも,その身近な環境に対応しているなかで多様な広がりを個々人ごとに可能にしていくかを明らかにしたのである。そのいくつもの研究自体が興味深いのであるが,さらに著者たちはその研究が意味する発達の新たな見方を提示する。それが「発達カスケード理論」である。カスケードとはもともとは小さな滝が連なり分岐していくものを指しているのだが,それが転じて,一つの動きが多様な動きへと分岐していく様を指すようになった。それが発達研究に適用され,21世紀の発達心理学の一つの有力な動向となったのである。

私のような昔の研究でこういった研究に興味をもっていた人間としては,最初にこの種の理論とデータに出会ったのはJ. キャンポスによる移動の認知発達への影響を示したものだったことを覚えている。1990年代であろうか。乳児が自力で移動可能となることはその部屋の環境でモノの裏側まで見ることができることであるので,それがモノの立体的な理解へとつながるという議論であったろう。鮮明に覚えているのは,それが私の常識(たぶんその頃の発達心理学の知見でもあるが)を揺さぶったからだ。発達はいわばそれぞれの領域で単線的に進むか,あるいは大きな能力の開花といったグローバルな発達であるか,ということのはずだったのだが,その環境との相互作用は(有利・不利といった環境の大づかみな捉え方ではなく)乳児が自力で移動する(たしか歩行器も有用だという研究もあったはずだ)なり,つかまり立ちし,さらに歩き出すなりして,それがモノとしての周りの環境と相まって,子どもの発達のあり方を変えていく。

むろん,当時のまたその後の発達心理学のハンドブック(Handbook of child psychologyのシリーズなど)を見ればわかるように,それをサポートする研究群はその理論とともにかなりの数が出てきている。J. J. ギブソン以来の生態心理学的な環境の捉え方(それを乳児に適用したE. テーレンなどの歩行研究とかでは身体動作としての分析がある),いくつものシステムが互いの相互作用しながら発達していくところを記述していくDynamic Systems Theory,さらにそこでの個々人の発達(発達段階というより,1人ひとりの違いを尊重する)に着目すること,またそこでのスキルを強調すること(私などはK. フレッチャーの理論を思い出す)などなどが流れとして生まれてきていた。

その一方で乳児研究は(そして乳幼児期全体へと広がる)実験的に乳児のさまざまな能力・傾向を取り出し,その生得性を示唆してきた。いまでは0歳代,1歳代においてほぼ人としての基本的な要件を備えていることが実証的に言えるようになった。知的理解から道徳的な理解までその範囲は広い。

本書の乳児を巡る歩行のカスケードの実証研究と理論はそれらの背景に照らしてみるとわかるように,それらの流れの総合であると同時に先鋭的な実証なのである。

実際の観察研究の例を挙げてみよう。著者の外山による研究である。ある保育園の乳児クラスの観察である。8名の乳児で2年間で16名である(個別的な検討なので,通常はさほどの大人数ではない)。歩行の始まり時期はさまざまであるわけだが,それを毎週のように見ていき,その歩行の開始時期とそこに伴う各種の行動を見ていく。小型カメラ2台を設置して,観察する。

モノをもつこと・運ぶことはどう変化するだろうか。乳児は多くの時間,何かのモノを手に持っていることが多い。移動とともに,移動しないと届かないモノを持つことが増えた。子どもの視野と移動範囲が広がり,子どもが手で操作する範囲が乳児自身にとって広がるのである。移動が子どもの世界をいわば三項関係が基本となるところへと移していくのである。むろん,月齢とともに多くの機能が向上するのだから,とくに歩行に結びついたということを示さねばならない。たとえば,伝い歩きの最後と歩行の最初の回を比較すると,そこで急に変化するなら,そこに因果関係があると推定できる。その結果,とくに歩行の獲得前後では「行為を見せる,要求する」が増えており,三項関係的世界への移行が示唆される。その三項関係的関わりを繰り返すようにもなる。「保育者に近づいていきカップを見せ,その後,いったん保育者のそばを離れたものの,再び保育者に近づき,カップを見せたり渡したりする」といった行動が増えた。その関わり自体が楽しくて,それを繰り返すと解釈できそうである。さらにもう一つ,そのような関わりを繰り返す際に相手を変えるようになっていった。

このように乳児は歩き始めると移動距離が伸びる,移動速度が速くなる,手が移動手段から解放されるなどから,モノの運搬が容易になり,それが三項関係的関わりの繰り返しへとつながるのであろう。関わる相手が変化することは,そのような移動が他者と他者をつなぐことにもなることもわかる。

著者による観察研究の結果の一端を示したが,そのようなことが指さし,模倣,接触(タッチ),などでも丹念に観察され,その微細な検討から,歩行が始まることにより一気に乳児の世界が広がり,そこでのモノへの関わりとともに他者との関わりが増え,さらにそれらの間のつながりを作り出すことが見えてくる。1歳代において遊びの広がりが幾人もの間で生じ,さらに伝播が起こり,保育園でいえば,そのクラスとしての遊びにもなることが見えてくる。

それらが月齢の進展とともに起こることはもちろん従来からわかっていたし,発達心理学ではA. ゲゼル以来の定番の観察事項であったのだし,保育園での保育士が初心者でもその程度は教わるし推察もつくだろう。しかし,歩行という動きが決定的な役割を果たし,それが,従来の分類でいえば,認知発達や社会性の発達や遊びの発達に影響をもち,環境との関わりという視点で見るなら,多種多様な部屋全体のモノへの関わりとして広がり,またそこにいる子どもたちや大人(保育士)との関わり,さらにその間をつなぐ集団的な働きをもつことが見えてきたのである。それは各種のカメラを駆使し,数カ月以上にわたる毎週の観察といった克明で縦断的で詳細なデータを収集し,精緻な分析を行うことにより,因果的関係の展開のあり方へと至ったのである。

著者たちはこのような研究をいくつも行い,0歳,1歳の発達をその普段の家庭や保育園でのモノと人の環境の中で捉えている。さらにそこから次のように発達のカスケードとしての特質を4つに分けて取り出している。

第一は領域横断性である。ハイハイから歩行に至ると,手が移動から解放され,長い距離を短時間で移動できて,視界が広くなり,周囲にいる他者を見ながらの移動が増えて,養育者と関わる際の距離が遠くなるなどの変化が起こる。これらの変化は語彙獲得を促進する(本書の前半にくわしく研究結果が述べられる)。乳児はモノと関わることが増えるが,その際に養育者を巻き込むようになるのである。それと並行して養育者は乳児への関わりを変えていく。双方向的な変化が起こるのである。

保育所の保育場面での変化も顕著である。複数の仲間,複数の保育者がいる状況であり,たくさんの多様なモノがあり,かなり広い場だけれど,その多種多様な相互作用が増えていく。とくに保育者が「ハブ」となり,乳児間の模倣に発展することなども興味深い。

このようにして,移動の発達は視覚情報,環境の探索,モノとの関わり,養育者(保育者)との社会的相互交渉など,姿勢・運動領域自体ではない領域に波及的に影響していき,さらにそれが言語,仲間関係,指さしなどに広がっていく。乳児の発達は1人ひとりの発達の軌跡を背景に,その時点での多数の要素の相互作用を通して生じる。まさにダイナミックなシステムとしての発達であり,それは各乳児の固有の発達の軌跡に埋め込まれた歴史性をもち,多数の要素の相互作用によって生じる創発性を担うのである。発達は領域固有というより領域横断性をもつのである。

第二はタイミングである。従来発達の順序だった系統性を強調してきたのであるが,丁寧に個々の子どもの発達を細かく見ることにより,発達はある時期における多数の要素の相互作用によっていわば場当たり的に進むのであり,それ以前の発達の経路により異なる様相をしばしば示すのである。歩行獲得にしてもそのタイミングによりその後の変化が異なることはよくある。歩行開始が早いか遅いかで乳児のコミュニケーションの仕方も異なる。歩行の獲得時期により影響を受けるコミュニケーションが異なってくるのである。発達においては,その時々によって安定したシステムを構成する事柄は異なり,システムに影響する要素も異なってくるのである。

第三は経路の多様性と冗長性である。子ども1人ひとりに着目すると子どもの間にかなりの違いがあること,そうであってもあるところでほぼ同様のところに行き着くことに気づく。それは平均で議論していた従来のやり方では見えないことである。流れは途中で分岐してもその先で合流する。発達は子どもにより辿る経路が異なるのである。多くの乳児が一定の時期に歩行するようになるが,そこに至る経路はきわめて多様であり,環境とまたその子どもの種々の特性にかなり依存するし,偶然も入り込むのかもしれない。その多様な時期を経て,移動についてはある時期に歩行という安定したシステムとしての結果が現れる。

第四は文化とのつながりである。発達カスケードのあり方も文化による違いがかなりあるのかもしれない。乳児を動けないようにする「エジコ」は日本の伝統文化の中にあったやり方だが,世界の多くの文化で使われてきている。ある調査では,そのような乳児期の移動制限は歩行の開始を遅らせるが,4,5歳までにはその差は解消されるという。

以上のような特徴をもつであろう発達のカスケードとしてのあり方の実証研究は,21世紀の前半の主要な発達的捉え方の一つになりつつある。発達の個々人による違いを重視するその個別性を捉えるアプローチは著者たちがその研究動向に加わりながら,世界的に広がりつつある。

以上,本書の内容と特徴を紹介してきたが,評者(無藤)はとくに保育現場での保育のあり方とそこでの子どもの発達の様相に専門的な関心を抱いている。そこへの示唆はきわめて大きい。何より乳児の移動手段とそこからの多様な発達的影響は乳児保育(0歳後半から1歳代)の保育の質をよりよいものにしていくための示唆が多く得られるだろう。さらに,家庭での養育でもそうだが,園での保育でも1人ひとりの違いとしての発達を捉えることは,園という生態学的環境の中で保育として取り上げているような活動の展開を見ていくのに必要な視点となる。発達カスケードの捉え方を歩行に類した,その時期ごとの安定的なシステムに着目して,その多様な影響関係を捉え,そこらから発達の要所ごとに安定的システムのさらなる移行を検討できるだろう。そこに新たな発達心理学者と保育研究者・実践者の協働の可能性が広がると思える。

本書は乳幼児を対象とする多くの発達心理学者のみならず,保育所・幼稚園などで質を上げるべく努力を重ねている保育研究者・実践者にも示唆するところが多い。いまのところ,歩行の問題を中心としているけれども,発達のカスケードという理論的枠組みはきわめて広範な発達領域に起きているはずだからである。保育研究者が関わり記述している保育の現実,またそこでの子どもの遊びの活動や人間関係からの発達研究的に意味のあるところは多いはずである。そして何より保育実践者はそこからそれぞれが日々進めている保育のあり方を捉え返す視点を得ることができる。著者たちの研究成果と提言に学んでほしいと思う。著者たちが最後に記しているように,この世界は多様な発達の軌跡に満ちているからである。

9784908736384

外山紀子・西尾千尋・山本寛樹 著
ちとせプレス(2024/10/10)

領域横断的に発達を見る。乳児期のロコモーション(移動運動)の発達が,知覚,認知,言語,モノや他者とのかかわりなど他の領域の発達に波及していく様相を,観察や実験で得られた研究知見をもとに読み解いていきます。乳児の発達に関心をもつ養育者や保育者,心理学や教育学を専攻する人に


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