コロナ禍に見る魔術的伝染の心

『生命に関する理解の発達』刊行によせて

新型コロナウイルスの感染拡大をめぐる人々の行動を「魔術的伝染」の観点から,発達心理学が専門の外山紀子・早稲田大学教授が考察します。外山教授は,さまざまな生命現象を私たちがどのように理解しているのかを解説する『生命を理解する心の発達』を2020年7月に刊行しました。

外山紀子(とやま・のりこ):1993年,東京工業大学総合理工学研究科システム科学専攻博士課程修了。博士(学術)。現在,早稲田大学人間科学学術院教授。『生命を理解する心の発達――子どもと大人の素朴生物学』(ちとせプレス,2020年)を刊行。

このたび,病気や死といった生命現象を私たちがどのように理解しているかを紹介した『生命を理解する心の発達』(1)を上梓しました。生命あるものとないもの,成長,老化,病気,心と身体,遺伝,そして死に関する子どもや大人の日常的な理解(素朴生物学)を,発達心理学の研究に基づきまとめたものです。その校正作業を進めるなか,新型コロナウイルス感染症が世界規模で拡大しました。ここでは,感染拡大をめぐる人々の行動を発達心理学から考察したいと思います。

コロナ禍

2020年夏,日本では東京オリンピックが開かれ,世界各地から多くの選手・観光客が日本を訪れるはずでした。しかし,感染症の感染拡大により,オリンピック開催はおろか,息を潜めるような生活が続いています。

感染が報道され始めた当初から「ヒトからヒトへの感染はない」とか,「マスクは不要」とか,さまざまな情報が飛び交い,私たちは振りまわされてきました。未知の感染症であること,そしてそれが「ちょっとした風邪」などではなく,重症化する場合も,死に至る場合もあることが恐怖を増大させ,混乱に拍車をかけたのでしょう。この混乱を背景として,情報の真偽をまとめた(ファクトチェック)サイトも登場しました。あるサイトによれば,「ソーダを飲むと感染予防できる」(シュワシュワする泡がウイルスを吹き飛ばすイメージでしょうか)とか,「インフルエンザワクチンを接種した人は感染する可能性が高い」とか,「蚊がヒトからヒトへの感染を媒介する」といった情報が出まわっているのだそうです(そのサイトによれば,この3つはすべて誤り)。

今回の感染拡大は,未知の感染症を前にして人間が右往左往する姿だけでなく,さまざまな問題を顕在化させました。海外では感染者数・死者数が低所得者層の多く住む地域に偏り,経済格差・健康格差を浮き彫りにしました。「新型コロナウイルスの前では誰もが平等」などではなかったのです。日本では患者を受け入れた病院の経営が悪化し,医療従事者に対する差別が問題となりました。感染リスクのあるなか医療を支えてくれている人々が,「子どもの保育園登園を拒否された」とか,「バイキン扱いされた」といった仕打ちを受けたというのです。新型コロナウイルス感染症から回復した人が,患者であったことを口に出せないとか,職場から口外することを口止めされたといったことも起きています。

魔術的伝染

病院や医療従事者,患者に対する不当な差別・偏見の背景には,魔術的伝染(magical contagion)という心の働きがあるように思われます。これは,人や物の間に一度接触が起きると,互いの性質が伝わり,その影響がずっと残ることをいいます。伝わる性質には物理的なもの,善悪といった道徳的なもの,心理的なものが含まれます。”once in contact, always in contact”,ひとたび接触すれば,常に接触し続けるというわけです。たとえば,「殺人者が着ていたセーター」は,たとえ洗濯しても,日に干しても,それを着たい思う人は少ないでしょう。殺人者と接触することでセーターに邪悪な本質が乗り移ったように感じられ,その邪悪さが容易には浄化されないからです(2)

魔術的伝染は文化人類学者のフレイザー(J. G. Frazer)が原始宗教や儀礼等の呪術(魔術)について指摘した法則の1つですが,心理学の分野では食心理学者のロージン(P. Rozin)による検討が有名です。食べるという行為は,食べ物を身体に取り込むことであり,取り込まれた食べ物は消化され,身体の一部となります。接触どころか,一部になってしまうのですから,究極の接触の形といえるでしょう。だからこそ,私たちは食に「好き」「嫌い」といった言葉を使い,強い感情を抱きやすいのだとロージンは述べています(3)

このことは,食について「連想による汚染」(associational contamination)が認められることからも示されます。「連想による汚染」は「魔術的伝染」の1つですが,「毒」のように危険なもの,「ゴキブリ」や「糞」のように不快なものについては,それと接触してもいないのに(連想させるというだけで),対象に対する忌避が生じることをいいます。たとえば,飲み物の入ったコップの横に「毒」というラベルの貼ってある瓶が置いてあったなら,あなたはそれを飲みますか? ただ横にあっただけなので,飲み物は「毒」で汚染されているわけではありません。しかし,多くの大人はそれを飲むと「お腹が痛くなるかもしれない」と答えます。そしてこの反応は,飲み物と「毒」との接触を目に見える形で示しても,大きな相違はありません。「毒」と接触すると飲み物が変色する状況をつくり,変色した場合と変色しなかった場合に腹痛になるか答えてもらうと,「お腹が痛くなるかもしれない」という反応はどちらの場合でもほとんど変わりませんでした。興味深いことに,変色しなければ「お腹は痛くならない」,変色すれば「お腹が痛くなる」とする反応は大人より幼児について多く認められました (4)

生存戦略としての合理性

こんな“不合理”な反応が幼児より大人に多いだなんて,信じられないと思う方もいるでしょう。しかし,この反応は本当に“不合理”なのでしょうか。

雑食性動物は多様な食べ物を摂取する必要があります。さまざまなものを食べる能力がある,ともいえるでしょう。コアラはユーカリの葉以外のものを食べることができませんが,ヒトは多くの食べ物の中から食べたいものを選び,味わう喜びを享受できます。しかし,食性の範囲が広いこと=よいこととはいえません。多くのものを食べられるので,誤って毒を摂取し,命を落とす危険もあるからです。

このことを踏まえると,「連想による汚染」は“不合理”な反応とはいえません。生命を脅かす可能性のある食べ物を察知し,用心深く避ける行動と見ることもできるからです。用心に勝るものはなし,です。たとえば,「毒」の横にあった飲み物ですが,とても微量な「毒」の粉末が舞い上がり,飲み物に落ちたかもしれません。変色していなかったとはいえ,実際には,ヒトの視覚で確認できないほどのわずかな変色が生じていたかもしれません。ですから「お腹が痛くなるかもしれない」と考え,摂取しないよう避けることは“不合理”どころか,とても理になかった生存戦略ともいえるのです。

ヒトの社会性

「連想による汚染」が幼児より大人に強く見られるのは,大人ほど“不合理”だからなのではなく,大人ほど用心深いからだともいえるでしょう。では,病院や医療従事者,そして患者に対する差別もまた用心深い行動,生存戦略としては合理的な行動といえるのでしょうか。

患者を隔離することは感染拡大を阻止するためにやむをえない措置でしょう。しかし,感染症に罹患し苦しんでいる人に心ない言葉をかけたり,すでに回復した人たちや,医療現場で闘ってくれている人たちとその家族を遠ざけたりする行動は,そうとはいえません。

初期人類が現れた250万年前頃,地球の低温化と乾燥化が進み,その過酷な環境の中で食べ物を獲得し生き抜くために,ヒトの祖先は集団をつくるようになったといわれています。そしてヒトは,集団生活を送るなかで高度な社会性を獲得してきました。他者の心を理解したり,自分も同じ感情をもったり,自分を犠牲にして他者を助けたりといった行動はヒトの特徴です。

共感や協力といった社会的行動は,発達のごく初期から認められます。たとえば,18カ月の赤ちゃんは目の前で困っている人がいると,たとえ相手が知らない大人でも,助けようとします。手の届かないところにあるモノをとってくれたりするのです。わずか6カ月の赤ちゃんが,意地悪な行動をする者より,他者を助ける行動をする者を好むことも知られています。「飢えている」とか「死にそうだ」といった生物学的必要性のない状況で他者に食べ物を分け与える行動もヒトの特徴ですが,食べ物の分配行動は1歳前に出現します(5)

新型コロナウイルス感染症の世界規模の感染拡大は,私たちの日常を奪いました。私たちは困難な状況におかれると,つい自分のことを優先してしまいがちです。魔術的伝染によって嫌悪感情が芽生えてしまうのは,ヒトの認知の特性として自然なことかもしれません。しかし,ヒトは他者の心を理解したり,他者のために自分を犠牲にしたり,他者と感情を共有したり,たとえ利害や立場が異なっても同じ目標に向かって他者と協力したりできるよう,そう他者を「助けるように生まれて」きました(6)。いま私たちに求められているのは,ヒトに備わった高度な社会性を人々に対して向けることではないでしょうか。赤ちゃんの頃からもっている私たちの共感,協力,利他性に基づく連帯があれば,きっとこの危機を乗り越えられる,と信じます。

文献・注

(1) 外山紀子 (2020).『生命を理解する心の発達――子どもと大人の素朴生物学』ちとせプレス

(2) Nemeroff, C., & Rozin, P. (1994). The contagion concept in adult thinking in the United States: Transmission of germs and of interpersonal influence. Ethos, 22, 158-186.

(3) Rozin, P. (1990). Social and moral aspects of eating. In I. Rock (Ed.), The legacy of Solomon Asch: Essays in cognition and social psychology (pp. 97-110). Potomac, MD: Erlbaum.

(4) Toyama, N. (1999). Developmental changes in the basis of associational contamination thinking. Cognitive Development, 14, 343-361.

(5) 外山紀子 (2008).『発達としての共食――社会的な食のはじまり』新曜社

(6) トマセロ,M.(橋彌和秀訳)(2013).『ヒトはなぜ協力するのか』勁草書房

9784908736186
外山紀子 著
ちとせプレス(2020/7/31)
子どもや大人は,生命(いのち)をどのように理解しているのだろうか。生命あるものとないもの,成長や老化,病気,心と身体,遺伝や死などの生命現象に関する理解から見えてくる,ヒトの認知の本質とは。

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