薬物依存からの「回復」からこれからの社会構想を考える

薬物依存のニュースがさまざまなメディアを賑わしています。薬物依存からの「回復」とはいかなるものなのか。民間リハビリテーション施設「ダルク」におけるフィールドワークを通じて,薬物依存からの「回復」のプロセスを記述し,考察した『薬物依存からの「回復」』の著者・相良翔氏に,薬物依存の「回復」と,そこから見えてくる社会構想について寄稿していただきました。

相良翔(さがら・しょう):埼玉県立大学保健医療福祉学部社会福祉子ども学科助教。『薬物依存からの「回復」――ダルクにおけるフィールドワークを通じた社会学的研究』(ちとせプレス,2019年)を刊行。主要著作に,『自分を信じることから「立ち直る」――向き不向きよりも前向きに』(セルバ出版,2018年),『当事者が支援する―薬物依存からの回復 ダルクの日々パート2』(春風社,2018年,共編),「ダルクにおける薬物依存からの回復に関する社会学的考察―『今日一日』に焦点をおいて」(『福祉社会学研究』10: 148-170,2013年),「薬物依存からの『回復』と『仲間』―ダルクにおける生活を通した『欲求』の解消」(『年報社会学論集』29: 92-103,2016年,共著),「更生保護施設在所者の『更生』――『更生』における自己責任の内面化」(『ソシオロジ』62(1): 115-131,2017年)など。

はじめに

拙書である『薬物依存からの「回復」――ダルクにおけるフィールドワークを通じた社会学的研究』((1)以下,『薬物依存からの「回復」』)は2019年12月20日に刊行された。その頃,芸能人の違法薬物使用に関する報道が流れていた。この記事をお読みのみなさんも感じていると思われるが,定期的にそのような報道は流れている。そして,そのような報道では,薬物を使用した個人の人間性やその人生を全否定するものが目立っていた。しかし,最近では薬物依存を病気と捉え,その治療法について,その「回復」について検討する報道も見られるようになった。薬物依存者をめぐる状況が,本当に少しずつであるが,変化しているようにも思える。

私は薬物依存からの「回復」に対して,ダルクをフィールドにして,社会学の視点から研究を進めてきた。『薬物依存からの「回復」』は薬物事犯という犯罪の研究,薬物依存症という病気の研究というよりも,薬物依存者として生きていくことに焦点を合わせた研究の結果をまとめたものである。そして,薬物依存からの「回復」という視点を通じて,我々の社会について考察を試みようとしたものである。

なぜダルクの研究を始めたのか

私は,非行および犯罪からの「立ち直り」をテーマにし,研究者としてのキャリアを始めた。大学では社会福祉学を専攻し,とくに更生保護施設(犯罪を起こした人や非行した少年の「立ち直り」を支援する施設)について関心をもっていた。実際に更生保護施設でソーシャルワーク実習を行ったのだが,その中で精神科クリニックやホームレス支援機関など,多岐にわたる関連機関についても学んだ。その実習を通じて,犯罪を起こした者に対する社会的排除のリアリティを垣間見た。さまざまな理由はあれども,人が生きていくのに必死になってしまう環境に追い込まれる様を見て,心のどこかにモヤモヤを抱えることになった。このモヤモヤを解消すること,それが大学院進学の理由の1つとなった。

修士課程から社会学を専攻し,更生保護施設に実際に勤めながらフィールドワークを行い,研究を進めていた。そのフィールドワークを通じて,薬物関係の犯罪を繰り返し起こした人々に多く出会った。そして,その人たちとの交流を通じて,薬物依存者に対する社会からの排除の圧力を感じていた。そのため,「立ち直り」について考えていくうえでは,薬物犯罪について,薬物依存からの「回復」について調べることが必要になるだろうと考えた。そして,博士課程からは更生保護施設に関する研究と並行してダルクに関する研究を行うことを決め,『薬物依存からの「回復」』におけるフィールドとなったXダルクを訪問した。

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ダルクとは

ダルク(DARC)とは,「Drug Addiction Rehabilitation Center」の略で,薬物依存者のためのリハビリテーションを行う民間施設である。ダルクには通所と入所という2つの利用方法があるが,ほとんどのダルクが入寮施設を有しおり,薬物依存者のための生活の場となっている。また,大多数のスタッフが薬物依存からの「回復」の経験を有しており,セルフヘルプ・グループとしての特徴ももっている。1985年に東京・日暮里に第1号の施設が開設され,いまでは全国に広がっている。ダルクでは,覚せい剤などの違法薬物への依存者だけでなく,アルコールや市販薬など,多様な薬物への依存者も受け入れている。わが国では欧米諸国に比べ,「回復」を目指す薬物依存者の受け皿となる社会内の資源が少ない。そのなかでダルクは,薬物依存者の「回復」に関する制度が作られる以前から,社会内の多様な薬物依存者の「回復」を支援する貴重な場となってきた。

ダルクでは,依存薬物を止めることを「回復」と定義していない。「人生の問題がなくなることではなく,人生の問題に正面から向き合うことが出来るようになること」(2)を「回復」としている。つまり,ダルクにおける「回復」とは,薬物依存になったために破たんした人生からの脱出,新たな人生の再構成を意味するものである。このような背景のもとに,ダルクにおける薬物依存からの「回復」のためのプログラムは構成されている。

ダルクの支援プログラムは,薬物依存者の自助組織であるNA(Narcotics Anonymous)において定められている「回復」に向けた指針の1つである12ステップをもとにしたミーティングを中心に構成されている。 そのミーティングは,「言いっぱなし,聞きっぱなし」と表現される。つまり,そのミーティングではその参加者が自身を語るだけ語り,聴き手はそれに対して意見を出さずに,その経験を分かち合う場が目指されている。ダルクメンバーは午前・昼はダルク内でミーティングを行い,夜は地域のNAに参加することが多い。また,ミーティング以外にもスポーツなどのレクリエーションプログラム,退所後の住居設定などのアフターケア,個別カウンセリング,医療機関や就労支援機関との連携による支援,地域のボランティア活動への参加などのプログラムも存在する.

ダルクメンバーの「回復」については,『薬物依存からの「回復」』において詳細に検討されている。また,付録として4人のダルクメンバーのライフストーリーも掲載している。少しでも気になった方がいれば,ぜひ手にとって確認してほしい。

Xダルクで感じたこと

話を戻そう。Xダルクに関する事前情報を得ていたものの,具体的なイメージもつかめずに訪問の日を迎えた。その時の記憶はおぼろげだが,ミーティングに参加し,事務所でスタッフの方から説明を受けたと思う。しかし,ダルクに対する印象は覚えており,それは個人的にはとても心地のよい場所であった。もちろん,ダルクの一側面しか見ていなかったが,とても楽になれる場所だと感じていた。そのように感じたのはなぜなのか,その理由を知りたいと素直に思った。そして,「回復」という用語自体は事前に知っていたが,その意味を考えてみたいと思えた。

そのタイミングで,東京大学大学院の教育社会学を専攻する有志によって始められた非行研究会において,更生保護施設に関するフィールドワークの結果をまとめた修士論文に関する報告を行った。そこに参加されていた方々に,ダルクに関する共同研究のお誘いを受けた。2011年1月頃と記憶しているが,本当にタイミングが良く,この出会いには感謝している。そして,早9年が過ぎるが,いまもダルクでの研究を続けている。

「自分でどうにかして生きていく」ことだけではなく,「何かによって生かされている」ことも可能な社会のあり方

このように私がダルクをフィールドにして,薬物依存からの「回復」について研究を始めるようになったのは,偶然が積み重なった結果ともいえる。しかし,この研究を継続してきたのは,研究に向かう根本的動機に合ったものであったからだろう。「立ち直り」もそうなのだが,「回復」という言葉に私が関心を寄せたのは,これまで自分がどこか重荷のようなものを抱えて生きているような気がしており,そこから解放されたいと考えていたこともあろう。そのヒントをダルクから見出せそうな気がしたからだ。そして,研究を重ねるにつれて,そのような生きづらさを抱えているのは私だけではなく,社会的なものなのだと気づいた。そこで犯罪社会学,福祉社会学,医療社会学の観点から薬物依存からの「回復」について考察することを通じて,そのような生きづらさからの解放のヒントを考え出そうとして,『薬物依存からの「回復」』につながる研究を続けてきた。

今後のダルクに対する研究の方向性については,いま検討している。『薬物依存からの「回復」』で得られた知見,つまり「自分でどうにかして生きていく」ことだけではなく,「何かによって生かされている」ことも可能な社会のあり方について検討していくことが今後の課題である。その上で,社会における「避難所」とも表現できるアジール概念に着目している。ダルクは薬物依存者にとってのアジール,薬物依存について誰からも責められず,何かに身を委ねながら,無条件に安心・安全に居られた場所になりえるのだろう(3)

最近,恩師から本書に対する感想とともに,社会学者のA. メルッチ氏の著書からの下記の引用をいただいた。そこで書かれているように「ただ存在するという理由のみによって静かに尊重されるようなテリトリー」は現代社会にとって必要であろう。そのようなテリトリー,いわばアジールが産まれる片鱗をダルクのフィールドワークを通じて,私は垣間見ている。その片鱗をいかに記述できるのか,それは今後の大きな課題となっている。その課題の検討を通じて,これらかの社会構想について考えていきたい。

人類は,地球に住むことの責任/応答力,そして種を破滅に導くような生産物に対して,絶対に侵犯してはならぬ境界を定めるという責任/応答力を引き受けねばならない。人間の文化は,存在しているものは何であれ,ただ存在するという理由のみによって静かに尊重されるようなテリトリーを,今一度確保すべきである。どのような人間社会も,そのような領域をそれぞれ独自の仕方で認めてきた。今や,自らを創造する力と破壊する力をも獲得した社会は,そのようなテリトリーを自ら定義し直さなければならない。惑星地球における生は,もはや神の秩序によって保証されてはいない。今やそれは,私たちすべての脆く心許ない手に委ねられているのだ。

(4)強調は筆者による)

文献・注

(1) 相良翔,2019,『薬物依存からの「回復」――ダルクにおけるフィールドワークを通じた社会学的研究』ちとせプレス.

(2) 東京ダルク支援センター編,2010,『「JUST FOR TODAY(今日一日)」――薬物依存からの回復』東京ダルク支援センター.

(3) 相良翔,近刊,「ダルクに関する社会学的研究の意義――アジール概念を通じた検討の可能性」石塚伸一編著,『新時代の犯罪学――共生の時代における合理的刑事政策を求めて』日本評論社.

(4) Melucci, A., 1996, The Playing Self: Person and Meaning in the Planetary Society, Cambridge University Press.(=2008,新原道信・長谷川啓介・鈴木鉄忠訳『プレイング・セルフ――惑星社会における人間と意味』ハーベスト社.)

民間リハビリテーション施設「ダルク」におけるフィールドワークを通じて,薬物依存からの「回復」のプロセスとその意味内容を記述し,社会学的に考察。「自分でどうにかして生きていく」ことだけではなく,「何かによって生かされている」ことも可能な社会のあり方とは。


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