社会は心の健康にどう取り組むべきか?(4)

『心理療法がひらく未来』監訳者あとがきより

9 日本でのIAPTに向けて――本当にIAPTが必要なのは日本

IAPTについては多くの先進国が関心をもっており、第12章の冒頭で述べられているように、ノルウェーやスウェーデンではIAPTを改訂して実施している。

考えてみれば、IAPTのような政策が本当に必要なのは日本なのではなかろうか。本書の第3章の図3-4をご覧いただきたい。驚くべきことに、先進国のなかで、自殺率が飛び抜けて高いのは日本である。1998年から日本は自殺者3万人時代に突入した。2010年には、厚生労働省がうつ病や自殺による日本の経済的損失額は年間約2・7兆円に上ると発表した。

日本でこそIAPTが実施されるべきである。実現のためには、これまで述べてきたように、認知行動療法、エビデンスにもとづく実践、認知行動療法を実施できる公認心理師の養成システムなどのインフラ整備が不可欠となる。現状ではまだハードルは高いが、そうした方向に動き出していることは確かである。

IAPTに向けて重要なのは、認知行動療法の診療報酬である。うつ病や不安障害に対する認知行動療法が健康保険でおこなわれるようになったが、しかし、それは医師や看護師がおこなった場合に限られている。多忙な医師や看護師が、時間のかかる認知行動療法を実施するのは、現実には難しい。心理療法の専門家である心理士がおこなっても保険がきかないので、自費診療となる。前述のように、心理士がおこなう認知行動療法に効果があるというエビデンスはたくさんあるにもかかわらず、報酬がない。これは「エビデンスにもとづく健康政策」の理念に反する不合理な状況である。認知行動療法を国民に無料で提供したイギリスとは何と大きな差だろうか。日本の心理士は、イギリスの臨床心理士をお手本にして、エビデンスを実証し、政策立案者に対して情報発信すべきである。そうしなければ、心理士は生き残れないだろう。こうした不合理な状況になっているおもな理由は、これまで心理士が国家資格ではなかったことによる。医師や看護師は国家資格だったので診療報酬化できた。したがって、国家資格ができたいま、公認心理師がおこなう認知行動療法の診療報酬化が強く望まれる。それは日本でのIAPT実現に向けた第一歩となるだろう。

最後に

筆者はIAPTについて、いろいろな機会を利用して紹介しようと努めてきた。IAPTの全貌を解説した本書がクラークから送られてきたとき、ぜひとも翻訳したいと思った。ちとせプレスの櫻井堂雄さんにこのことを話して、出版できることになった。本書によって、IAPTの精神が少しでも理解され、日本でもIAPTが実現することを願うものである。

(1) Course Accreditation Process for the IAPT High Intensity Workers Training Courses.

9784908736056

リチャード・レイヤード・デイヴィッド・M. クラーク著,丹野義彦監訳
ちとせプレス (2017/7/31)

社会は心の健康にどう取り組むべきか。精神疾患に苦しむあらゆる人が適切な心理療法を受けることができれば,人生や社会はもっとよくなり,国の財政も改善する。心理療法アクセス改善政策(IAPT)でタッグを組んだ経済学者と臨床心理学者が,イギリス全土で巻き起こった幸福改革の全貌を明らかにする。


1 2 3
執筆: