社会は心の健康にどう取り組むべきか?(1)
『心理療法がひらく未来』監訳者あとがきより
Posted by Chitose Press | On 2017年08月02日 | In サイナビ!, 連載3 クラークと不安障害の臨床心理学
3・1 不安障害の認知行動療法の開発者
デイヴィッド・クラークは、イギリスを代表する臨床心理学者で、不安障害に対する認知行動療法の開発者として知られる。クラークは、1954年に生まれ、オックスフォード大学で実験心理学科を専攻し、心理学の博士号をとった後、ロンドン大学の精神医学研究所で臨床心理士の資格をとった。1983年からオックスフォード大学の精神科で臨床心理士として不安障害の研究をおこない、教授となった。夫人のアンケ・エーラーズは外傷後ストレス障害の認知行動療法で知られ、同じくオックスフォード大学教授を務めた。クラーク夫妻は、ポール・サルコフスキス(現バース大学教授)、エイドリアン・ウェルズ(現マンチェスター大学教授)といった臨床心理学者とともに不安障害研究グループをつくり、パニック障害、強迫性障害、社交不安障害、外傷後ストレス障害などの不安障害に対する認知行動療法を開発した。そのメカニズムや成果については、第9章第4~6節と第10章第2節で述べられている。
クラークの功績は、心理療法(認知行動療法)を科学にまで高めた点にある。それまでは、心理療法というと、精神分析療法に代表されるように、芸術文化や宗教に近いものであって、科学とは無縁だと思われてきた。これに対し、クラークは心理療法の心理学的メカニズムや治療効果について、客観的なデータを積み重ねて、実証的な科学にまで高めた。こうした活動がIAPTに結実したといえる。クラークは、1996年にアメリカ行動療法学会が選んだ「1974年からの20年でこの分野のもっとも生産的だったトップ50人の研究者」のなかに選ばれた。
2000年に、クラークはロンドン大学の精神医学研究所の心理学科長として招かれ、夫人やオックスフォード大学の不安障害研究グループとともにロンドンに異動した。
3・2 クラークの人柄について
筆者は2002年に精神医学研究所に留学したが、心理学科長のクラークとしばしば話す機会があった。世界的に活躍するイメージとは違って、日常生活では落ち着いたシャイな人柄であり、話し方も朴訥で、相手に気を使いながら話す。とても尊敬すべき人柄である。2006年に、筆者が会長を務めた日本認知療法学会(東京大学駒場キャンパスで開催)で、外国人ゲストとしてクラーク夫妻を招待することができた。このときのワークショップと講演は、『対人恐怖とPTSDへの認知行動療法――ワークショップで身につける治療技法』(D. M. クラーク、A. エーラーズ著、丹野義彦編・監訳、星和書店、2008年)にまとめられた。また、クラークの研究や臨床については、筆者の『認知行動アプローチと臨床心理学――イギリスに学んだこと』(丹野義彦、金剛出版、2006年)や、『ロンドン こころの臨床ツアー』(丹野義彦、星和書店、2008年)でもくわしく紹介している。
邦訳されたクラークの著書には、『認知行動療法の科学と実践』(C. G. フェアバーンとの共編、伊豫雅臣監訳、星和書店、2003年)がある。また、アメリカ心理学会心理療法ビデオ・シリーズ日本語版(S. マーフィ重松監修)として『パニック障害に対する認知療法』(日本心理療法研究所)が発売されている。このDVDでは、実際の治療をもとに、役者が患者の役割を演じ、クラークが普段のままの姿でセラピーに臨んでおり、クラークの人柄が伝わってくる。筆者は講義でこのDVDを学生に見せている。
2008年に、筆者が編集委員長として日本認知療法学会の学会誌『認知療法研究』を創刊したときには、クラークは祝辞の文章を送ってくれた。このときのメールに、現在IAPTの仕事に忙殺されているとあった。IAPTの規模の大きさに、筆者ははじめほとんど信じられない思いをしたものである。
なお、IAPTが軌道に乗った2011年に、クラークはロンドン大学から古巣のオックスフォード大学に戻った。クラークはもともと、喧噪のロンドンよりも、静かなオックスフォードの研究環境を好んでいたが、IAPTが一段落したことで、戻る決断をしたようである。
2016年には、クラークはストックホルムのカロリンスカ研究所で「ストックホルム精神医学講演」をおこなった。この講演は、毎年のノーベル医学生理学賞が発表され受賞記念講演が開かれるノーベル・フォーラムという建物でおこなわれた。タイトルは「効果的な心理療法を発展・普及させる(IAPT物語)」というもので、この講演はYouTubeで公開されている[★2]。
注
★1 「欧州の安心 心を癒す 上:イギリス 心の病は国の損失 希望者全員に心理療法」『朝日新聞』2009年11月17日朝刊29面。
★2 David Clark: Developing and disseminating effective psychological treatments (the IAPT story). (YouTube)
(→第2回に続く)
社会は心の健康にどう取り組むべきか。精神疾患に苦しむあらゆる人が適切な心理療法を受けることができれば,人生や社会はもっとよくなり,国の財政も改善する。心理療法アクセス改善政策(IAPT)でタッグを組んだ経済学者と臨床心理学者が,イギリス全土で巻き起こった幸福改革の全貌を明らかにする。