〈がん〉とともに,生きる

がんサバイバーシップ運動の原点をたどる

がんに対する治療は,以前に比べて大きく進展した。がんの治療に成功し,日常の生活に戻っていく人――「がんサバイバー」――も増えている。では,がんサバイバーはどのような生活を送り,どのような支援を必要とするのだろうか。

アメリカにおいてがんサバイバーシップ運動を精力的に進めてきたフィッツヒュー・モラン医師もまた,がんサバイバーである。

2017年6月23,24日にパシフィコ横浜で開催された日本緩和医療学会学術大会(1)にモラン医師が招かれ,「がんサバイバーシップの原点を語る」の講演が催された。講演後の質疑応答には,医師や看護師を始めとする医療関係者のほか,当事者の方も感想を述べられ,活発なやりとりが行われた。緩和医療の現場において,サバイバーシップへの関心の高さがうかがわれた。

モラン医師の闘病

フィッツヒュー・モラン医師は41年前,32歳のときに自身の胸部レントゲン写真の中に「影」を見つけた。本来はそこにあるはずのないものだった。

妻と小さい娘とのなごやかに過ごし,小児科医として充実した仕事をこなす生活に突然,暗雲が立ち込めた。

腫瘍と見られた組織の生検をするため,手術が行われたのだが,さらに予想もしないことが起きる。組織が血管に食い込んでいたために大量の出血が生じ,急遽大きく開胸手術をおこなうこととなった。

化学療法や放射線療法,そして長く苦しい闘病生活を経て,モラン医師はなんとか,がんを食い止めることができた。しかし,がんはおさまったものの,治療の影響や後遺症が心身に残り,再発への不安に悩まされ,仕事,生活,家族関係,そして自分を新しく再構築していく必要が生じた。

長期間を入院病棟で過ごし,退院後も地域のがんの患者の集まりにも参加したモラン医師は,多くのがん患者やがんサバイバーが,自身のことをどのように語り,どのように行動するのかをつぶさに見ることとなった。絶望の淵にある人もいれば,たんたんと日々を過ごす人,生活の中に楽しみを見出す人。また,それを支える医療関係者や家族。

がんサバイバーにとって,医学的な治療だけが問題なのではないとモラン医師は思いいたった。その時々で彩りの異なる心理,社会,スピリチュアルの課題を抱えながら,急性期,延長期,長期安定期といったサバイバーシップの季節を行きつ戻りつしながら,〈がん〉とともに生きていくことになるのである。

がんサバイバーシップ運動

最初の診断から7年後,モラン医師は『がんサバイバー』(2)(原題Vital Signs)を刊行した。『がんサバイバー』はニューヨークタイムスやニュースウィークに書評も掲載され,全米で注目を浴びた。すると,多くの人たちから連絡が届き,講演会や患者会の集まりに誘われるようになった。そこで出会った人たちとともに,モラン医師はその後,サバイバーシップ運動に尽力していくことになる。

全米がんサバイバーシップ連合(National Coalition for Cancer Survivorship)(3)を1986年に立ち上げ,モラン医師は初代会長となった。この団体にはオンコロジストや看護師のほか,がんサバイバーも多数参加した。当時は白人がほとんどだったが,いまはダイバーシティがあるとのことである。がんサバイバーシップの概念を広く知らしめ,よりよい医療や支援が提供されることを求めている。

また,1996年にはアメリカの国立衛生研究所(NIH)ががんサバイバーシップのためのオフィスを開いた(4)。サバイバーシップ研究がさらに進展することになる。

2005年には全米アカデミーのアメリカ医学研究所と全米研究評議会が,「がん患者からがんサバイバーへ――変革の中で忘れられた存在」(”From cancer patient to cancer survivor: Lost in transition”)と題されたレポートを出した(5)。がんサバイバーへの注目はどんどんと高まっていった。

サバイバーシップ運動を組織化するにあたり,いくつかのポイントがあったという。まず,公民権運動の中でも,スティグマのからむ医学的な問題ということで,HIV運動からの学びが大きかったという。活動が知られることで,多くの当事者が公表しやすく,そして支援を得やすくなる。そして活動には資金が必要だ。当事者や患者から多くの資金を得ることは難しい。製薬会社から金銭的援助を得ることもあるが,発言が妨げられることがあってはいけない。製品のPRはしないなど,いくつかの方針を定める必要もあった。

また,さまざまな提言を実際の政策に結びつけていくことも重要だ。地方政府は身近な存在でやりとりがしやすいが,より広い展開を考えれば国家を相手にする必要もある。さらに,特定のがんのグループと,別のがんのグループとの意見が衝突する場面もある。

そうしたさまざまな課題がありつつも,サバイバーシップ運動は前進し,1つひとつ成果を挙げていく。サバイバーシップの目標を達成するためにも,医療システムがよりよく変革されるいく必要がある。すべてのサバイバーがサバイバーシップケアプランをもつようになり,治療後にも支援が得られる必要がある。患者中心のケアをもっと推進し,患者の意思をもっと尊重しなくてはいけない。化学療法や放射線療法はどの段階まで必要なのか。緩和ケアは今後ますます重要になるとモラン医師は言う。

多くのサバイバーは,がんを経験することで,人生が変わって見えるようになったという。「赤は,ますます赤く」。望みもしないのに死の淵に立つことになり,命の美しさがより鮮明になる。モダン医師は,講演の最後を次の言葉で締めくくった。

「Stop worrying about the problems in the road and celebrate the journey.」(「道路の道なんか気にしないで,旅を楽しむことだよ」)

文献・注

(1) 第22回日本緩和医療学術大会のウェブサイト

(2) フィッツヒュー・モラン(改田明子訳,小森康永解説) (2017).『がんサバイバー――ある若手医師のがん闘病記』ちとせプレス(原著は1983年刊行)

(3) 全米がんサバイバーシップ連合(National Coalition for Cancer Survivorship)のウェブサイト

(4) アメリカの国立衛生研究所(NIH)がんサバイバーシップ・オフィスのウェブサイト

(5) National Research Council; Institute of Medicine (2006). From cancer patient to cancer survivor: Lost in transition.