あなたは障害者をどう思いますか?――身近な問題としての偏見や差別(1)

社会に,障害者への偏見や差別はあると思いますか? あなたは障害者のことをどう思いますか? 三重大学の栗田季佳講師が身近な問題としての偏見や差別の問題を考えます。第1回は障害や差別の問題が私たちの身のまわりにどのように存在するのかを取り上げます。(編集部)

Author_KuritaTokika栗田季佳(くりた・ときか):三重大学教育学部講師。主要著作・論文に,『見えない偏見の科学――心に潜む障害者への偏見を可視化する』(京都大学出版会,2015年),『対立を乗り越える心と実践』(大学出版部協会,近刊),「『障がい者』表記が身体障害者に対する態度に及ぼす効果――接触経験との関連から」(『教育心理学研究』58(2), 129-139,2010年,共著) 。→Webサイト

2016年7月26日,社会を震撼させる事件が起きた。神奈川県相模原市の障害者入所施設に元職員が侵入し,19人の利用者が殺害された。いまだ全容は明らかとなっていないため,どのような状態で,どのような理由で犯行に及んだのか不明なところもあるが,「障害者はいなくなればいい」というはっきりと表明された差別的な思想に多くの人が反応した。

3カ月ほど経った現在,私たちはあの事件と,障害をめぐる問題と,どのように向き合っているのだろうか。事件そのものは,前代未聞かもしれない。しかし,すべての物事はつながりの中で生じる。私たちは実行犯ではないが,いまだ障害者差別の存在する同じ社会に生きている。私たちと相模原事件は,直接ではなくとも,差別という糸でつながっている。

本連載は,相模原事件を解釈したり追求したりするものではなく,私たちの障害者に対する偏見や差別に関わる心理に目を向ける。今回は具体的な調査や実験を紹介する前に,障害や差別の問題が私たちの身のまわりにどのように存在するのかを考えていきたい。

自分の身のまわりの差別に気づく

「障害者 」(1)を思い浮かべ,その1日を想像してほしい。朝,どこでどのような状況で目を覚ますだろうか。昼間は何をして過ごしているだろうか。誰と一緒にいるだろうか。どんな姿で,何を食べ,何を考え,どのような生活をしているだろうか。

そして,あなたはその生活をどのように感じるだろうか?

いまの日本の社会には,障害者を支援するさまざまなセンターや制度が数多く整備されており,専門的な支援を行う人材育成,支援技術の開発にも力が入れられている。障害に関するさまざまな情報提供も行われており,障害者に向けたものだけでなく,健常者に向けた理解・啓発も行われる。教育や福祉は整ってきており,ずっと昔に比べると障害者は暮らしやすくなっているようにも感じる。

しかし少しひねくれて考えてみると……なぜ他と同じ場ではないのだろうか?

物理的なバリアや偏見・差別的言動がより露骨であった昔も,大きく環境が変化している現代も,障害の有無によって分けられた社会がある。意識の上からも制度設計上も障害者は「私たち」という集団から除外され,学校,働く場所,住む場所,人間関係など社会の至るところで障害者は拒否され,他人事として,家族に過剰な負担を背負わせてきた。そして,排除や隔離が問題視され,てこ入れされたときも,障害者を含めた「私たち」へと社会が再構成されることなく,別の社会がつくられた。

例えば,教育において,学校が制度化された際,障害のある子どもは対象とされておらず,障害のある子どもは学校へ通えなかった。その後,障害のある子どもの教育が保障されたが,地域の学校への就学ではなく,障害のある子どもだけが通う盲・聾・養護学校(いまの特別支援学校)であった。いまもその体制は尾をひいている。

振り返ってみて,みなさんは同級生に障害のある子がどのくらいいただろうか。障害のある児童・生徒数は30万人にのぼる。子どもの数がおおよそ1000万人いることを考えると,3%は障害のある子どもたちだ。とすると,単純に考えれば,30人程度の学級に1人ぐらいはいてもおかしくない。しかし,小・中学校時代に出会った障害のある子は,筆者の知る範囲でも,数人しかいなかった。けれど,もしかしたら,地域に障害のある同じくらいの年の子がもっといたのかもしれない。今日も「○○支援学校」と書かれたバスを朝早く家の近くで見かけた。スモークガラスがかかっていたので,中に子どもがいたかどうかわからないが。

障害者と関わる人たちは少し範囲が広がったが,依然として福祉や教育の一部に限られている。


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