社会心理学の学際性とは(4)
Posted by Chitose Press | On 2016年09月12日 | In サイナビ!, 連載若い研究者へのメッセージ
――最後に若い研究者へのメッセージを伺えますでしょうか。
木下:
一緒に楽しく遊ぼう,ということかな。遊びといっても知的な意味ですけれどね。
三浦:
私も遊ぶ仲間を常に探してます。でも,いまの若い人は忙しそうでついつい遠慮しちゃいますね。かれら,私よりずっと遊ぶ暇がなさそうなんですよ。
木下:
そうかもしれないね。でもそれは学生の責任ではなくて,そんな制度を作った学校側の責任と違いますか。最近は若い人の就職も非常勤が多くて,常勤ではなかなか採用してもらえないでしょう。常勤の場合でも5年とか7年とか期限付きですし。そうすると5年や7年の間にまたどこかに転勤しなければいけないので,そのためには論文が必要になる。といって論文を1カ月やそこらでぽんぽんとは出せないからね。頑張っても1年に1本とか,5年で2,3本くらいでしょう。だとすれば,授業や学校の雑務とかもあるので,構想を練って大論文を書くことは難しい。結果として,小さく手近で,論文になりやすいテーマで論文を書くことになるんです。でもそれは制度上の欠陥ではないですか。
昔,自分の学生を指導する際には2本立てでやれと言いました。1本はオリジナルな大論文で,もう1本は数を増やすための論文です。その意味を結婚の仕度にたとえますと,結婚にはある程度の嫁入り道具が必要です。そのうち,総桐のタンスのような大物は1つあればよいがそれは私も面倒を見よう。しかし残る小物は自分でまかなえと。それは大先生の書かれた先行論文の追試程度のものでもよい。とにかく数を稼げと。でもそれは俺は面倒は見ないよと言う訳です。
それにもう1つ。若い頃にはたくさん人の論文を読め。しかし,ある程度自分のテーマができたときには人の論文を読むなと言いました。読むとしても先に自分で考えたうえで,ほかの論文を読んでみろと。
――論文を読みすぎてもよくないわけですね。
木下:
読むのはよいが読まれてはいけないという意味ですね。若いときは自分自身の中身がないので,何を読んでも立派な論文に見えるし,自分が何をやってもその論文を超えられないと誤解するんです。でもそれを乗り越えるにはある程度実力がついてこないといけないので,若いうちはやはり人の論文をたくさん読んで力を蓄える必要がある。
しかしいつまでもそのスタイルを続ければオリジナルな研究はできません。そこである程度力がついてくれば逆に人の本や論文を読むのをやめて,まず自分で考えてみる必要があるということです。
最後に若い研究者への助言を1つ。それはチャレンジング精神を忘れずにということでしょうか。地位とか職というものは小さな個人的な欲望で,それは誰しもありますけれども,それよりも若い人には冒険してほしいと思います。既成の理論や研究にこだわらずにやっていれば,面白いことができますよ。学際研究もその1つです。その代わり大失敗して消えてしまうリスクもありますけれどもね。そのリスクをどのようにコントロールして減らしながらやっていくかということです。リスクを恐れて何もしなければ,保守的な安全運転でしかないわけです。そこに学問の進歩はないということではないですか。
→日本社会心理学会第57回大会(2016年9月17~18日,関西学院大学にて開催)