パーソナリティのそもそも論をしよう(2)

渡邊:そこでも,訓練士が判断する対人性や適性は広い意味でのパーソナリティでしょう。先ほど,目的に応じてパーソナリティの概念が独立変数になったり従属変数になったりするという話をしましたが,それだけじゃなくてパーソナリティの変数がどのように測定され,把握されるかということも研究の目的によっていくらでも変わってしまう。そのことにおそらく多くの人は違和感をもっていない。

われわれ世代だと,そこでまたそもそも論を考えてしまう。そもそもパーソナリティって何よ,と。どんな立場をとるにしてもパーソナリティの定義はできると思っていて,「ある程度一貫して見られる行動の個人的な特徴」が,最大公約数的なところでしょう。問題はその「ある程度」なんですが。パーソナリティは変えられるものだと考えるときの「ある程度」は,またいつ変わってもよいわけです。ある程度をどのくらいのスパンで見るのか。パーソナリティをとらえる立場によって,「変わる」とか「変わらない」ということの意味も変わってしまう。何を「変わる」というのか,何を「変わらない」というのか。

詫摩:盲導犬の話が出て興味深く聞いたのですが,私はイヌを飼ったことがないのですが,国際的には同じような訓練をやっているんでしょうか。

詫摩武俊(たくま・たけとし)。東京都立大学名誉教授,東京国際大学名誉教授。日本性格心理学会(現,日本パーソナリティ心理学会)初代理事長。

渡邊:おおよそ同じものです。団体ごとのやり方もありますので,標準化されているわけではありませんけれども。全部の団体ではないかもしれませんが,日本の盲導犬の訓練は基本的には輸入されたもので,かけ声も英語でやりますし,盲導犬を使う視覚障害者の方も英語で号令をかけないといけないようです。

詫摩:去勢をするという話がありましが,おとなしくなるということだけでなくて,他の面でイヌのパーソナリティが変わることはあるんですか。

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渡邊:おとなしくなるというのは聞きます。去勢する一番大きな理由は発情期のときの世話が面倒になるからだそうです。オスでもメスでも。なので,かわいそうなものなんです。

社会の要請と心理学研究

小塩:先ほど,盲導犬のところでおっしゃった予測ですが,予測は最近,非認知特性として注目されています。シカゴ大学の経済学部のヘックマン(1)が言い出したことで,知能に代表されるような認知的な特性は社会的な予測力はある程度昔から確認されてきていますが,それに加えて,非認知的な特性も同じぐらい予測力があるという話になってきている。ミシェルだとマシュマロ・テストですよね(2)。自己制御だとか。

渡邊:ミシェルは最近はそっちで注目されているよね。

小塩:そういったものも,将来を予測するからということで,重視されるわけです。自己制御であったり楽観性であったり幸福感であったり。そういった特性は社会を生きていくうえでプラスに働く特性であると。だから知能と同じように,学校で伸ばす教育をしなければとか,そこに社会的な投資をするとか学校教育で対処するとか,そうすると親子関係がどうで,みたいな話になってきています。そういった概念の有効性が,社会において予測力があるということが1つの根拠になっているような気がします。

渡邊:先生も言いかけたことだと思いますが,知能に予測力があるとして,それが何なのかということですよね。それにはどういう意味があるのか。あるいは非認知特性に予測力があるとして,例えばそれで人間の幸福が決まるとして。それは何に使うのか,ということなんですよね。そこからはイデオロギーの話になっていく。

小塩:そうですね。

渡邊:こういう問題って,逆に考えるとわかりやすいところがあると思うんです。こうでこうだからこう,と説明されているものが,本当は最後の方が先で,こうやりたいからこうで,だからこう,という感じがしています。そのあたりも遺伝か環境かの大きな流れと結びついているんだろうなという感じがします。社会的要請が先にあって,そのことは全然悪いことではないのですが,現場の研究者が社会的要請を意外と認識していないんじゃないかと思うときがある。自分がやっているこの研究がどういうふうに社会で活用されるのかなというイメージ。その中にはあまり明るい未来ではないものも含まれている。そういうことを考えることが,こういう変化が大きい時期にはすごく大事かなと思います。何で予測したいのかなあ,ということですよね。

小塩:学生の卒業論文を見ていてよくそう思います。すぐに親子関係でこういう養育だからこういう性格になる,という研究をすごくしたがるんですが,それが出てどうするの,と。こうなっちゃった人に対してどうするのかとか,過去はさかのぼれないじゃないかとか思うんですけれど。

渡邊:それも後づけの説明の役割がきっとあるんですよね。卒業研究くらいだと,自分の個人的な成育歴や興味がテーマ選びには反映されるじゃないですか。そういう目的であれば,それはそれでいいんですが,もうちょっとちゃんとしたサイエンスと言われるような研究として行われて,かつそれが論文として発表されたときにそれがどこに行くのか,というのはけっこう気になります。そのことと,遺伝指標がすごく便利に使われるようになったときに何を考えるべきかということは,ある種の政治的な問題として気になります。私たちの頃は心理学者が研究成果から何らかの政治に関わるような提言や発言をしたりすることはあまりありませんでした。むしろ,やめなさいと言われる感じがありました。それがこの十何年かで変わってきている感じがします。

パーソナリティ心理学と価値

渡邊:印象に残っていることがあります。立命館大学で佐藤達哉がやっている生存学という研究プロジェクトがあって,筋委縮症だとかそういった命に直接影響するような障害をもっている方々がどのように生存していくか,それをどうサポートできるか,を大きな研究テーマにしています。その研究会に一度参加させてもらっていろいろな議論をしていたときに,佐藤達哉が「この研究テーマは正義を主張してよい」と言っていました。障害をもった人たちが,少しでもQOLを上げて,幸せに暮らしていけるようにする研究をするんだと。QOLを上げることは,あるいは障害と一緒に暮らしていける年数を長くすることはいいことで,いいことを実現することを目指してよい。科学研究が価値を主張してはいけないということを言っている場合じゃないと。

最近のポジティブ心理学のようなアプローチでも,はっきりと「ポジティブ」ということをいうわけじゃないですか。ポジティブ心理学が扱うテーマはただ単にポジティブな状態にあることではなくて,ポジティブになるための力のあるものは何かが中心でしょう。先ほど先生が言っていた予測の話と結びついてくるわけです。

小塩:そうですね。僕が院生のときはパーソナリティ概念は価値を伴わない,価値から離れた中立なものとして教えてもらったような気がします。

渡邊:私たちがミシェルのPersonality and assessmentという本を訳したときに,Assessmentという言葉を何と訳すか,すごく困った。personality assessmentは「人格評価」と訳されますが,「評価」って良し悪しを指すじゃないですか。大学院入試の勉強や大学院で臨床心理学などの他の分野の勉強するなかで,assessmentは良し悪しではないと,そのときはごく普通に思っていました。personality assessmentは良い悪いを判断するのではなく,パーソナリティの姿を価値を抜きにして表すものだと思い,われわれは「測査」という言葉にしました。『パーソナリティの理論』というタイトルで誠信書房から刊行されましたが,この本の中ではassessmentは「測査」と訳されています。

これははやらなかったですね。2,3年の間は堀毛一也先生(3)とか何人かの先生が「測査」という言葉を使ってくださったんですけれど,結局定着はしませんでした。しかし,そのときになぜそのことに悩んだかというと,パーソナリティを測るときに,良いパーソナリティとか悪いパーソナリティと言ってはいけないと思っていました。それが1990年前後の様子です。一方,いまは1つにはポジティブ心理学があります。


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