尊敬されるリーダー、恐がられるリーダー――影響力と社会的地位の2つの形(3)
影響力の源はアメかムチか? それとも「アメとムチ」か?
Posted by Chitose Press | On 2015年11月30日 | In サイナビ!, 連載地位動機に男女差はあるのか?
地位を求める傾向というと男性の方が女性よりも高そうな印象があります。ところが、研究者の意見はなんとこの点で一致していないのです。ホーリーはこの問題についても一家言をもっています(3)。
ホーリーはこの問題を扱かった論文に「アルファオスという神話」というタイトルをつけています。アルファオスとは群れで一位のオスのことです。アルファという用語はメスの群れの中の一位のメスにも使います。ですが、日本語でも「ボスザル」といったらなんとなくオスというイメージがないでしょうか? この群れの一位や、一位をめぐって争うのはオスだけだという先入観は間違っているというのがホーリーの論文のタイトルの意図です。
しかし、生物学的に考えると、メスよりもオスの方が地位をめぐって激しく競い合う理由があります。それは、ライバル同士で子どもの数がどれくらいバラつくかということです。ヒトで考えてみましょう。女性は妊娠や授乳期間があるので、一生のうちに生むことができる子どもの数はおのずと限られてきます。一方、男性にはこのような制約はありません。
歴史上最も多くの子どもを生んだ女性は、18世紀のロシアの農婦で69人の子どもを生んだといわれています(4)。妊娠や授乳期間の制約を考えるとびっくりする数です。一方、最も多くの子どもをもうけた男性として記録に残っているのはモロッコの皇帝ムーレイ・イスマイールです。1つの言い伝えによれば、1703年までに867人の子どもをもうけたそうです(亡くなったのは1727年なので、実際の子どもの数はそれ以上だと思われます)。文字通り女性の多産記録とは桁が違っています。
モロッコの皇帝のように繁殖成功度が抜きんでて高い男性がいるということは、逆に生涯にまったく繁殖の機会をもつこともなく死んでいった男性がたくさんいたということです。ですから、男性の場合は子どもの数が0人から数百人までとても大きくバラつきますが、女性の場合はそれほどではないのです。ヒトを例に説明してきましたが、オスの方が繁殖成功度のバラつきが大きいというのはほとんどの生物にあてはまります(ショウジョウバエでの実験が有名です)。
人類学者のローラ・ベッツィグは、さまざまなデータベースを駆使して、ヒトの社会が狩猟採集の平等な社会から複雑な階層制度を備えた社会へと変化したときに、地位の高い男性がハーレムをつくり適齢期の女性を独占するようになったことを明らかにしています(5)。男性の場合、地位競争に参加しなければ繁殖成功度が0で終わってしまう可能性が高いので、力ずくの地位競争に参加せざるをえないのです。
ホーリーは、目に見える暴力傾向は確かに男の子の方が高いことを認めています。影響力をえるために力に訴える子、つまり強制的方略を使う子は女の子よりも男の子にたくさんいました。ところが、女の子の中にも強制的影響者や二重方略影響者がいて、この子たちは同じグループに分類される男の子たちと行動パターンにあまり違いがなかったのです(ただし、女の子は直接的な暴力の代わりに悪口など間接的な暴力を使うなどの違いももちろんありました)。
このような観察から、ホーリーは地位競争を男性の専売特許と考えるのは間違っていると主張します。ただ、ホーリーの研究結果から、身体的な暴力によって影響力を得ようとする傾向は男の子の方が高いといってもよさそうです。それなのに、なぜ同じという面を強調するのでしょうか。
筆者は、次のように理解しています。ホーリーは子どもの暴力傾向をわけのわからない問題行動とは考えません。むしろ、資源を獲得するための適応として身についた行動傾向が現代社会で問題を生んでいる例だと考えています。そして、正しく理解すれば(わけのわからないものではないので理解が可能なのです)、それを減らすことができると考えているようです。このような立場なので、暴力を男の子だけのものという印象を与えると、現場を混乱させてしまうと危惧しているのではないでしょうか。