尊敬されるリーダー、恐がられるリーダー――影響力と社会的地位の2つの形(1)

このように、自分よりも資源保持力の弱い者を支配し、自分よりも資源保持力の高い者には従うという傾向が進化すると、そのような傾向をもった種の社会にはおのずと順位制が表れます。順位制は個体に備わった特徴ではなく、資源保持力の比較で優劣をつける傾向を各個体がもっている結果として生じる社会の構造なのです。もちろん、優位な個体が年をとったり怪我をしたりして資源保持力を失えば、順位は入れ替わります。

平等主義的な狩猟採集社会

それではヒトの社会はどうでしょうか? 現代社会は、経済力であったり、組織内の役割であったり、さまざまな面で私たちは地位の格差を感じて生きています。ですが、狩猟採集の生活スタイルをいまでも保っている社会を見ると、集団の中で大きな地位の差はなく、平等主義的な社会になっていることがほとんどです。

人類学者が、狩猟採集社会を平等主義だというときには、社会の成員(特に男性)の間に厳密な順位がないということが含まれます(この他にも、強力な政治的リーダーをもたないこと、狩猟で得た大きな獲物を集団全体で分配する習慣があることなどが含まれます)。もしヒトにも相手の資源保持力を見極めて、それに応じて自分の優位さを主張したり、相手に服従したりする傾向が備わっていれば、動物の社会と同じような一位から最下位までが整然と並ぶ順位制ができていてもよさそうですが、そうはなっていないのです。

狩猟採集社会が平等主義的な社会だということは、ヒトには地位動機がないということでしょうか? しかし、そうだとしたら、なぜ同じヒトという動物が、首長社会、王国、帝国といったおそろしく厳格な順位制をもった社会を築いたのでしょうか? 人類学者のクリストファー・ボームは、狩猟採集社会で見られる専制的な支配者に対する“集合的”な忌避感によって、狩猟採集社会は平等主義的に保たれているのだと考えています(3)

ボームの理論にとって、“集合的”という部分はとても大事です。個人レベルで考えれば、誰でも他者から支配されたくないのは当然です。例えば、群れの中にとても横暴にふるまう優位個体(A)がいたとしましょう。力が強いので誰もAには逆らえません。そのときに、2番目に力が強いBと3番目に力が強いCが手を組めばAをやっつけることができます。その結果、Aは群れでトップの地位から転落し、B・C連合がトップに立つことになります。

劣位の者同士の連合により優位の個体を追い落とすようなことは、高い社会的知性がないとできないことです。ですが、ヒトの専売特許というわけではなく、ヒト以外の霊長類の社会でも見られます(4)。しかし、B・Cの連合がAを追い落とした結果、群れは平等になるでしょうか。答えはノーです。B・C連合をトップとする新しい順位制ができるだけです。

ヒトの場合は連合が専制的なリーダー以外の集団全体で形成されるとボームは考えています。つまり、ヒトの場合にトップを追い落とすのは、二者による小さな連合ではなくて、“集合的”な大連合だということです。

ボームは、人類学的なデータベースを調べることで、多くの平等主義的な社会で専制的なリーダーが出てくると、そのリーダーが公的な批判やあざけりの対象になること、人々が集団でそのリーダーの指示を無視すること、コミュニティ全体でリーダーのすげ替えをしたり、極端な場合はリーダーを暗殺するといった慣習があることを明らかにしています。

もしもヒトの性向がそもそも平等主義的なものであったら、専制的なリーダーの出現を前提としたこのような慣習はないはずです。平等主義的な傾向をもっているからではなく、支配される者全員が一丸となって専制的なリーダーに立ち向かうことができるので、平等主義的な社会が存立しえたのだというわけです。

この話は、現代社会に住んでいる私たちにとっても身近に感じられるかもしれません。独断的・専制的にやりすぎたために誰からも言うことを聞いてもらえなくなった職場の上司や、部活のキャプテンなどに心当たりはありませんか?

尊敬されるリーダーの登場

ヒトという種はその進化の歴史の大部分を狩猟採集民として暮らしていました。もし、狩猟採集社会では専制的なリーダーが許されず、場合によっては暗殺されたかもしれないとしたら、なぜ私たちにはまだ地位動機が残っているのでしょうか?

もちろん、現代社会で調子にのりすぎたからといって暗殺されることはめったにないでしょう。しかし、ヒトという種が進化のほとんどの期間を暗殺もありえるような社会ですごしていたとしたら、どうでしょうか? 太陽の光の届かない洞窟に入り込んでしまった魚では、暗闇という環境に適応して目が退化してなくなっています。同じように、地位を求める傾向が役に立たないばかりか、暗殺にあう危険をはらんだ社会環境に適応すると、地位を求める傾向はなくなってしまったのではないでしょうか。


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