内容紹介
7歳から14歳の子どもたちへの教育の大きな目標は,芸術的な体験を通して世界を感じとり感性を伸ばすことだ
自由ヴァルドルフ学校の創設にあたり開催された14日間の講演集。
目次
第1講 はじめに:芸術活動,計算,読み書きの大切さ
第2講 ことば:人と宇宙のつながり
第3講 造形芸術,および音楽的・詩的なもの
第4講 最初の授業:手先の器用さ,素描と描画,ことばの指導の始まり
第5講 読み,書き,綴り
第6講 生活のリズム,授業の中のリズミカルな繰り返し
第7講 九歳の授業:動物の世界から自然史を学ぶ
第8講 一二歳以降の授業:歴史と物理学
第9講 ドイツ語教育と外国語
第10講 九歳,一二歳,一四歳までの科目の概要と授業の進め方
第11講 地理学の授業
第12講 子どもが学校で学ぶすべてのことは,最終的には実際の人間生活のあらゆる部分に向けられるよう広げられなければなりません
第13講 カリキュラムの設計
第14講 モラルの教育はどのようにして教育実践となるのでしょうか
結語
一九一九年九月六日
本日は、確実に心に留めておいてほしいことへもう一度注意を向けていただくことによって、これまでの講義を締めくくりたいと思います。それは、次の四つの原理をしっかりと覚えていただきたいということです。
第一に、教師は、広い意味でも狭い意味でも、教師としての自己の知性をかけて生徒に影響を及ぼし、働きかけているのだということを知っていなければなりません。また、どうやって一つ一つのことばを発したらよいか、一つ一つの概念とか感性をどうやって発達させたらいいのかを考えながら、子どもに働きかけているのだということも知っていなければなりません。教師は、主導権を持った人間でなければならないのです。教師は、決して怠惰であってはなりません。いかなる時にも、教師は自分が学校で何をやっていて、子どもに対してどうふるまっているかを完全に意識していなければなりません。教師はあらゆる意味において主導権を持つ人間でなければなりません。これが、第一の原理です。
第二に、皆さん、私たちは教師として、世界中の出来事と人類に関するあらゆることがらに興味を持たなければなりません。外界と人間の生活の中で起こっているすべてのことが、私たちの関心を呼びおこすのでなければならないのです。もし私たちが教師として、人間に関わりのあるいかなるものに対しても耳目をふさぐようなことがあれば、それは嘆かわしいことでありましょう。私たちは人間世界の出来事に対して、それがどんな大きなことであれ、どんなささいなことであれ、興味を持つべきであります。同様に、ひとりひとりの子どものすべてのことに興味をいだくことができるべきです。教師は、全世界と人類の存在に興味を持つ人でなければなりません。これが、第二の原理です。
第三に、教師は、自らの内面において真実でないものに対しては、決して妥協しない人でなければなりません。教師は、自己の存在の深い所で真実の人でなければならないのです。教師は、決して真実でないものと妥協してはなりません。なぜなら、もしそんなことをすれば、どんなに多くの経路、特に指導法を通して授業の中へ真実でないものがはいりこむか知れません。もし私たちが自分自身真理を追い求めようと努力するならば、私たちの授業には、容易に真理の刻印が押されることでしょう。
さて、行うよりも言うは易いのですが、それでも教師の職業にとってやはり黄金律となることばがあります。教師は、決してひからびたり、新鮮さを失ってはいけません。新鮮で健全な魂の雰囲気をはぐくんで下さい。ひからびたり、古くさくなったりするなかれ。これが、教師の努力すべきことがらでなければなりません。
皆さん。この二週間の間に、私たちがさまざまな観点から光を投じてきたことがらがあります。皆さんは、それをご自分の心の内に正しくおさめて下さい。そうすれば、授業中に、感性と意志の領域を通じて、いまだ遠くにあるようにみえるものも、皆さんの魂のごく近くにひきよせられてくるでしょう。この二週間にわたって、皆さんが自分自身の魂の内部でいまだ遠くあるようなものを働かせるならば、一体何が授業の中で直接的に具体的になされるかについて、私はもっぱらお話ししてきました。しかしながら、皆さん。私たちのヴァルドルフ学校は、皆さんが今まで学んだことを皆さんの魂の中で効力を発揮するように、個人個人の内的世界で行動することによって決まるのです。
人間、特に成長過程にある人間についての概念を心理学的に理解するために、私が明らかにしようとした多くのことがらを考えて下さい。おそらく、どのことがらをいつ、いかに指導の中へ持ち込むべきか、あるいはどこで導入すべきかということについてわからないときには、この二週間にくりひろげられたことを正しく覚えていさえすれば、授業で何をしたらよいかについての考えが必ずうかんでくると思います。もちろん、実際には多くのことがらは、何回も繰り返し言わなければなりません。けれど私は、皆さんを教える機械にしたくはありません。自由な自立した教師になってほしいのです。まさに、これと同じ精神で、この二週間すべてのことがらを皆さんにお話ししたのです。期間が非常に短いため、残りのことがらは、皆さんの授業にささげる献身的で理解にみちた活躍にまかせざるをえません。
何度でも、私がお話ししてきたことに戻って考えてみて下さい。そうすれば、そこから人間、特に子どもについての理解が得られるでしょう。そうするとおそらく起こるであろう多くの方法上の問題の解決に役立ちます。
これまでの講義をざっと振り返ってみても、考え方においてこの一四日間の間に多くの刺激を受けたことでしょう。はっきり言えることですが、私自身これらの一四日間を繰り返して思い出すでしょう。このヴァルドルフ学校は、その設立と発展に関与している人たちの心情の上に成り立っているのです。わがヴァルドルフ学校は成功するにちがいありません。多くのことが、その成功にかかっています。その成功は、私たちが主張している精神発達の考え方に対する一種の証明となることでしょう。
結論として、少々個人的なお話を許していただけるなら、このように言いたいと思います。私自身にとって、このヴァルドルフ学校は、まさに気がかりな子どもにほかならないのです。私は何度も何度もこのヴァルドルフ学校へ、心配で気がかりな思いにかられて帰って来るでしょう。しかしながら、もし私たちが事の重大さを理解しているなら、心からともに働くことができるはずです。とりわけ、私たちの心と精神を満たす以下の思想を、私たちは心に留めておきましょう。今ここでの精神の活動は、宇宙の中に働いている精神の力と結びついているのだということを。私たちがこのような良き精神の力を信じるならば、それは私たちの存在に息吹を吹き込むものとなり、私たちは真の授業を施すことができるようになるのでしょう。