「科学を否定する人たち」はどんな人なのか?

あるセミナーの体験ルポ

気候変動懐疑論,地球平面説,反ワクチン――なぜ科学を否定する人たちがいるのだろうか? 科学否定について心理学的に解説し,科学理解の促進に向けた取り組みを提案した『科学を否定する人たち』を翻訳した心理学者が、とあるセミナーに参加した潜入ルポ。(編集部)

榊原良太(さかきばら・りょうた):2016年,東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。現在,昭和女子大学人間社会学部心理学科准教授,博士(教育学)。主要著作に,『感情のコントロールと心の健康』(晃洋書房,2017年),『感情制御ハンドブック―基礎から応用そして実践へ』(北大路書房,2022年,共編),『感情心理学ハンドブック』(北大路書房,2019年,共編)など。『科学を否定する人たち――なぜ否定するのか? 我々はいかに向き合うべきか?』(翻訳,ちとせプレス,2025年)を刊行。

2月某日,私はとある団体のセミナーに参加するため,足早に会場へと向かっていた。特定を避けるため詳細は伏せるが,このセミナーで扱われる某「パワー」は,オカルト・疑似科学界隈では時折耳にするもので,ご多分に漏れず非科学的なものである。

筆者はこのたび,科学否定について心理学的に解説し,科学理解の促進に向けた取り組みを提案した,一冊の本(1)を翻訳した。そんな人間が,わざわざそうしたセミナーに参加するのは,おかしな行動のように思われるかもしれない。しかし,実際に科学否定をしている人たちが,どんな人たちで,どんなことを考えていて,どんなことを言っているのか,そんな科学否定のリアルを体感してみたかったのである。

論文や本,何より今回の翻訳を通して,科学否定の基本的な心理的メカニズムについては,ある程度理解しているつもりである。しかし,幸か不幸か,私自身はこれまで,科学否定と深い関わりをもったことがない。科学否定に直に触れてみることで,何かわかることもあるのではないか。翻訳をしながら,そんなことを考えていた。

今回,私が実際に科学否定に触れてみた経験について記していきたいと思う。不慣れなルポという形となるため,読みづらい,わかりづらい(もしかすると面白くない)点があることはご容赦いただきたい。

セミナー会場に到着すると,そこには何とも形容しがたい,独特な雰囲気が漂っていた。語弊を恐れずに言えば,じつに胡散臭い。なぜあえてそんなものを置くのか,なぜわざわざそんなデザインにするのか,そうツッコミたくなるようなものだらけである。イメージどおりで少しほっとしながらも,気を引き締めて会場の奥へと向かう。

セミナーが行われる部屋では,すでに数名の講師が準備をしていた。参加者の方はというと,私を含めて4,5人のみである。予想外に少ない。そして,私以外の全員が,その団体の同じグッズを持っているという状況にとまどいを覚える。おそらく私以外はみな常連なのだろう。

よそ者であることがバレないよう平然を装っていると,しばらくしてセミナーが始まった。今回は数名の講師が,自身の知識や経験について順に話していくスタイルらしい。一般公開されているセミナーであるため,最初は基本事項の説明があるのかと思っていたが,そんなものはまったく用意されていなかった。のっけから「専門用語」全開で,何を言っているのかまるで理解できない。他の参加者はしきりに頷いていた。私もわかっているふりをして頷くが,講師と目が合うたびに,何とも気まずい気持ちになった。

そんな調子でしばらく話を聞いていたが,思っていたほど非科学的な印象を受けない。むしろ,よくわからない「専門用語」を交えた話は,どこか科学的な印象すら抱かせるものであった。何も知らずに参加すれば,真っ当なセミナーだと感じる人も少なくないだろう。

破茶滅茶な内容を期待していたため,やや拍子抜けした気持ちになっていたとき,講師の口から唐突に「周波数」「霊的な」といった言葉が飛び出す。そこから一気に,非科学的な色が強まってきた。それ以降の話は,先ほどとはまた違った意味で理解不能であった。しかし,参加者はしきりに頷いている。私はいつしか頷くことを忘れてしまっていた。

どの講師の話にも共通していたのは,現代科学では解決できなかった自分や周りの苦境が,例の「パワー」で立ちどころに改善したという強烈な実体験を語っていたことであった。端から見れば,「?」となる話ばかりである。しかし,じかに体験した個人にとっては,その「パワー」を信じる何よりの根拠となるのだろう。

また,どの講師も「専門家」であることに誇りを感じているようであった。中でも3人目に登壇した講師は,それがじつに顕著であった。日常生活でも自分が「専門家」であることを公言して憚らないようで,例の「パワー」について話すときの口ぶりも,とても力強かった。

その講師がとくに語気を強めて言った一言が,とても印象に残っている。

「自分で考えて行動する!〇〇を使えば世界が変わる!」

これは,世間一般で信じられていることには裏があるという,陰謀論めいた話の中で放たれた一言であった。彼らは何も考えていないのではない。むしろ積極的に「考える」ことで,世間の常識を疑い,物事の裏を読み,現象同士のつながりを見出しているのである。「自分で考えて行動する」ということが大切なのは間違いない。しかし,その内容やプロセスが違えば,行き着く先はまるで異なるものになってしまう。そのことを痛感した一言であった。

セミナーを聞き終え,早々と帰る支度をする。家を出る前,妻に「もし遅くまで帰ってこなかったら連絡してほしい」「SOSの合言葉は“今日の夕飯はハンバーグがいいな”にしよう」なんて冗談を言っていたが,強引な勧誘もなく,あっさりと部屋を後にすることとなった。

正直なところ,こういうセミナーに参加すれば,もっと奇想天外な出来事が起きて,書くネタに事欠かないものと思っていたが,実際は思っていた以上に「普通」であった。講師は自分の知識や経験をまっすぐな目で語り,参加者はそれに熱心に耳を傾ける。ただ内容に科学否定的な部分があるだけで,表面的にはよくあるセミナーと大きな違いはないように思えた。彼らは純粋に,例の「パワー」を信じているだけなのである。

そんな彼らに対して,例の「パワー」が科学的にはどうであるとか,そもそも科学とはどういうものであるとか,そんな話をしたとして,はたして耳を傾けてもらえるのだろうか? 帰路につくなか,ふとそんな疑問が頭をよぎった。おそらく,見込みはかなり薄いだろう。私だって,今回のようなセミナーに何百回参加しようと,例の「パワー」を信じることはないと思う。彼らは,それと同じような感覚で科学を捉えているのではないだろうか。

通常,私たちが何かを信じるのと同じように,彼らは科学否定的な事柄を信じている。そして彼らは,私たちが思っている以上に物事を「考えている」。そんな彼らを「改心」させることの難しさは,逆の立場,すなわち科学否定的になるよう「改心」を迫られることを想像すれば,おのずとわかるだろう。

とはいえ,本書でも触れられているように,個人の信念の自由を口実に,あらゆる主張を等しく妥当なものとして扱うべきではない。とくに科学否定の場合,それが身近な他者や社会全体,さらには地球規模での悪影響をもたらすおそれすらある。科学を妄信せず,疑う姿勢は重要である。しかし,十分な根拠や証拠もなしに科学を否定し,さらには誤った情報を流布させるような動きに対しては,厳然とした対応をとっていく必要があるだろう。

科学否定に対して「我々はいかに向き合うべきか?」。本書の副題でもあるこの問いに答えるのは,簡単なことではない。それでも,地道な研究を積み重ね,その成果を社会で実践・応用していくこと,そして科学の大切さや面白さを発信していくこと。当たり前すぎるし,すでにおおいに取り組まれていることかもしれないが,それをひたむきに続けていくことが,最も重要な答えの1つであることは間違いないだろう。また,本書の第8章には,具体的かつ実践的な対応・解決策が豊富に紹介されているため,ぜひ手にとってみてほしい。本書が,科学否定を理解し,その向き合い方を考えるための一助となれば,訳者として望外の喜びである。

文献・注

(1) シナトラ,G. M.・ホファー,B. K.(榊原良太訳) (2025).『科学を否定する人たち――なぜ否定するのか? 我々はいかに向き合うべきか?』ちとせプレス

9784908736384

ゲイル・M. シナトラ,バーバラ・K. ホファー 著/榊原良太 訳
ちとせプレス(2025/03/10)

気候変動懐疑論,地球平面説,反ワクチン――多くの証拠に基づいた科学を否定し,個人的な経験や裏づけのない意見にとらわれるのはなぜか? 科学に対する否定,疑い,抵抗を心理学的に解説し,科学理解の促進に向けて個人,教育者,科学コミュニケーター,政策立案者が取り組むべき活動を提案する。


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