心理学が挑む偏見・差別問題(2)
社会問題への実証的アプローチ
Posted by Chitose Press | On 2018年09月20日 | In サイナビ!, 連載偏見・差別への社会心理学的アプローチ
唐沢:
カテゴリー化のプロセスのせいでステレオタイプが生じるという,研究知見の一端を我々も担ってきたわけですが,カテゴリー化以外にも,社会のシステム自体がもっている弱さが顕在化してくることはあるのだと思います。それこそ「社会」心理学が本来は取り組むことができるのだと思いますが,若い人がそうした研究をしていたら大丈夫か,ということにもなりそう。
――日本だから,そうした研究を行うのが難しいのでしょうか。
唐沢:
日本だからとくに難しいということはあるでしょうね。日本の社会心理学の研究者には,独自の思いつきのような研究はなかなか難しい。もちろん日本だけでなく世界中で,職業として研究者をしていく限りは人気のあるテーマを選ぶ方が得ということはあると思いますが,一方で「よくこんなことを思いついたな」と他人と違うことを言い出す人でもやっていけるシステムに,欧米などではなっているように思います。
北村:
去年アメリカに滞在していて面白いなと思った研究がありました。先ほど紹介したような介入研究で現場に入るのはなかなか難しいのですが,いまのネット社会の特徴を生かした試みとして,YouTubeのようなものに効果がありそうな動画を挙げてみて,その効果測定をしてみる,というものです。大統領が変わったことで,ムスリムに対する偏見や差別が顕在化しているのですが,ムスリムの普通の人々が日常生活をしている様子や楽器を演奏したり,食事をしながら話をしたりする光景を,静止画を連続して見せたり,動画にしたりして流すというものでした。プレゼンテーションとして12個くらいの動画を画面に並べて,「これが一番効果がありました」というだけで,何が要因としてきいているのかは明らかにされないようなおおまかな研究ではありましたが,動画によって人々の意識に影響を与えるというのは,いまふうの試みとしてよいなと思いました。友人が増えると偏見が弱まるという研究は昔からあったわけですが,友人ではなくともムスリムの人の生活実態や様子を見るだけでも親近感がわいて意識が変わるということでしょうね。
大江:
それは実験ですか?
北村:
一応実験でしたね。日本の学会で発表をすれば,ぼろくそに言われそうですが。アメリカではいくぶん許容的な雰囲気があるのかなと。
唐沢:
日本の心理学界や社会心理学界も,まじめに学生や大学院生を教育していると思いますが,その中だけではそうした発想は出てきにくいですね。心理学としては全然ダメな研究に触れる方が,そうした新しい発想が出てくるのかもしれません。同じディシプリンで同じような手法でやっている学会では,突飛なものを発表しても,ぼろくそに言われるだけかもしれません。
北村:
いま紹介したものはメディアコミュニケーション学科にいる人の発表だったと思うのですが,驚いたことにそうした学科に大学院の専門が心理学や社会心理学だったという人がたくさん参入していました。ミクロな視点や社会的認知の研究を踏まえながら,メディアに適用する人たちの層の厚さ,そして社会心理学とメディア研究の融合とを感じました。偏見や差別に限りませんが,世論やイメージはメディアによって影響される部分があります。高先生も,おかしな掲示板ばかり見ていたら影響があるという研究をしています。
高:
心理学も役に立つ道具がけっこうたくさんあるのですが,実験室で用いる方法と質問紙を使う方法以外を知らない人が多い気がします。慣れたやり方に沿って研究をしている方が,論文も書きやすいですし,就職もしやすい。
北村:
もう少し心理学者も社交的になる必要がありますね。
唐沢:
心理学にある道具というのは,どういうものかな?
高:
概念や理論も含まれますし,研究手法も含まれます。
唐沢:
そうしたものが心理学にはあるということは,外側からはよく聞くよね。
高:
以前に刊行した『レイシズムを解剖する』(1)のタイトルは,心理学者はきちんとメスをもっていて,現実を解剖できるでしょう,という意味合いを込めています。
北村:
社会学など,偏見に関する他の研究領域からしても,方法論的にもこの本で描かれているようなクールな切り口があることが評価されているわけでしょう。
高:
社会学や政治学の人も引用してくれています。
唐沢:
心理学の中から出てきたアイデアではなくても,社会心理学がこうした問題に貢献できるということですね。口で言うのは簡単ですが。
大江:
心理学者が社交的になることが難しい要素の1つに,そもそも偏見や差別の研究をすること自体に批判的な人が心理学の中にはいませんか。
高:
偏見や差別の研究を最少条件集団などを用いて行っている限りは「心理学っぽいね」と言われましたが,在日コリアンに対する偏見の研究を始めたら,「心理学研究者をやめて活動家になりたいの」と聞かれました(笑)。
大江:
そういうこともありますが,偏見やステレオタイプの研究をすること自体が偏見やステレオタイプを流布していることになって,発表をしたらその影響に対してどう責任をとるのかと問われることもあります。そうしたなか,高さんは頑張ってアウトプットを出したなと思います。高齢者にせよ,福島のイメージにせよ,あるいは喫煙者や肥満者に対するイメージを調査するだけで,倫理的な問題が大きいのではないかというハードルがあります。さらに介入研究をするとなると,なかなかクリアできないです。
唐沢:
比喩としては,たとえば「差別用語の研究をしたら,どうやって論文にするのか」というようなことですよね。それを表に出すわけにはいかない,ということと似ていますね。こうした偏見があると明らかにすればするほど,知らなかった人に対して教えることになりますから。
大江:
同和問題について教えるときのように昔からある問題なのですが。