TEA(複線径路等至性アプローチ)の過去・現在・未来――文化と時間・プロセスをどのように探究するか?(4)

渡邊:

TEMとかTEAと,これが対応するといいんじゃないの。

サトウ:

御意。対応させている人たちがいて,分岐点はまさに記号が発生している場所だと。例えば認知的不協和はこれで説明できるんだよ,価値に届くものはすぐ入ってくるけれども,価値に届かないものは,その前にはじいてしまう。例えば,「たばこのパッケージに健康のために吸いすぎに注意しましょう」って書いてあっても,たばこを吸う人は認知的不協和だから見ないわけじゃない。だから,早いレベルでカットしちゃう。逆に,「たばこを吸うと健康にいいらしいよ」というような価値に合う話はどんどんと入ってくる。

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渡邊:

あくまでも層だと考えると,特定の脳の部位と対応するかではなくて,抽象化のレベルなんだよね。だからこそ理論なんだけれど。

サトウ:

分岐点は記号が発生する場所で,例えば「結婚はクリスマスケーキみたいだ」という話があったじゃない。25を過ぎると売れない,みたいな。

尾見:

今そんなこと言ったら大変だけど,1980年代はそういうことが確かに言われていたよね。

サトウ:

その場合も「結婚したい」とか行為のレベルで話をしているけれど,個人的価値としては結婚に重きを置いていない。しかし,ある時に友達が結婚して,妹まで結婚しようとする,なんてことになると記号が発生して,価値が変容していくようになる。

渡邊:

そうなると,「行き遅れ(今では死語)」だとかの記号が発生するということね。

サトウ:

25を過ぎたらクリスマスケーキのように売れない,ということがあると,価値に沿うようなことをやっていくと。もちろん,価値に沿わないようなこともある。

渡邊:

分岐点でどちらに分かれて行くかということをドライブしているのが価値だと。

尾見:

その表現を借りると,ドライブさせているのが価値で,ドライブしているのは記号ってことですよね?

サトウ:

そういうこと。一般的な人は一般的なことについて価値に支配されながら,記号を発生させているんだけれど,中にはそうではないこともあって,価値自体が変容することもありますよ,と。

渡邊:

上から下に向かって価値が力を及ぼすこともあれば,下からボトムアップ的に価値が変容することもあるわけでしょ。

サトウ:

そうそう。

尾見:

まわりからの圧力とかで変わるわけだ。価値が薄くなったり濃くなったりするということかな。

渡邊:

ずいぶん複雑だよな。

尾見:

それ自体は時間がないから,TEMの丸とかの1つひとつがそれになると。

サトウ:

そうそう。分岐点の中でね。

尾見:

そうだとすると,抽象的なことで言えば,三層の色が変わりながら動くような。

サトウ:

あるいはモグラたたきゲームみたいな感じでね。

渡邊:

三層で表すこの理論がないのとあるのとでは,あるほうが個のことがわかるということだね。

サトウ:

あるほうが,心理的なことをわかりたい,心理的なことにアクセスしたい人が満足できるし,介入ポイントもわかりやすくなる。

渡邊:

分岐点で何が起こっているのかが心理メカニズムとしてわかりやすいということだね。

サトウ:

私からすれば,そんなことしなくていいのに,ということだけどね(笑)。まったくそういうために作ったんじゃないからね。径路と力だけ描いたらいいじゃないかと思うんだけれど。スキナリアン(8)的に生きていくならばね。

渡邊:

三層モデルがなくてもTEM図には行動に影響を及ぼす強化の随伴性自体がここに余すことなく記述されているわけでしょ。これ以上何が必要かと。そこは俺も共通しているところはあるんだよね。俺はでもこれ以上何が必要なのかということが気になるわけよ。

サトウ:

三層モデルを使うことの意義はもちろんある。様々な出来事や行為を価値か記号か行為かということを考えることは,頭を使って研究することにつながるわけ。でも,中途半端になっちゃっている人がいてそれは課題だよね。

渡邊:

さっきの5000人の話(第3回参照)でいうと,分岐点でリサーチ・クエスチョンを発見して,そこから学校の先生に5000人調査を始めたっていいわけだよ。だけど,分岐点の中に三層モデルを描き込むようなことがあっても確かに面白い。分岐点の拡大図になるからね。こういう時はこの端あたりに虫眼鏡の絵を描くとか決めたらいいね。

尾見:

クリックしたら小さくなったりしてね。

TEMの広がり,研究の国際化

渡邊:

さて,他に何かあるかな。TEAがどんな悪口を言われたかとか。「フローチャートじゃないか」と言われたことはあったよね。

サトウ:

ああそれはあったね。N階マルコフ過程みたいな,確率事象の生起で考えるとか。でも,TEMの径路はそういうものではない。どちらかの径路に2分の1とかの確率を確認するものじゃないんだよ。

渡邊:

そうなると,TEM図の矢印って何なのかだよね。パスなのか,パスだったら数字を書けるんじゃないかとか。

尾見:

アスタリスクつけるとかね。

サトウ:

有意的な径路か。

渡邊:

見てるだけで有意な感じがする径路は確かにあるよね。

サトウ:

有意かどうかっていうのは力の強さなんだよね。多くの人が行くとすると,そこに文化がある。

渡邊:

そういう意味では効果量を示すべきなんだよ。

尾見:

じゃあ,漢字が違うね。「有意」じゃなくて「優位」だね。

渡邊:

人生には普通の人生と普通ではない人生とがあって,それを1つの図で示せるんだよね。普通の人生の拡大図がこれで,じゃあ普通じゃない人生を見ていこうとまた拡大して,とできる。

サトウ:

それをモデルとして,誰が何を学び取るかということにもよるんだよね。

渡邊:

誰でも描けるじゃないか,とよく言われていたけれど,意外と描けないよ。一度TEM図を描く講習会っていうのをやらされたことがあるんだけど,描けない人はすごく苦労するんだよね。そのうえあとで安田さんとかからあれはTEMと違うんじゃないかとさんざん言われて。だったら講師役をやらせるなよと(笑)。

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尾見:

それは大先生の被害妄想じゃないの(笑)? おそらく安田さんは,そんなつもりで言ったんじゃないよ。

サトウ:

講習会はまさにガイドみたいなもので,今度マツダ株式会社で講習会(9)をやることになっている。荒川歩(10)が書いた論文を読んだ人がいて,その人も論文を書いているんだけれど,それが手本になってさらに若い人たちが良い論文を書いている。手順化の工夫はみんなしているんだよね。個人的にはそれはまあ,ありなんだけれど。

渡邊:

なんでマツダ株式会社なの?

サトウ:

ここ数年,共同研究をやっているんだよ。人はどういう物語の中で物を買うのか,ということを共同研究開発でしているわけ。TEM室っていうのがマツダのMRYセンター(新横浜)の中にあって,TEM図をおいてあったり,壁に掛けたりしている。去年に何人かとマツダにも行ってきて写真も撮ったんだけれど,これは機密ということで……。

尾見:

はー,すごいね。

渡邊:

なんかKJ法(11)の訓練システムの権威に近くなってきちゃったね。

サトウ:

個人的には,そうならないようにしているんだってば。

渡邊:

そのうち中公新書か何かで出るな。

サトウ:

新書は書きたいけどね。KJ法は「発想法」だったけれど,TEAは「展望法」なんだよ。まあでもああやって家元みたいにするのはちょっとね。


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