人間の命と死,そして心――『人口の心理学へ』が問いかけるもの(1)

人口の心理学の課題

柏木:

私は,人口の心理学には,だいたい4つくらいの問題があると思っています。

心理学で高齢化の研究をしていないかというとそんなことはありません。老年心理学があります。しかしながら,このような研究でいいのか,と私は疑問に思います。高齢者が増えたから老年を対象としたとか,高齢者の認知機能の研究だとかにほとんどとどまっていると思います。私はもっと根源的で大局的な視点が大事だと思っています。

[1]親にとっての子どもの意味

その1つは親にとっての子どもの意味です。子どもに親のしつけがどういう影響を及ぼしたか,といった研究はこれまでありました。親子関係の研究といえば,親の性格や遺伝的要因,養育行動など,親の要因が子どもの発達にどういった影響をもたらすかという研究ばかりでした。しかしそうではなくて,子どもというものが親にとってどういう意味をもっているのかを考えなければいけません。このことは次にお話しする,少子になったいきさつとも関係します。

私が1999年の『教育心理学研究』に「女性はなぜ子を産むか」という論文を書いたのは,そうした問題意識からでした(2)。母親は子どもに愛情をもっているものだ,親子関係=母子関係がほとんどだということが暗黙の前提でした。父親を真正面に取り上げているものはきわめて少ない。これは心理学の中に「母が大事」「母は子どもに対して愛情をもっている」ということが大前提として入っているからだと思いました。私はそのことを,もう少し正面を切って本当にそうなのか,プラスの愛情だけなのかということを問いたいと思っています。親になるけれども親をしない男性について,親にはなったけれども子どもへのしつけはしていないので研究として取り上げないというのは,私は言い訳にすぎないと思います。「していない」ということがどういう意味を子どもにもつのか,育児・家事が自分の仕事ではないとしている男性自身が本当に幸せで大人として十分に発達しているのかという問いにもつながってきます。

[2]ライフコースの変化

2つ目は,少子・高齢の2つの要因が,ライフコースをまったく別のものにしてしまったことです。これは,以前は「人生50年」と言っていたのが80年になったという単なる量的なことではないのです。子どもが少なくなり,人生が長くなったということは,妻でもなく母でもないそうした時期を長くもつことになりました。以前は5人ほど子どもが生まれてきて,次々に育てて,「あーほっとした」というところで死を迎えたのです。ですから,個人としての生活を考えることがなかったのですが,いまは非常に多くの女性たちがこの問題に直面しています。“育児不安”というと「母親が子どもについて不安をもっていること」と思われますけれども,育児不安とは,女性たちが「母でもなく妻でもない個人として生きるにはどうすればよいか」というアイデンティティについて苦しんでいるという問題だと思うのです。

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一方で,男性ではどうなのか。女性ほど長くはないにせよ人生は80歳すぎまでになった。子どもに関わることも稼ぎ手役割もそれほど変わっておらず,男性はそういった問いをしているのか,というとしていないと思います。

『仰げば尊し』という卒業式に歌う歌がありますが,そこには「身を立て名をあげ」という歌詞があります。あれは男の勤め人を前提にしているのですね。「身を立て名をあげ やよ励めよ」と,何に励むかというと仕事にです。昔は60歳くらいが寿命でしたから55歳くらいまで働いて退職金をもらい,「ご苦労様」と労われてちょっとゆっくりすると死を迎えました。しかし,いまやそうではなくなりました。そのあとに長い人生が残り,「粗大ごみ化」した人は妻にとってはストレス源になります。本人だけの問題ではないのです。こうした大人の発達の問題を提起されていても,多くの男性はそのことに気がついていない。

2008年に高橋先生とつくった『日本の男性の心理学』(3)は,私たちがかなり先覚的に,どういう問題が男性にあるのかということを書いたものです。感情のコントロールができないとか,いろいろな問題があります。この本を男性がどのくらい買ってくださったのだろうかと思っているのですけれども,もっと取り上げるべき問題ではないかと思っています。


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